2016/08/02

観て、見る。




高所大所に立てば現場が見えず、
かといって現場にこだわると大局が、理念が見えない、



そんなトレードオフはどこの組織も抱えているものですね。
当事務所はここに「あいだ」を持つことを提唱しています。



今日はそんな「統合知」の小噺。


Nでもないし、Sでもない。





近代は分業制の時代、
従業員は本来は一つである仕事を割り当てられ、
それだけに専念することを求められています。



自分の長所や強みを活かすという意味(専業化)では
適材適所な時代だと言えるけれど、
それによって事業全体への理解は損なわれますよね。



我々にしてもそう、人生が個人(部分)の追究となれば、
全人的な幸福など生まれることはないのです。



個人主義へ傾倒した近代が幸福から遠いのは
まさにこの部分と全体のどちらかを「真」としているのではないでしょうか。



☞☞☞



そこでこの国は二項を対立させることなく、
二重性といった「重ね」の方法をとっていたようです。



二刀流である宮本武蔵も五輪書において
「観」と「見」の二重性(観見)の重要性を説いていますね。



立ち合いの際、相手方に目を付ける場合
観の目強く、見の目弱く見るべし。



多分にそれは理性を使い分析的に相手を「見る」ことと、
場という全体性の存在を直覚的に「観る事」でしょう。



木だけを見ていても全体が分からないし、
森だけ見ていれば、一本の木が見えることはない。



よって同時に捉えるには二項が貫通するまで
「見抜く」という行為がなくてはいけない、と。








見抜きには天体望遠鏡や顕微鏡は必要ない。
個人的にはそう思ってます。



例えば木と森を見抜けば、
根を張ってる「土」に起点と終点があるように




組織の土台は風土構築からです。









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