2015/02/08

夜の京都散策

京都は今が一番美しいと思いますね。
紅葉の時期が特に良い。





d.hatena.ne.jp



銀閣寺がライトアップされてるので、
哲学の道でも歩きながら、
侘び寂びを感じようと(笑)思ったんですが、



どうも時間からして間に合いそうにない。
金閣寺も遠いし。。。。




と悩んでたら、社長が高台寺を
案内してあげる、と言ってくれましたので、
お言葉に甘えちゃいました^^



☞ ☞


高台寺は、秀吉の正室北政所(ねね)が
秀吉の冥福を祈る為に作ったそうな。



寺院内の紅葉は上の方が染まってましたが
綺麗でした。



これは有名な臥龍池です。
まるで池が鏡のようですね目


吸いこまれそうなくらい、幻想的。




ここのライトアアップのテーマ(?)は
毎年変わるみたいです。


今年は傘なんですね。




うん。
これは京都じゃないと絵にならない。




かわいらしい茶室、「遺芳庵」。




で、その後、夜の八坂神社へ。


今年の色んなご縁を感謝しました。



神道での縁とは糸で「結」ばれると言われ、
この「結」という字は糸偏に吉と書きます。


なるほど、良縁を頂いているからこそ
「結ばれる」のでしょうな。



☞ ☞


最後に、芸子さんや舞妓さんなどの
芸能の方がお参りにいくという辰巳神社へ。



途中、本物の舞子さんを見ました。
社長曰く、舞妓さんは18歳以上、
それを超えてから、芸子さんになるそうです。



また、最近は、本物の舞子さんを呼ぶ人は
少なくなった、と。
(一回5万とかするみたい)



うーん、やっぱり好きですわ、京都。
色々案内してもらいました、ありがとうございます。






あっ、ちなみに来週は急きょ、
大阪に入ります。




ちょっくら、喰い倒れて来るでー(笑)




【後記】


その後、社長の行きつけのバーにも
連れて行ってもらったんですが、



カクテルが一杯2千円とかしたので、
絶対、僕一人では行くことないな、と思いました(^▽^;)



酔っぱらってしまったので、つい
「うまい棒とか、絶対食べないですよね」
と、聞いたら、




「よっちゃんイカが好き!」と
言ってくれたので、ちょっと安心しました。


大阪やねん

はい、どーもー。





大阪に入りました。



もう良いですよね、僕の行動日記とか(笑)
(最近ゆっくり書く時間がなくて。。。)




まっ、今回もお付き合いくださいませませ




☞ ☞



まずはお昼~
なんばこめじるし内にある「龍旗信」さんへ。



鶏たいたんそばを注文。
なんか、すごい、クリーミーな感じです。
(ボキャブラリーなし)




開店直後だったので、すぐ入れました。



不思議な味のスープだなぁ。
豚骨とは全然違う。。。





ご馳走様でした(。-人-。)




その後、依頼主の元へ。
3時間弱でしたが、お疲れさまでした^^




☞ ☞



帰りにペッパーフードサービスさんの
系列店「いきなりステーキ」発見目



一度東京で食べてから行ってないけど、
調べれば、最近急ピッチで出店してるみたいです。


「俺のフレンチ」や「~イタリアン」のように、
立食スタイルで回転率を上げる店は増えましたね。



ただ、個人的には立ち食いは
ちょっと苦手かもf^_^;



なんだか急かされてる感じが・・・
あっ、もちろん味は美味しいですよ。


☞ ☞



とまあ、今回は泊らず日帰りなんで、
最後にラーメン(また!?)食べようと思い、



大阪の超有名店「弥七」さんへ。



ここはなんと定休日が「土・日・祝」。
(しかも、スープがなくなり次第終了)



基本的な閉店時間は16時なので、
今まで行きたくても行けませんでした。


で、今回は大丈夫だろう、と
着いた時が15時ちょっとだったんですが、




・・・・・・10人くらい並んでます。
しかも店内にも( ̄ー ̄;





閉店が16時・・・・・スープなくなりしだ・・・



僕、食べれますかね?




しかし、やっぱりラーメン店、回転が速い。
(しかも店内にそういったお願いも書いてあった)



閉店15分前にようやく店内へ。
スイマセン・・・・ありがとうございます。
(僕の後ろに、まだ5人ほどいました)



ものすごく素敵な接客でした




一番人気の醤油ラーメンを注文。





口コミで絶賛しているこのラーメン。
うん、美味しかったです^^




ただラーメンって、地域性が強いですね。
広がりやすく、受け入れにくい。



一風堂さんはその点すごいなぁ。




☞ ☞




そろそろ帰りの飛行機の時間なので
関空へ。



新幹線は楽で良いですけど、
僕は飛行機派かもしれませんな。




特に夜の便で帰るのが好きです。
光の絨毯が見れますからね^^





継承極意




持続性のあるFC構築においては、
単に日本の概念を掴むだけでなく、
モデル自体の変容も必要になってきます。



その変容のキーワードは永続性、
終わりなきゴールの設定、





これが継承性の極意だと
unreveは考えます。





「終わりがないのが終わり」。

こう書くと、多くの人が首を傾げるでしょう。







「明確なゴールは絶対に必要だ」
と言った、批判もあるかもしれません。


では、その「明確なゴール」を
達成した後はどうでしょう。



例えば「月商300万」をクリアした、
「キャッシュを1000万作れた」、
「リピート率が目標値になった、」



何でもいいです。それを安定的に
クリアできるようになったら、次はどうしますか?



「また新しい目標を探すだけだ」と
言うかもしれませんが、



新しい目標の設定とは、次々と
生まれるほど簡単ではありませんし、



そもそも、それら目標を通過点と
した場合、最終的にはどこへ行くのでしょう?




誤解を恐れずに言えば、やってる
事業の最終的なゴールとは、



「自分が存在している間」ではないでしょうか。


経営に終わりはない (文春文庫)/文藝春秋


¥508

Amazon.co.jp



ビジネスは人間と同じく、停止することは倒産を意味します。


人間の心臓が止まることが
死を意味するように、



ビジネスでも動力源は休むことなく
常に循環し、動き続けてます。



そして「それはいつまでか?」というと、途端に口をつぐんでしまう。



つまり、一回の自分の人生の中においてその事業の目的は設定されているわけです。



従って、ビジネスの目標設定は
無意識的に「完成ありき」、



「ここから、ここまで」のルートと
寿命はリンクしている、と。



だから企業の事業計画の多くが、
3カ年、5カ年計画となっているのでしょう。



しかし、unreveのビジネスモデルである
「弥栄」においては、そうじゃない。



当然そういった側面もあるけれど
「完成形」という概念は、原理的には
存在しません。



☞ ☞



我々人間はいくら長生きしたとして、
せいぜい100年か120年くらいです。



そんな短い時間の中、もがきながら
最終的な「落ち着きどころ」を探します。



例えば、定職について、結婚して、
家庭を持って、老後はゆっくり過ごそう、とか




独立して、ガンガン稼いで、成功して、
セミリタイヤしよう、とか。



人によって様々ですが、
寿命の逆算から、プランを作ってますよね。



しかし、ビジネスの場合はそうじゃない。有限性と持続性を同時に
持っています。


例えば、1000年以上続く企業には
数値的拡大志向性ではなく、
質的(価値的)持続性があり、




「ゴール」の最終的帰結が存在していない。



それこそ、真の「普遍性」であり、
理念の根幹なのでしょう。




僕はここに日本流の「常若」や「弥栄」に重ね、見たわけです。



我々は、自分の最終的な状態が
何なのか分からないまま、その生涯を終えています。



しかし事業には寿命がない。
「そろそろここがゴールだよ」がないわけです。



故に、編集され、新しい理論が加わり、どんどん進化していくものもあれば、




芸術や音楽のように、形式を変えず、残るものもありますよね。




100年経っても、1000年経っても、
モーツアルトはモーツアルトであって、ゴッホはいつまでも、ゴッホです。



それがunreveの求めるものであり、
理念である「和魂の継承」にも繋がります。











なるほど、確かに一回きりの
人生だというのは、正しいでしょう。






しかし、上記のような普遍性のある事業はたくさんある、と思っています。




自分の人生に限定されない、
「続く企業」を目指しませんか。




あなたのビジネスによって
この先、幸せになる人はたくさんいるのですから^^








原点回帰

こんばんわ、坂口です。
今年もあと僅かとなりましたね!



仕事納めの方、挨拶周りの方、
ギリギリまでお仕事をされている方、
御苦労さまです^^



ちなみに僕の方は、あと数か所
訪問してから休みを頂こうと思います。



とりあえず、29~1月3日まで
休みを予定していますが、
メールはいつも受け付けてます^^



また、このブログも
ちょこちょこ書こうかな、と思います。




さて、告知はこのくらいにして、
今日の小話でも。。。。


☞ ☞



独立してから今まで僕が
言い続けている「原点回帰」、



その原点こそ日本「流」であり、
ここでは、その「流れ」を端的に
書いています。




それは「持続性」を持つ継承知であり、
粛々と技術と人格を磨くという、
この国にある「職人の精神」です。



この「職人」という職業は
千年以上の歴史があります。




なぜ、これほど長い期間、
職人は絶滅せず続いてきたのか?




それは丁稚(でっち)に始まる
従弟制度が、単なる職業・技術
教育などではなく、「人格教育」だったから。



一流の職人に不況というものが
関係ないように、




加盟店を一流に育成すれば、
SVなど、不要になるでしょう。
(不要と言うか、意味が変わってくる)




その精神性を継承する「仕組み」が
unreveの独自理論のリゾームであり
弥栄モデルなんですね。




☞ ☞



今までは成長拡大こそ、
FCを導入する意味だと
業界では言われてましたが、




これからは、所属する我々の
質を向上させる時代だと感じます。




そもそも成長なんて自然派生であり
器に応じて、勝手に広がっていくものなのに、




それを「いつか」ではなく、「すぐに」と
思うから、身の丈を超える行動を
取ってしまうのです。





結果、成長しモノが行き渡った
先進国は、もれなく経済が停滞しています。



それは当たり前のことであって、
横(拡大)なんて、いつかは到達するものです。



海外の発展途上に活路を求めても、
そこの経済が成熟すれば、同じ事でしょう。



結局「永続的拡大」なんてものは
そもそも論として間違っているのです。



ただ、これは閉塞感を
煽っているのではなく、




僕は、この国が間違いなく、
良い方向に向かっていくと確信しています。



この国の将来は明るい。
これは言い切っても良い。



なぜなら、ちょっと調べても、
実にたくさんの「証拠」がある。




下山の思想しかり、
里山資本主義しかり、



自治体のIターン、Uターンフェア、
職人育成の企業も増えてきました。



去年と比べ、射幸心を煽る
セールスサイトもずいぶん減りました。



逆を言えば、そんな儲け話に
耳を貸さなくなったのでしょう。




それは国の政策云々ではなく
個々の価値観の転換によるもの、




まさに草の根から起こる
リゾーム派生的ではないか、と。





これが逆なら問題ですが、
草の根である限り、
明るくならないわけがない。




強い指導者とかリーダーとか
世界の指導者なんて、いらないんですよ。




☞ ☞


unreveの「日本流FC」は
拡大ではなく規模に応じた
ダウンサイジング、




つまり「最適」という考え方です。




ローカリズム経営には
身近なお馴染さんといかに
接していくかが大事であり、



それは短期的な利益を求めず、
生きがいを持って長く働ける
環境の再構築(全体最適)です。



それって、損得感情や合理的な
理論ではなく「こころ」の部分が
伴わなくては全く意味がありませんよね。




故に、冒頭に書いた「質」を高める
職人の継承が求められるのでは
ないでしょうか。




古くは老子の「小国寡民」にあり、



また、この国の根幹にある
神(かむ)ながらの道。

練成講座はじめました

坂口です、こんばんわ^^
気付けば、もう4日たってしまいましたね(笑)




明日から仕事始めの方も多いと思います。
頑張っていきましょう♪




さて、昨年お伝えしたように、
今年は色々と動き、関わる年にしようと
思ってまして、




その第一弾である「練成講座」を
今回、ご紹介しようと思います^^










事業継承プロジェクトの一つである
この練成講座は、寺小屋方式です。



セミナーみたいにたくさんの人を
集めて、スクール形式で教えるのではなく、
完全な個別対応でやっていきます。



今まで一人でやってきましたが、
限界を感じました、仲間が必要です(^_^;)



情熱のある方とのご縁を
楽しみにしております♪



☞ ☞



さて、前回お伝えしたように、
今の社会や地域は、実はすごくいい状態に
近づいてきているのではないでしょうか。



あらゆる業界でも、今年は
本当に良いものが評価される年だと言われています。



スパムメールや、煽るような宣伝文句で
利益を上げていた所は、どんどん
苦しくなってくるでしょう。




逆に、真面目にコツコツをやってきた
人達に、光が当たり始めるのです。




この「真面目にコツコツ」という
勤勉性こそ、日本流の精神なんですね。




☞ ☞



日本の特徴を一言で言うならば、
編集・練磨による「極(きわみ)」のこころです。



例えば、この国に輸入された漢字はひらがな、
カタカナを生み出し、



そしてその3つの言語を併用して使うという、
他の国にはない独自の編集を行っています。



世界的に評価が高い日本のアニメ文化も、
最初は海外のアニメーションを模倣でした。



最初は真似から始まっていますが、
それが単なる真似に終わらず、
独自の進化を遂げているのです。




つまり、日本人は原型を進化・深化させ、
極めるということに、非常に長けている民族なのです。




この「こころの在り方」を継承するための
知識を会得する事が、今回の基礎講座の目的です。



☞ ☞



応用講座では、実際にビジネスとして
やっていけるような内容となっています。




僕自身がやっている内容を教え、
現在使っているツールを講座修了後にお渡しします。



さらに修了証書として、あなたの理念が入った
掛け軸をお渡しします^^





以上、簡単ですが、告知でした。
もっと詳しく知りたいかたは、お気軽に~

ものづくりと、SPAについて

こんにちわ、坂口です^^



最近、三越伊勢丹ホールディングスが
SPAに本格参入すると、話題になってますね。



このSPAとは、「製造小売り」の事。
つまり、自社で調達・製造・販売を
一貫して行う、という方法です。



現在、コンビニを始めとした
大手小売店はナショナルブランド(NB)
から、PB(プライベートブランド)へシフトしています。



ローソンが成城石井を買収したのも、
「成城石井なら間違いない」と言わせる
こだわりの商品が必要だと感じたのでしょう。



つまり今までのような、メーカーに
全て依頼するだけの方式では、
コストも高く、商品の独自性もないのです。



そんな市場の中、百貨店も
例外ではなくなった、と。



一つが始めると、他も一気に
やり始めるのがこの国の特徴ですから、



近い将来、百貨店の業態が大きく
変わるかもしれませんね。




僕は、これがとても良いことだと
思ってます。




☞ ☞


さて、フランチャイズでも
この考え方は重要です。



もちろん、コアは人材ですが、
ありきたりの商品・サービスを
作ってもいい、ということではありません。



逆に、商品と作り手の想いは
正比例します、こだわりを持ちましょう!




余談ですが、僕もアドバイザーとして
参加している「ものづくり革新ナビ」は
無料会員さんを募集しています^^




会員登録することで、個別の疑問に対して
複数の専門家からの意見、回答を受けることが可能ですし、



さまざまなワークシートも
無料でダウンロードできます。




商品に独自性を・・・とお考えの方は、
登録してみてはいかがでしょうか?




ちょとした行為で、
大きく変わるかもしれませんよ^ ^



心から感じるもの



さて、我々は普通の生活から
抜け出そうと言う心がある以上、



特定の思想集団に入ったり、
ある教えに影響を受けたりします。



これは宗教だけではなく、意図的に
作られた組織など、全てに該当するでしょう。




これらはみな「特定個人」から
派生したものであって、
内部派生じゃないんですね。




そういった特定個人の組織に
共通しているのは、その個人の
特殊な独自性によるものでもあります。




なぜなら、そこにはあなたの
経験は一切入っていない。




それを誰でも経験できると
ある法則をテキスト化して、
それを教えたりするんですが、





リゾーム派生はこれとは逆に、
自己中心から自力で創り上げるもの。




別に何かを教義化して
教えるものじゃないんですね。




☞ ☞



さて、なぜ多くの人が
このような教義に身を置こうとするのか。



それは自分では体験できていない
圧倒的な「経験」を「そこ」に発見し、
それを求めているからでしょう。




例えば、宗教の発端はもれなく、
開祖が非現実的ではない「特殊な」
精神状態を体験した結果から作られています。




神の声のような神秘体験しかり、
宇宙と繋がったというワンネス、
悟りしかり。



成功ノウハウでもそうでしょうし、
自己啓発だって、似たようなものです。




しかし、そういった「覚醒的な」体験は
超個人的なものに限定される。




故に本来、他の人には
経験できない「はず」なんですが、




それを万人に通用しようとする。
この恣意性が、漢意です。



論理的な帰納法を駆使し、
一つ構造として組み立て、




AをしたらBになった
という、因果関係を可視化(形式化)し、



整合性・正統性があるように
世界観として体系化していくのです。




それが根幹となり、
様々な流派へと枝分かれしますが、




それを辿れば、「たった一人」の
個人的経験に基づいていると言うこと。




そして、それが提唱者の「個人的経験」であるという事は、



個人的真理だけが真理である、と言う
当たり前の事実を表してるんですが、



なぜか他人の答えをカンニングしてしまうんですね。



☞ ☞



それは人の生死に関する問題から、
日常生活の不幸や不運まで様々、



端的に言えば、我々が
普通に考えてもわからないことにたいし、



そういった「特定の思想」だけが、
快刀乱麻のごとく答えを提示できる、
という「絶対的なもの」となります。




彼ら(彼女ら)の答えは
矛盾してはいけないし、




質問に対し「分からない」が
あってはいけません。



なぜなら彼ら(彼女ら)は特別だから。




信じてついて行ったのに、
不幸になったり、失敗したら
特別じゃなくなくなりますからね。




彼らは、体験によって現実世界の不都合や
不合理や、悩みや、不幸を解決できる、とします。




商売であれば、成功した経営者が
体系化したノウハウによって、



生活の悩みであれば、スピリチュアルの
体系化した思想によって、




心の問題であれば、コーチや
カウンセラーの体系化したメソッドによって。




こういった「体系化」は、
あらゆる不幸や苦しみに対する、救済原理です。




宗教は救済原理が故に、他者は魅了され、
大勢が巻き込まれることで、



やがて大きな「普遍的真理」へと、
発展していったのです。



また、それらは
本来の日常を「嫌う」ことで派生している。




我々の普段の日常生活を
とても低い世界観として見ていると言えます。




辛い事、苦しい事が日々起きる
当たり前の日常をどうにかしたい、と。



しかし、それは本来の人間の
自然派生な生き方ではない、




それを見抜いたのが、
本居宣長であり小林秀雄であり、
この国の源流である「大和こころ」なんですね。




ファウストと和魂



ゲーテのファウストには、
悪魔メフィストフェレスに魂を売ってでも
「真理を欲しがった」博士が描かれています。




全ての学問を極めつくした結果、
「結局、何も分からなかった」と
絶望し、死のうとしたファウスト、




世界をロゴスで理解したいという
漢意は、我々の根源的な欲求でしょう。




ファウスト博士が求めたもの、
それは「全智全能」でした。




悪魔との契約で、博士は
若さと、全知全能を手に入れますが、
その結末は、どうなったでしょう。




これはあえて書かないでおきます(笑)
それぞれ、感じる部分があるでしょう。




さて、今日はそんな所から。。。




DEATH NOTE モノクロ版 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)/集英社

¥価格不明
Amazon.co.jp
個人的に漫画「デスノート」は
この話が元になってると思ってます。




さて、この国の職人が作るものは
知識ではなく「知恵」の部分が必要になります。



この知恵というのは、
法則化にも、マニュアル化にもできません。



また、今まで多くの経営者と
お話しましたが、それぞれの
「経営者のカン」を感じました。



知恵、勘、コツ、加減。
これは表層的な「ノウハウ」ではなく、
もっと深いところにあるものです。



☞ ☞



さて、西洋式のフランチャイズは
上記のようなものを「可視化」できると
いう「前提」によって構成されています。



これらが知識であれば、
形式化してマニュアル化できるのですが、



結局は、非常に浅薄で劣化する
「コピー」にしか、なりません。




そこで「ブラッシュアップ」によって
精度を高めようとしますが、




それは表層的な「見えるもの」に、
さらに手を加えるだけにすぎない。



いくら精度を高め、合理的な
設計書を作ったとしても、




実際、それをやるのは、非合理的である
我々人間ですから、当然想定外は出てきます。



企業ではオートメーション化が
進んでいるようですが、



最終的にそれらを利用するのが
「人間」であることは変わりません。




☞ ☞



論理重視(特に欧米人)は、
こういった手法こそ「真実」だと思っている
傾向があるように見えます。



よって、五感で認識できないものは
「無いもの」として考えるのですが、




これは唯物主義者の特徴であって
同時に、それは理性中心の限界なのでしょう。




今の経済社会はまさに
ファウスト博士と同じ道を進んでいる。




そこで、もっと素朴な所を
大事にしようというところから出発したのが、



今やってる日本流の精神を取り入れた
フランチャイズ継承なんですね^^



適当な幸福論2

こんばんわ、坂口です^^



さて、練成講座の開設に伴い、
高知県にある「岡潔思想研究会」との
ご縁を頂きました。



代表の横山氏は、岡家に何度も
足を運び、膨大な未発表の資料を集め、
この会を立ち上げたそうです。



生前の岡潔の側近である松澤氏も
参加され、活きた知恵を知る事ができる、



こういった出会いは
とても人生が豊かになりますね^^





さて、近況はこのくらいにして、
前回の続きでも。








我々はつい、相対的なところから
ものごとを組み立ててしまいます。



与えられた情報や、もっともらしい
ネット等の書き込みに迎合してしまい、
それが本来の世界だと思いがちです。



ただ、誰かの価値観の上に
あぐらをかいてしまえば、
思考は簡単に止まってしまうでしょう。



個人の幸福もしかり。



外部の幸福観というものは
さも万人向けのように仕立て上げますが、



それを手に入れれば、
必ずしも幸せになるものではない。



そもそも、外部派生の欲望は
必然的に飽きてくるものです。



家だって、車だって、嬉しいのは
最初だけだったりしますよね。



資本(マネー)も、万人を永続的に
幸せにすると思われがちですが、



貯金を1億もっていれば、
毎日幸せを感じれるものでもない。




ただ、これもまた絶対ではない(笑)
(車好きは車に飽きないので)




「無性の欲求」なんでしょうね。
それ以上は定義ができませんわ。



☞ ☞



閑話休題、
外部の相対的な幸せだけを
追求すれば、競争し、奪い、
独占する志向性になりがちです。




結果、劣等感や執着などで
苦しむこともあるでしょうし、



争いの原因は、相対的なものを
絶対だと思ってる事が大半です。



私はこう見えて、こう映る。
だから、これは本当だと思う、



私はこう見える、こう映る。
だからあなたは間違いだと思う。






こういった正誤(善悪)判断
そのものが、なくなればいいですね。




最近のテロのニュースを見てて、
得にそう感じます。



☞ ☞



自己中心である無性の幸福。



それはその人だけの
オリジナルな幸せです。



それは何かを作ることかもしれないし、
踊ることかもしれない。



歌うことかもしれないし、
描く事かもしれない。



やりたいから、それをやる。
これだけで十分じゃないでしょうか。



いろんな人の幸福論を聞くことは、
それはそれで良いんだけど、



その意見の多くは、
短期的なものばかり。



「これやってる人は不幸」って
いう、幸せの伝道師さんは多いけど、



「現在」辛いように見えるだけで、
他人に将来までは分かりません。




不幸を体験したからこそ、
将来の幸福を噛みしめられるかもしれませんしね。




それぞれが、それぞれに、
追求すればいいではないか。



僕はそう思ってます。







それがもし、人様のお役に
立てたとすれば、これ幸いです。




それができた人だけを指差し、
世間は成功者だと言ってますが、




僕はオタクの人や売れない作家でも、
立派な成功者だと思ってますわ。






連載開始~

春にちなんで、買ったお皿が
いまいち、しっくりこなかったんで、
実際に料理を乗せてみました。









肉を焼いて、市販のソースを
かけただけですけどね(笑)




この時期、桜柄のお皿が
結構出てますが、白ペースばっかり。
��持ってるけど)



��ピンク(桜)は黒が映えるでしょう」と
買ってみたのの、ちょっと心配でしたが、
いい感じでした( ´ ▽ ` )ノ




魯山人の言う通り、
器は料理の着物ですね~アップ




☞ ☞



そういや、この度FC専門家として、
コラム連載をスタートすることとなりました。



今まではお断りしてたんですが、
今年は頂いたご縁は全て活かそうと
思ってます。




良い記事を書きます♪
掲載されたらまた、ご案内でも^^

2015/02/04

適当な幸福論

こんばんわ、坂口です
二月に入りましたね^^



如月の名の通り、
重ね着してこれ書いてますφ(.. )









さて、今年の僕の抱負は
動く年だとブログでも書いたんですが、



だからといって、バタバタやってる
わけではなく、いい加減で適当にやってます(笑)



「いい加減、適当」=「相応しさ」




現在、この言葉はネガティブな
イメージを持たれてますが、




僕は「いい加減」が大好きです( ̄▽+ ̄*)ニパッ




色々と動くのは大事ですけど、
考える事を辞めていいわけじゃない。




もし、直感だけを頼りに動けば、
それはそれで、気楽かもしれないけれど、
振り返ると虚しい時間にもなります。




下手すれば、流されるだけに
なってしまうでしょう。
��会社員時代の僕のように)




同時にやってこそ、充実する。




僕らは考える葦、
思考する生き物でもありますからね^^




☞ ☞


現在、「ひとり考える」ことが
とても難しくなっているように感じます。



ネットによって他人と
いつでもどこでも繋がれる
環境の中、我々は生活していますので、



外部との「境界線」が非常に
曖昧になっているのではないでしょうか。



それは、一人の時間というものが
どんどん失われていく、ということ。




故に、だからこそ
自己の向き合い方や内部対話が
より必要となってくる気がします。




それができる人は、
容易に道を間違ることはないでしょう。



もとい、間違えたとしても、
自分で修正ができる。



その修正とは、「自分の世界認識」。
自分だけが幸せになる世界ではないか、と。



これはちょっと、とんでも話なんですけど、



もしかすると、自分と他人の世界は
まったく別物なんじゃないかな、と
思っているんです。




我々は、同じものを見ていて、
同じ様に感じているのでしょうか。



ちょっと怪しくなってきましたな(笑)
まあ、最後まで書かせて下さい。


☞ ☞



例えば、自分だけの概念って
ありますよね。



10人中9人が「白だ」というのに、
どうしても「黒にしかみえない」。




おかしいな、なんでだろう。
僕はおかしいのかな、なんて。




そうやって世間の意見に
迎合してしまう人が大半です。
��もしくは二項に分かれるか)



でも、それってホントは正しくて、
その独自性を世の中に現すことが、
大事なんじゃないかなって思うんです。




だいぶ前に書いたように、
世界は真っ白なキャンバスなんで、
好きなように書いていくものだと思ってます。




それは言ってみれば
��自分だけの世界を可視化すること」。




それによって、まだ知らない
もしくはなんとなくの感覚を
目に見える形にできるかもしれない。




それってすごく大事だと思うんです。







世間はみんなに見えるものだけを
大事にしなさいとか言うけど、




皆には見えないけど
自分だけが見えるものって必ずあって、




ここに幸せはくっついてるんじゃ
ないかな、と思ってるんですね。




ん。長くなりました。
次回に続きます。

2015/02/02

真理とは型

全員もれなく・・・とまでは難しいのですが、
共同体において、「明るい将来像」は希望を与えます。


我々はいつしか、そんな大きな夢を持てなくなりました。
長引く不況が原因なのでしょうか、
それとももっと前の、バブル崩壊後からでしょうか。


いや、もしかするとそれはもっと前、
欧米にキャッチアップし、経済大国になった時点かもしれません。


でなければ、バブル時の刹那的投機など
目先の利益を求めるような真似はしなかったはずです。


つまり国を上げての目標が実現した時、大半が
自分たちはどこへ向かえばいいか分からなくなった。


だからこそ、その不安から逃れるために
バブル投機の道へ進んだのかもしれません。



今日はそんな小話を。


☞ ☞ ☞


こんな時だからこそ、大きく明るい夢を持ちたいもの、
すぐに達成できそうな現実的なものでは不十分です。


マイナーチェンジを繰り返して辿りつくようなものは
新しい事をやらなくとも片付く以上、それが面白いわけがない。



人間には大きく分けて2種類のタイプがいます。
それは他人と同じ事をして安心するタイプと、
他人と違う事をやらなければ気が済まないタイプです。



今の時代、後者が求められているのは必然、
今までは「和を乱すもの」として、排除や教育対象でしたが
これからはこの能力が大変重要になってきます。



もちろん、加減を知らず何でもかんでも
他人と違っては機能しません。


ただ、その意識がある人と、ない人では
仕事に対する意識が全く変わってきます。


他人と同じようにやる人は、仕事とは「こなすもの」。
質は変わらないので、量だけの勝負となります。


反面、違った事をやる人は仕事は「楽しむもの」。
二番煎じでは満足できないので、必然的に質は向上します。


量から質、ダイヤモンドは希少だからこその価値であって、
仕事にも、我々にも、同じ事が言えるかもしれません。









さて、FCは同じ仕事をやるシステムである以上、
そこに大義名分があっても楽しくはないでしょう。



僕は新しいFCを提案しています。
それはFCであっても、仕事を楽しめる仕組みです。
(もちろん、各自が型を持ってから)



楽しめる、とは一体なんでしょう。
そもそも、「人と同じ事をして楽しい」などという人は
楽しさの本質を分かっていない。


それは楽しいのではありません、「楽(らく)」なのです。
ラクで楽しい仕事なんて、存在しません。



人と違う事をすれば苦労が伴うのは当然の事、
それを乗り越える過程があって、初めて「楽しい」のではないでしょうか。


前例のないものにチャレンジする事も楽しいものです、
前例(数字)がないものだからこそ、叩かれもします。



中にはその概念を批判的に考える人もいるでしょう。
大きな夢や概念を、過去から前例から考えるからです。



そんな人は相手にしなくていい、それは
会社員から独立する時に引きとめようとするタイプ、
彼らは自分が経験したことないものに対し、否定的です。



よく自分が理解できる範囲内において
アドバイスや助言をする方がいらっしゃいますが、
それを超えたら批判に転じる、よく見る光景。



聞くべき部分はそんな多数の声ではなく、
知識者、専門家の声ではありません。


メリットとデメリットを綿密に計算し、決断する。
この決断が成功の鍵を握ると仮定するならば、
それは一つの型(パターン)です。


そのパターンの中には前例を超える為の挑戦や
目の前にあるたくさんの課題をクリアするための試行錯誤がある。



真理は部分ではなく、そんな型(パターン)が
幾重にも重なった状態にあると個人的には思っています。



その型が暗黙知、言い方を変えれば静態的科学ではなく、
動的、経験科学とも言えるでしょう。


日本のアイデンティティ





さて、ガラパゴス化と言われるように、
どうもこの国は「特殊な国」だという
イメージが根強いのですが、




理解できないものを「特殊」にする
考えは、学者達の怠慢ですね。
「見えないもの」を見ようとすると、
こういった解釈になりがちです。




見えないものとは感じるもの。
日本はこの情緒こそ、根幹であって、



そんな繊細な精神性の「結果として」、
歌や詩が表現されていたのです。



誤解を恐れずに言えば、
この国の精神性は他より一段高い。



例えば、源氏物語は1000年前の
女性(紫式部)が書いたものですし、



国家「君が代」は、古今和歌集の
短歌を元に、作られています。



無形文化遺産である和食を見ても、
諸外国が手で食べていた時代に、
この国は箸を使って食べていたわけです。



それらは「モノゴト」ではなく、
人の「ココロ」から派生するもの。



形式ではなくその背景を知る、
それが伝統に触れる近道だと思います。









さて、以前書いた職人や
丁稚という継承智も、その時代から
すでに存在していたと書きました。



1000年以上続いている企業の
大半が日本にあるのは、こういった
継承性によるものでしょう。



日本と似たこだわりの精神を持つ
ドイツだって、100年以上の
企業数は、2000社程度だと言われます。



これが米国となればどうでしょう、
多分、数えるくらいじゃないでしょうか。



これは批判ではなく、外国の
インスピレーション型(理の型)が
短期的な志向性、横の拡大である半面、



この国は情緒(情の型)であり、
志向性は縦の向上なのだと思います。




終わりなき無と、終わりある有。
そして、その対角線上にある「間」と「境界線」。



そんな縦と横が織りなすことで、
中庸の世界が構成されるのかもしれません。



故にその「加減」を経験し、知ることが
縦横無尽な自由だと、個人的には思ってます。



☞ ☞


さて、こういった世界の雛型を
江戸時代ではすでに作ってたのですが、
実際のところ、あまり知られていません。



現在、「本当の歴史を知る」には、
ちょっと手間がかかるのです。



なぜなら、今の教科書に書かれている
歴史は、中国よろしく意図的に作られたものだから。



GHQは、戦後日本の文化や伝統を
つまらないものと思わせる為、
教育によって変え始めたんですね。



結果、文化や伝統、精神性を否定し、
自我こそ「じぶん」だと信じてしまった。



自分にとって損か得か。
自分にとって有利か不利か。




そんな部分の最適を目指す姿勢は
勝ち組や負け組という概念を作りました。



勝ち組こそ絶対的幸福だと
一神教的な考えを盲信してしまい、



それによってピラミッド構造が生まれ、
支配・被支配の二極化へ向かってしまった、と。




まあ、「一見」成功したかに見えますね。



☞ ☞



現在この構造がことごとく
崩壊しているのが分かるでしょう。



教育しかり、経済しかり、宗教しかり。
現在「揺り戻し」によって転換しています。



後はオセロと同じです。
角さえ変わったら、一気に変わるでしょう。



その「角」の目星は付いているのですが、
書くのはちょっと控えますf^_^;




今でも理性による正しさの追求を、
力の証だと思っている人を見かけますが、



そもそも論(前提)が間違っている。
これも前回「漢意」で説明しました。



理性を使えば、弁護士よろしく
殺人だって正当化できるわけです。



そんな正しさ、間違ってる。
我々の心が、納得しないのです。



それがだんだん形になっているからこそ、
変化の時代だと言われているのでしょう。



unreveでは、これを変化ではなく
回帰だと捉えています。



☞ ☞


現在、幸いにも日本の本来は
この国を訪れた外国人の著書によって
「ある程度」知る事ができます。



情緒がよく分からないからか、
見たままを書いているのですが、
絶賛している人がとても多い。



科書をはじめ、御用学者や
師の多くは、一番大切なことを
えなかったわけです。




いつの時代でも、情報を丸ごと信じず、
自分で見極めろと言ってるのは、



こういった恣意的な「教」が
情報にあるからなんですね。



自分の心の声を信じましょう^^




【後記】


数学者である岡潔は、数学の世界でも、
感情に満足を与えるのは
理性や知性ではない、と言います。



矛盾がない、ということは
矛盾を感じない、ということであり、



本質的な理解は「感情」、
心の部分なのだ、と。



そこから彼は自分の生き方を
以下のように答えています。






宗教の世界には自他の対立はなく
安息が得られる。


しかしまた自他対立のない世界は
向上ももなく理想もない。


人はなぜ向上しなければいけないか、
と開き直って問われると、


今の私には「いったん向上の道に
いそしむ味を覚えれば、それなしには
何としても物足りないから」としか答えられないが、


向上もなく理想もない世界には
住めない。


だから私は純理性の世界だけでも、
また宗教的世界だけでもやっていけず、


両方を兼ね備えた世界で生存し続けるのであろう。


2015/01/28

花伝書「破」

日本人にはアイデンティティがない、

これはずいぶん昔から言われる事です。







しかし、これは厳密には異なります。

本来は、場の空気をアイデンティティより優先させているのです。







ルース・ベネディクトの「菊と刀」でも、

この国に脈々と流れる精神性が露わになっています。







それは美であり醜の根源性でもあります。

ここにこそ、我々に必要な答えが隠されているのです。







全体の俯瞰によってその欠片を探してみましょう。









と言う訳で、リーフ理論、花伝書「破」、開演でござーい











さて、この国は、取り入れ、問い、編集し、出す、

を繰り返す事によって、常に変化し続けています。





この国が「方法の国」と言われるのは、こういった

同一主語を繰り返し回帰し続けているからです。









丸山眞男は外来思想を度々修正する、という

変化の仕方が変化しないのがこの国の特徴であり、





その意味で日本人は常にキョロキョロしている、と指摘します。







つまり、常に新しいものを外部に求めながらも、

その求めている自分自身は一向に変わらない、と。









これがこの国の「振る舞い」であり、

この国の基本パターン、と言う事です。







☞ ☞







「いや、俺は完全に自分ルールで生きている」と

反論する人もいるでしょう。







しかし、この「いや、俺は・・・」のような

反応こそが、なによりの証拠なのです。





本当に自分ルールだけで動いている人間は

「外部の意見」なんて、気にも留めないし、反応もしません。

こういったブログも見る事はないでしょう。





そんな事から、この国は外部の世界の変化に

対応することに、なんら躊躇いがありません。





それは自己同一性の精神が高い為、

自己と他者の境界線が曖昧になっているのです。







鬼畜米英から、アメリカ万歳、と。

その変わり身の早さはピカイチなのです。







これが欧米のような絶対的な原理や、厳密性を

追及するようなものであれば、必ず対立するでしょう。







それが絶対であればあるほど、その溝は埋まらず、

訴訟であったり、力によって押し通そうとします。







反面、この国はその「溝」を重要視しているのです。







己の一貫性よりも集団の場の親密性、

長いものに巻かれる、という態度は日本人のお家芸、







それは受動的な態度による親密度の表れであり、

丸山眞男の言う「超国家主義の心理」の事です。









絶対的な価値対象に「寄り添う距離」によって、

自分の役割や力関係を決定する、と。









自分で正しい道を探し、判断を下すのではなく、

「正しい判断をしてくれる人」を探し、その身近にいることを優先するのです。



☞ ☞





こんなことは何年も前から分かってます、

多くの研究者が指摘してきているのです。







しかし、そんな貴重な意見や知恵を自己に取り入れ、

繰り返し言及することがなかった。







常に「より新しい情報」ばかりに目が向き、

それを取り入れる事だけが目的化してしまった。







つまり、常に新しいものを探しまわり、

それに対し「そこそこの編集する」、







そんな日本人の本質は変わっていないのです。









不幸な事に、世界の基準には順応できるけれど、

肝心の自己からは「世界基準」を提唱していない。









相対的な優劣性や劣等性が養われた反面、

絶対的な価値対象を自ら提示することができない。







外部には答えはない。それでも外部に求めてしまう日本。











実にもったいないとは思いませんか?















さて、いよいよ次回、これを一刀両断、断絶します。













花伝書「急」、お楽しみあれ。








2015/01/27

花伝書「序」

さて、我々人間には動物の生き方と、

植物の生き方の2種類があります。

それは「農耕」と「狩猟」の違いでもあります。





動物の生き方とは、例えば自ら目標を決め、行動し、

未来を開拓します。





空腹になれば他の動物と戦います。

力の差によって制する事もあれば、制される。





これが動物の生き方であり、今までのビジネスモデル。

男性社会とも言われるものです。





反面、植物の生き方とは女性性の生き方、

植物は自らが望んでその場所に生えたわけではありません。





誰かが植えたのか、それとも種子が風に乗って落ちたのが

「たまたま」その地だったのか。





自らの意志でその場所に、生まれているのではありません、

場合によっては劣悪な環境の時もあるでしょう。





しかし、いったん根を下ろせば、全力で大きく根を張り、

水や栄養を自らで吸収します。





枝を伸ばし 葉を広げ、そこから太陽の光を受けることで

静かではあるけれど、力の限り努力をします。





これが植物の生き方です。










木から離れ、独立している葉っぱというのは

あり得ません、構成する全ては木(全体)の一部です。





にも関わらず、我々は自分が独立した一生命体だと

時おり誤解してしまいます。





unreveではそれを「自我中心(ego)」と呼んでいます。

それは、我々にこんなことを囁き続けます。





「成長しなくてはダメだ」



「もっと強くあるべきだ」





常に不足感をもった「それ」は満たされることがなく、

お金、名誉、地位などで埋めようとしますが、

決して満たされることはありません。





「まだダメだ」



「もっと必要だ」





そう言い続ける自我とは樹木に対しては反の位置、

動物的な生き方といってもいいかもしれません。





だから動物には消えない欲求があるのです。

食べなくてはいけないし、寝なくてはいけないのです。



それに対して「自己中心」とは

樹木と「合一し、一(非)となる」ものです。





自分が「ある側面からすれば」他に全面的に

依存している完全な理解であって、

独立して生きていない、という絶対的な証明です。





それによって自我は根こそぎ否定されます、

まさに絶対自己否定からの「植え替え」が起こるのです。





この理解度が低いと、

怪しい宗教になるのでご注意のほど(笑)





☞ ☞





このように、利己的に、自己肯定的(自己正当化)で考え、

語り、行動するということはまさに独立した「葉っぱ」である以上、



独立した個人ではないと完全に理解すれば、

そういった考えはなかなかできないことです。





故に「動物の生き方」という独立した個人(男性性)の時代は

終焉(転換)を迎えている、のではないでしょうか。



☞ ☞



さて、この自我否定によって、

肯定的な自己は出てきようがない、と書きました。





しかしそれでは自己肯定感が低いじゃないか、と

思われる人も多いでしょう。





もちろん、これで終わりではありません。

なぜなら、自我中心であっても、全体として

反逆した一部としても、我々は生きていけるからです。





見れば、どこまでも我を通し、反逆する自我の世界と、

その自我をそのまま受け入れている世界があります。





ありのまま「の」自分を承認してくれている反面、

ありのまま「が」自分ではないと否定している。





言わば「否定の否定」、主役であり脇役、主体かつ客体。

これは(端的な)絶対矛盾的自己同一であり、



三浦梅園の剖対反比図一合、一即多、多即一の原理。





あらゆる宗教はその主人に神を持ちだし、

精神世界では宇宙とやらの大いなる意志を持ちだし、

科学ではその主人に数式を取り入れましたが、





上記のどちらも「100(絶対)」の証明であって、

同時や矛盾(無常)を絶対(常)としていないんですね。





悟りとか、目覚めとか大層なことをせずとも

そんな感覚さえ持っていれば、人に優しくできそうだと思いませんか?





長くなりましたが、

以上、花伝書「序」でした^^


2015/01/21

経営哲学について

経営哲学とも言える回帰論に関して前日書いてみました。


こういったものを書いているのは、
今後、芯の通った経営が求められると予想しているからです。


それは決してコンプライアンスなどのドグマを絶対化した
非人間化・非個性化・画一化の道ではありません。


それは相手に強制するものではなく、人間中心設計、
個性・多様といった多彩なものを表現する為に
己の色を明確に打ち出す、ということです。

マス最大化の時代は終焉を迎えつつあります、
また、利益を追求することが第一目的としている企業では
これから先、苦戦を強いられるのは間違いないでしょう。



ひたむきさを取り戻す、と書くと大げさですが
それがこの国ならではの強み、独自化の第一歩です。


今日はそんな小話を。

仕事の哲学 (ドラッカー名言集)/ダイヤモンド社
¥1,512
Amazon.co.jp
岡山県にあるデニム販売会社「KAPITAL」、
この会社は高級ジーンズを生産販売している企業です。

代表は平田俊清氏、根っからの職人気質で、

例えば主要商品であるデニムを「作品」と呼び、
藍染めには一か月以上染色するというこだわりようです。


また、新入社員にはまず半年間、工場で製品を作らせ、
そこで実際の製造工程を学んでから各ショップへと配置されるようです。


作り手から売り手へ、という教育フロー。
もちろん、その無形効果は言うまでもありません。


そのこだわりは世界へ広がり、
かのベッカム選手も愛用したのだとか。


僕も一着だけ持ってます(写真は別もの)



さて、そんな平田氏は哲学がまず先にあって、
その結果として圧倒的なファンが増えたのです。


哲学なき企業とは戦略なき戦術のようなもの。
軸なき理念では、「自分を生きた」という軌跡そのものが信じられません。


だから自分の色が分からない、
分からないから他の成功者の出す色に染まりやすいのですが、
それはその人の色であって、自分が馴染むとは限りません。


また、それは「強み発掘」でもありません、
強みは戦術レベルにおいて、その効果が発揮されます、
つまり短期的な目標レベル達成において意味があるのです。


逆に戦略は構想であり理念、あるいは価値判断の基準です。
その戦略の段階で「最善だ」と言えるものを作るのが「リーフ理論」です。

だからこそ、それを考えるのはとても価値があることですし、
それは自分でやらなくては意味がないのです。


組織内に置いては短所とも言える反骨心や謀反心は
この場合においては長所と言えますね。


2015/01/20

根をもつこと



女性哲学者は、その数こそ少ないけれど
その思想には、ある深淵さがあります。


それは多分、女性性の方が男性よりも
見えないものや抽象的な物事である本質を
掴みやすいからかもしれません。



しかし、「巫女薄命」というべきでしょうか。
神がかり的な女性ほど短命です。


池田晶子氏が46歳、シモーヌ・ヴェイユ氏は34歳、
金子みすゞは26歳・・・・あまりにも早い死です。


今日はそんなヴェイユの小話。

根をもつこと(上・下) (岩波文庫)/岩波書店

池田晶子はカントのように人間の義務は
善への志向性としました。


同じくヴェイユもそうでしたが、その志向性は
ちょっと語りにくいもの。


そのまま、ありのまま。
そんなラディカルな美の形而上哲学とも言えます。


強いから、美しいから、
善いから愛するのではなく、
愛すべきものを自己に取り込もうとするのではない。



対象への支配ではなく逆であり、
(自己)否定からくる(自己)無化的な
人格を純粋な美(善)としたのでしょう(多分)



美意識は千差万別ではあるけれど、本質的な
それ(美)は真理へ至る道だとヴェイユは言います。


☞☞


彼女からすれば、金や名誉、権力などの
享楽への美や愛は単なる享楽であり、間違った美しさです。



本質の美とは、何かを加えたり、
減らしたいと思わないもの。



つまり理由が一切なく、
それ自体が目的として存在している、と。



例えば、自然のありのままの美しさを見た時、
「もっと美しいものがあるはずだ」と比較することはありません。



なぜなら、それ自体がすでに目的として
存在しているという絶対的なものなのですから。




端的に、それを「全力の表現」 と
言えるのではないでしょうか。



☞ ☞ ☞



最近涙もろくなったせいか、小さな子供たちの
運動会を見ていても涙が出そうになります(笑)


全力があまりに神々しいからかもしれません。
ヴェイユ自身書いてはいないのですが、
全身全霊こそ美しさではないでしょうか。



それくらい、力いっぱいというものは人を惹きつけるものです。








ただ、これだけではヴェイユを語ったといえません。



彼女は自己を無化すると同時に
形而上の善へと向かう「人格」があった。



それは「ない」ものを求める「存在がある」という
パラドックスでもあります。



ストイックなまでに真理を追及したヴェイユにとって、
それは耐えがたいものだったのでしょう。



多分に、「根を持つ」ことだけではなく、
「枝を伸ばすこと」も必要であって、




地に足をつけることと、羽を生やすことという
相反する状態が補完的である証拠ではないでしょうか。




ただ、これを書いちゃうと
内容が変わってきますね(笑)




ん・・・・ちょっと書く気がなくなっちゃいました(・・。)ゞ



また機会があれば記事にしようと思います、はい。
(全力で書け)


2015/01/12

自然派生と揺らぎ・遊び

こんばんわ、坂口です。
先日は綺麗に月蝕が見れましたな。



月をゆっくり見るなんて久しぶりです。
忙しい時は空すら見ることもない。



気が付けば年の暮・・・にならないように
したいものです(笑)




前置きが長くなりましたが、
そんなわけで、前回の続きでも。







さて、ビジネスにおいての「守」とは
芸道のような高尚な形式美でなく、


人が学ぶ際、すべてにおいて通じる
学習のプロセスを指します。



我々が身につけるには反復あるのみです。
ギターに一回だけ触れただけでは演奏なんて
できない、これは議論するまでもありません。



こういった、学ぶ基本である反復において
必要なのが「型」、というわけです。
プロセスであってゴールじゃない、と。


例えるならば、脱皮するヘビみたいなもの、
成長にはこの「型」が邪魔になるんです。


そういやニーチェは脱皮できないヘビは
滅びると言ってました。



なるほど、成長の定義は違えど
言い得て妙ですな。



☞ ☞
これを現代人は間違えて捉え、
完全にマニュアル「至上主義」になりました。

マニュアルとは始点であり終点、
変わらない原理ってこと。


今のオペレーションなんて、完全に
機械と同じことさせようとしてるでしょう、
あれじゃそのうち、本当のロボットになっちゃう。


「これをすればこうなる」と、
あらかじめ正解が用意されてるわけです。



当然そうなってしまうと、
自ら考える余地なんてありません。


やっても怒られるのがオチです。
特にチェーン店は例外を嫌いますから。


ただ、それで創意工夫は生まれますか?
生まれるわけがありませんよ。



だから前回書いたような「正常」って
概念が生まれてくるのも、ある意味当然ですわな。


その状態では統計的に数字も取りやすく
管理だってしやすいでしょう。



しかしそれ以上のパフォーマンスは
一生起きないわけです。



そんな状態にさせておいて、今さら
「主体性」とか「イノベーションを」なんて、
ことを言ってるのが今の組織なんですが、



いやいや、主体性を無くし、
思考停止でも稼働するシステムを
作ったのは、あんたらでしょうが、と(笑)




こうなると、組織は進化したのか
退化したのか、分かりませんよね。




だから守の次には創意工夫である
「破」が必要なんです。




ん、長くなりましたな。
次回へ続きます。


2015/01/06

型にはまる

こんばんわ、坂口です。


新潟行きが、ちょっと延びそうですが、
寒くなる前に行きたいものですな(笑)



さて、前回に続き3回目となりました
守と、自然派生の揺らぎ・遊びについて。



相変わらずの長文ですが、ではでは・・・




☞ ☞



守とは言わば型であり元であって、
自然には派生しない、とお伝えしました。


そこから来る「破」であり「離」こそ、
自然派生であり、主体的な創意工夫なわけです。



よって守だけ、型だけで固定してしまうと
今のような「答えを欲しがる人」が増えてしまう。



これが「型にはまった」状態です。
それが楽だから、安住してしまう、と。



ただ、世の中答えがないものが大半ですし
幸せは「型」の中にはありません。



それでも楽な「型」を選んでしまう。
これは現代病なのかもしれませんな。





今の時代は片手で結果が出る時代、
マウスをポン、スマホをポン、チャンネルをポン、です。



下手すれば人との関係性でさえも
「イイネ」をポン、と押せば出来ると思ってる。



そんなバカなことはありません。
それで繋がる関係性って、脆いもんですよ。



だから頭だけでなく、実践によって
体験することにこそ、守の意味がある、



僕はそう思っています。



☞ ☞ ☞



これは教育の土台でもあります。
言わば、今ある議論のもっと前の部分です。



だって教育は思想の建造物ですから、
思想が変に偏っていたら、教育も変に偏るわけです。


じゃあ、その変な偏りとは何なのか?というと
なんと、国家の偏在でもあるんですな。



戦後教育とか言うじゃないですか。
あれで国民の意識がゴロっと変わったわけです。



意識が変われば社会は変わり、
やがて無意識的な型を作りだします。



親がそのまま「型」にはまれば、
当然、子供もそうなります。



だから初めは型ありき、なんです。
モラルの欠如とか言われますが
モラルなんて、まさに共通した「型」でしょうが。




よって、「正しい型」を共有した多様性、
これが正しい。


☞ ☞


最近「子供は抑えつけないで自由に」と
言ってますけどね、正しいのは半分以下ですよ。

だってそうでしょ。
頭に入ってない状態で脳が勝手に
「善悪の区別」を作りだせるわけない。


野良ネコみたいに道路に飛び出すし、
高層マンションのベランダに出たりと
危なっかしくて目が離せません。


だから最初は教え込むわけです。
これはやったらダメ、これは危ない、ってね。



「ちゃんと座って食べなさい」とか、
「お行儀よくしなさい」とか、
いちいち、わざわざ、繰り返すんですが、



子供って親の言う事は聞かない反面、
親のやることは、言われなくとも上手に真似します(笑)


つまり「躾」とは頭にいれる知識じゃなくて
身体的な「表現」ということ。



よく「様になる」っていうでしょ。
それって、その人の立ち振る舞いから
形式美を、感じてるわけです。



それは面影として残ります。
子供はそれをベースにして、模倣するんです。


☞ ☞



身体と心は繋がってますから、
精神的なものは、高度化されます。
それがいわゆる「恥」という概念です。


「これをやっちゃー、人としてお終めーよ」
ってやつ、いわゆる応用です。



なぜなら「人として」という型がある、
ただ、肝心の「ヒト」の定義が分からないと
身につきません。



これも人工的でもあり、自然なもの。
だから昔は「恥」を教え込んだんです。



今はどうでしょうな。
どうも自由に負けちゃってる気がします。





村上春樹の「アンダーグラウンド」には
駅員のインタビューが書かれてましたが、
なるほど、言い得て妙です。


駅員が掃除し、掃き終えた所に
タバコをポイ、と捨てる人がいる。



そんな社会でサリン事件が起きたのは、
不思議な事じゃない、と。



現代はモラルより自我主張が強い、
結局はそこに繋がる気がしますわ。


とまあ、最後は仕事の守とは全く違う
方向に行ってしまいましたが、



まあ、ブログは僕の部屋ってことで、
ひとつご勘弁のほど・・・(笑)


縁と所縁(ゆかり)

この間、千葉雅也氏の著書
「動きすぎてはいけない」をamazonで購入しました。

動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学/河出書房新社
¥2,625
Amazon.co.jp

サブタイトルはリゾームの生みの親である
ジル・ドゥルーズ。

内容紹介にはこう書かれています。

もっと動けばもっとよくなる
もっともっとつながりたい



……動きすぎ、関係しすぎて、ついには身動きがとれなくなった世界でいかに生きるか。待望のドゥルーズ入門。


なるほど、過剰接続と言われる
SNS社会の警告でもあるようです。
(まだ届いてないんですよね)


今日はそんな繋がりについての小話を。





さて、人類がまだ農耕をしらない時代では祖先を同じと信じる者同士が寄り集まり、部族を形成したと言われます。



男は狩猟、女は採取。共通項の神話や伝承があり、象徴や紋章を結集の証として、同族意識を高めました。これは今もなお、未開の地に住む遊牧民に見る事ができます。


やがて文明が生まれ、農耕が伝わります。農耕の起源はいくつも諸説があるのでここでは省きますが、それによって共同体の形態が一変します。



今まで血縁をモニュメントで色濃く繋いでいたのが、それよりも同じ土地を耕す者同士を結ぶ「地縁」が重要になったのです。


それは形而上とも言える「創作的繋がり」から、生産手段としての「合理的繋がり」という、形而下での結合。


農耕社会はこうやって「場所的な繋がり」を色濃くし、排他性を持ちます。それがいわゆる「村社会」です。


なるほど、「水は血よりも濃い」という言葉は
土地と水利を守っていた時代を象徴していますね。






そこから産業革命により血縁や地縁に縛られた人達は解放されました。否、崩壊と言うべきでしょう。マルクスのいう「何物をも持たないという意味で自由な労働者」です。



ただ、我々は経済だけで繋がるほど強くありません。物質や労働力の交換とは違う「共有意識」が必要です。それが血縁や地縁に代わる新しい縁(職縁)なんですね。単なる労働交換の場ではなく、公私が入り混じった共同体です。


これが一番馴染んだ(?)のがこの国だと言われます。なぜなら、この国には宗教意識が非常に薄い事が考えられます。また民族性が単一に等しく、人種差別もない。話す言語も(方言はありますが)共通です。


多くの人が都市部へ向かった高度経済成長期には
地縁も血縁も、あっという間に崩壊したんですね。


逆を言えば拠り所にする場が「職縁」のみ、となったのです。


昔、「24時間働けますか」というコピーがありました。サラリーマンが仕事熱心なのは企業への忠誠心や勤勉気質だけではありません。それは職場と言う共同体に「安心感」を求めているのです。


帰省ラッシュの様子




ただ最近のリストラや倒産、企業30年説を見ればこの「職縁」も崩壊しようとしています。だからでしょう、冒頭のような「過剰接続」は無意識的に、どこかに安心感を求めているような気がします。



現在、そのどこか(インフラ)がないまま
SNSによって「繋がる」インフラが先に作られています。



そこで生まれたのは緩やかな「全体主義」かもしれません。



もっと動けばもっとよくなる
もっともっとつながりたい


動きすぎ、関係しすぎて、
ついには身動きがとれなくなった世界でいかに生きるか



昔は「しょーがない奴だな」で片付いていたのですが、
批判、吊るし上げ、炎上は日常茶飯事です。



自由に縁を生み出せるツールも
場合によっては監視・管理の手段となります。
適度な距離感(ほどほど)が一番難しい。



それは、安心できる拠り所がないまま繋がることで起こる
一種のジレンマなのかもしれません。




新しいインフラは何でしょう。
僕らを縛るもののない共同体は何でしょう。




それを提示する為にも多様を認め合うリゾーム派生を考えてたりします。






2015/01/01

分と加減2

前回に引き続き「分と加減」です。



僕が伝えている加減の定義とは色々な意味を含んでいるものをメタファーとしています。それは最適化であり分別であり了見の事です。この分別の「分」というものは、この国ならではの美意識です。それは暖簾分けの「分」であり、自分であり、気分であり、分担を表します。



前回、二宮尊徳は仕法と分度の思想を伝えたと書きました。収入を上回る支出は必ず破綻する。よって「分を弁え」それに応じた生活や事業を行う事が分度の意味です。




例えば、8代目将軍である徳川吉宗は庶民的な感覚、質素倹約の精神を持っていたと言われ、享保の改革を行いました。改革を行った理由は商人達を抑える為だといいます。家康も江戸の活性化の為、商人(商売)に重心を置いていた反面、商人を一番警戒していたと言われています。


商人が諸外国の貿易によって分を超え拝金主義へ傾き、お金によって人を支配するようになることを恐れていたのです。人の心性なんてものは今と何ら変わらないのですね。



その後、家康の予感は当たり、商人が起こした江戸資本主義によって今の政治家ともいう立場の武士は金を湯水のようにつかい、幕府の財政はどんどん悪くなっていきます。これをどうにかしようとして行った改革が享保の改革なのです。



そもそも江戸時代の国作りの基礎となっていた「士農工商」は身分差別ではなく、それぞれが分度のように「分をわきまえる」事が目的。お互いが尊敬し、各自がお互いの役割に誇りを持つことで、調和するためのものでした。よって(武士以外)希望すればどの職業にでもなれたのです。


吉宗の政治は一部の問屋商人からは嫌われた将軍なのですが、庶民の声を聞く目安箱を見るように、積極的に下の声に耳を傾ける人でその功績から後に「中興の祖」と言われます。まあ、吉宗には色々と黒い噂はありますが、結果として潰れそうになった幕府を立て直した名君ですね。



ちなみに織田信長も活性化の為に商人の楽園を作った人です。有名な「楽市楽座」は安土に来た商人は無税とし、商人達にとって楽園のような場所にしました。まるでコモンズの悲劇ならぬ喜劇です。その影役者には蒲生氏郷という天才経営者がいて、彼が西川利右衛門を始めとする近江商人や会津商人を育てたと言われます。



蒲生氏郷がまた男から見ても惚れそうな仁義の持ち主で、有名な話に「蒲生風呂」というものがあります。蒲生氏郷は貧しい大名時代でも、たくさんの優秀な家来をもっていました。当然、他の大名は不思議に思います。なぜ給料が満足に払えないのにそんな優秀な家来がたくさん集められるのか、と。
なぜ集まったか、というと蒲生は誠意を家来に示していたのです。手柄を取った家来を家に呼び、自ら風呂を沸かし、湯加減まで見ていた。今でいう社長の立場である人がそうやって態度で示したのです。当然、家来達は心を打たれた。蒲生の家来達は結束力が抜群に高かったそうです。



先ほどの商人たちが金に狂ったのと同様、
人の心は何年経とうが変わらないですね^^


☞ ☞


最近、右だ左だ、やれ中央だと世間がやかましいのですが、どっちにせよ、極へ向かえば悪くなるのは世の常、理です。歴史振り返れば、自我欲求による勢いが強まる時、必ず方向性を最善にする動きが起っています。振り子は必ずバランスを保つ、中空構造でいう「ゆり戻し」です。それはまるで日本版の「神の見えざる手」のよう・・・理性だけではなくこういった人間精神では説明できないものがあるんだと、最近思います。




余談ですが、カントは理性を批判し、ヘーゲルは理性側に着きました。個人的にはカントの方が分を弁えていたように見えます。哲学の限界を知り、その境界線をスパッと引いたのですから。






「吉宗って聞くと暴れん坊将軍が出てくる・・・」と思った方は
office unreveの公式ホームページも、ぜひ一緒にご覧くださいませ(笑)


分と加減

無頼派文豪である坂口安吾は裕福な家に生まれながらも、薬物中毒で躁鬱病でギャンブル好きという破天荒な人生でした。自我だけを愛し、自我と共に生きることを正当化した著書が「堕落論」です。


~私はただ人間、そして人間性というものの必然の生き方を求め、自我みずから欺くことなく生きたい、というだけである。私が憎むのは「健全なる」現実の贋(にせ)道徳で、そこから誠実なる堕落を恐れない事が必要であり、人間自体の偽りざる欲求に復帰することが必要だと言うだけである。人間はもろもろの欲望とともに正義への欲望がある。私はそれを信じ得るだけで、その欲望の必要的な展開については全く予想がつかない~(堕落論p128)


安吾氏が様々な思想や哲学によって回帰した答えではあるけれど、僕は賛同できません。結果論から見れば、これは単なる快楽主義です。「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」というのが自論だった坂口安吾は49歳にして亡くなりました。はたして、彼は自らを救えたのでしょうか。



プロセスは分かる、けれど拒絶する・・・
そんな矛盾した答えが僕の中にあります。


今回はそんなとこから分と加減の小話を。








西洋思想の根幹をなすエゴ(自我)は人間の一部であり全体である以上、捨て去るものではなく、向き合わなくてはいけません。問題はその「向き合い方」、エゴは拡大するだけで加減を知りません。



料理で例えるならば、アメリカは塩をドバっと入れてその帳尻を合わせるためにまたドバっと水を入れるようなもの。必然的にアメリカは大味で、それを良しとしている所があります。基本的に加減を知らない為、繊細な味は出せない(出したくない)。ボリュームとカロリーだけはやたらと高い(笑)




そんな帳尻合わせが大の苦手なもんだからグローバル化したりFRBで無尽蔵にお金を刷ったりしながらでもどうにか合わせる(合わせるけれど重ならない)。
「微妙で曖昧」なものを、「チマチマしている」と思っているので、食べ放題、取り放題、やりたい放題というものが自由だと思ってしまってる、端的に言えば彼らは「放題」が大好物なのだ。だからぶつかればお互いの主張は強いし、止まらないので弁護士が白黒付けないと気が済まない。「しつけ係」の宗教でさえ、取りこんでしまっているのだから、余計にタチが悪い。



ただ、この方向性が上手く行けば、ロケットとか特効薬とか新技術をバンバン作る「革新」になるし、排他的・閉鎖的じゃないオープンな関係性だって作れる。大事なのは方向性です。



日本の生活様式も今まではデジタル化、いわゆる白黒論を優先していました。それは合理的で効率的な選択しなのですが、そういった判断は、無味乾燥なものと表裏一体です。だからでしょう、最近、白黒ではなく灰色といった曖昧な答えや、それに伴った「気遣い・心配り」が目立ちます。



多様な自我を最善へと向ける。
そんな矛盾したものを合一させるのはこの国のお家芸です。



二宮尊徳の思想「報徳」は裏を転じて表にするという循環性を説きました。元々は論語から来ています。報徳には勤労、分度、推譲の3つのルールがあり、分度とはunreveの加減。自ら判断し、ブレーキをかける事で、そういった自律的な加減をこの国では「裁量」とも呼んでいます。


そんな自我を抑える自己、利己を抑える利他はマクロもミクロも過去も今も変わらず続いているのですが、継続性を考えると「分や裁量」という自律の精神はこれから大事になってくるのではないでしょうか。


長くなったので次回に続きます^^


unreveの事業内容について




                        
グッさんの一期一会ブログ
                                

初めまして、中小・個人向けフランチャイズ支援を行っているunreveです。



では簡単にunreveが支援する内容をご説明いたします。

少しの間お付き合いください。





゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ 飲食店経営(Bさん)の場合 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚





グッさんの一期一会ブログ

「うーん・・・最近倒産が多いな・・・・」




グッさんの一期一会ブログ



「開業して5年・・・今はとりあえず安心だけど・・・」






グッさんの一期一会ブログ



「大手がここら辺に進出すれば競争だろうし」






グッさんの一期一会ブログ



「結局資本がある所が強いんだよな・・・。」






グッさんの一期一会ブログ

「ん?フランチャイズ展開か・・・・そんなノウハウも知名度もないよな・・・」



「・・・・けど、どこでも最初は個人自営だったりするもんな」



「・・・・。」







「聞くだけ聞いてみるか・・・。」






グッさんの一期一会ブログ



「どーも、担当の○○です」



「宜しくお願いします」



「大丈夫ですよ、フランチャイズの事ならお任せ下さい」





グッさんの一期一会ブログ


「え!構築費用1000万!?」




グッさんの一期一会ブログ



「社長、契約書のリーガルチェックからシステムからマニュアルまで作るんですよ。確かに高額ですけど一度作ればFCという資産が出来あがるんですから」。




グッさんの一期一会ブログ



「うーん。。。しかし失敗した時を考えると・・・・・」




グッさんの一期一会ブログ



「そんな弱気でどうするんですか」



「あわわ・・・・」



「大丈夫、当社にお任せください」



「や、ちょっと・・・・・」



「加盟金を高く設定すればすぐに回収できますって」



「・・・・・・。」



「さあ、今ならモニター価格で安くしますから」



「・・・・・・えっと・・・ごめんなさい」



グッさんの一期一会ブログ

「ヤバいヤバい。FCの知識が足りなかった」





「契約書は確かに大事だな・・・・・」





「急激な展開をして失敗、訴訟問題か・・・そりゃそうだ」





グッさんの一期一会ブログ




「加盟店の売り上げが上がって本部も成長するのが基本だよな」



「つまり加盟店とは運命共同体だ」



「構築費用なんて加盟店には関係ないもんな」



「とにかく実用主義で安くしよう」






グッさんの一期一会ブログ



「ども。unreveのグッさんです」





(・・・・なんだか頼りないな・・・・・)





「何だか頼りないな、と思ったでしょ」



「・・・・・・・」



「直接訪問でお話しを伺いますか?必要なければ費用は一切頂きませんので」



「はぁ・・・・。ではお願いします」



数日後
グッさんの一期一会ブログ





「宜しくお願いします」




(・・・・やっぱ頼りないな・・・・・・・)





「やっぱり頼りないな、と思ったでしょ」



「・・・・・・・」



「ちなみに加盟店募集営業はやってないんですよ」



「えっ?それは何故?」




「自論なんですが結婚相手を他人が探すのと同じような気がしませんか?」



「・・・・・」




「そもそも加盟店募集と教育こそがFCビジネスの基幹業務です。

これが
自力で出来ないというのであれば、 FC展開は難しいかも知れません」

「うー・・ん・・・じゃあ何をしてくれるんですか?」



「それ以外は全部します。成果報酬型なら募集もしますが」



(だからこんな価格設定なんだ・・・・)




「そうです。この形が一番理想だと思うんです」



(・・・)


「ロゴの製作、契約書、法廷開示書、各種マニュアル・プレスリリース・説明会プレゼン、研修資料、管理システム、名刺、ユニフォーム、SVの指導方法等、全てご用意できます」



「・・・・どうやって希望者を集めたらいいんですか?」




「それも含めてアドバイスします、強制は一切ありません」




(・・・・ちょっと期待できるかもしれんな)




「ちょっと期待できるかも、って思ったでしょ?」




「・・・・・・・」




「では、ヒアリングさせて頂きます」




゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚




実際ここまで馴れ馴れしくはありません(笑)





以上の流れでFC展開をしています。

損金計上なので税金対策で将来の資産を作ってみてはいかがでしょう。




仕組みを作れば将来の選択肢が増え、結果事業安定化に繋がります。

イメージが「一大事業」だと比例するように費用が上がるのが特徴のFC展開。




通常、同業界でのコンサルティング料金は、

¥3万~という相場設定。





実際に同業種の内容を調べてから依頼するのをお勧めしています。

当然金額だけなら、まだ安い所はあるかもしれません。






unreveはFC本部を構築・展開していくためのノウハウを提供し、

アドバイスをしながら、作業代行、経過チェックのサポートまで行います。





アフターフォローは3ヶ月です。

年間契約という縛りはありません。新規事業でお考えの場合、社員を雇用するとなるともっとコストとリスクは膨らむでしょう。




初心者の方や、業界へ興味を持ちながら参入への不安を感じている所は多いです。




特に、興味はあっても、なかなか周囲に相談できる人が少なく、壁が高かったと思います。



それがインターネットの普及によって、その壁は取り払われました。





当然直接会った方が理想です。

直接訪問、直接支援もスケジュールが合えば自ら出向かせて頂いています。

そこでご縁があれば時間の許す限り支援させて頂きます。




機密保持契約上、守秘義務を徹底していますのでご気軽にご相談ください。