2016/11/15

三大神勅という原点





この間行った日田なんですが、
古事記ミュージアム」というものがオープンしてました。




店員さんに聞けば、
遠方から来る人も多いのだとか(゜゜)
観光地にあるからこそ良いんでしょうね。
興味がある方は、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。




てなわけで、今回は古事記の中にある
三大神勅について書いてみることにします。








さて、教義(~しなさい)というものが存在しない
神道ですが、唯一あるのがこの「神勅」。



神道は寛容的とは言え、何でもオッケー、
他人が何しても大丈夫と無秩序を
勧めているものではないんですね。
(ここを勘違いしてゲスになる人が非常に多い)



そこには原点(理念)がきちんとある。
人の道であり、神の道。
「神道即人道」である神勅です。



天照大神の孫である
ニニギノミコトは高天原から降臨した際、
天照大神からこの神勅を受けたのです。



それが天壤無窮、宝鏡奉斎、斎庭の稲穂。
これと一緒に貰ったのが有名な三種の神器なんですね。




wikiより




最初の神勅である天壤無窮の「天壌」とは
天と地、そして「無窮」は極まりがないこと。
つまり永遠を意味します。



「神の道をこの国に実現する為、
あなたは神の子としてすばらしい
国にしなさいね」と言ってるんですね。



そのために次の宝鏡奉斎の神勅があります。
天照は神器の八咫鏡(やたのかがみ)を渡し
「この鏡を私の魂だと思いなさい」と告げたのです。



時には私欲で民を困らせることきもある、
だから完全完璧である天照大神を
鏡で映すことで、自省しなさい、と。
鏡から「が(我)」を取れば神となるということです。



そして天で育った稲穂を地上に植え、
この国を実り豊かに安定した国にすること(斎庭の稲穂)。




稲作文化である日本ですが、
そのルーツは神話にまで遡って行くんですな。




宮中祭祀の中で、最も大切にされている大嘗祭、新嘗祭



このように八百万の神が統治している
考えが神道ですが、そこにはこの絶対的な
土台(神勅)があるんですね。
一即多、多即一。組織で言う理念です。



ここが一番間違えやすいんですが、
歴代の天皇はこの神勅をそのまま受け取っているのです。



自分の気持ちや価値観や知恵で
考えたり決めたりなんかしてません。
つまりそこには私心(漢意)がないのです。



故に、民衆もそのまま受け入れてます。
昔の日本は全部神様から借りてる、
預かってると言う意識なんですな。



それがウシハクとは違う
シラス国である所以ではないかと思ってます。
(気になる人は調べてね)



☞☞



ごく稀に「綺麗事言っても
それだって異論を排除してるから一緒だ」
と言ってる「自分らしく君」がいますが
これ異論(自論)じゃなくて、前提ですよ。



誰かが言った正義じゃないし、
誰もジャッジしていないんです。
「その前提から」たくさんの未熟な
神様が力を合わせて自然界を守っていると
言うのが、この国の根幹です。



だから古来の人々も自分たちが
唯一絶対ではなく完全ではないと知ってました。
他人と比較して優劣を争わなかったんです。



それよりも共通点を見つけ、
足りない部分を補って来た。



その謙虚な精神が人の道であって、
そのまま(即)神の道に繋がるのです。




とまあ、ざっくりですが
三大神勅について書いてみました(゜-゜)
ちなみに「五大神勅」もあるんですが、
これはまたの機会にでも。





「後記」



三島由紀夫は神勅と神器が
どんなものよりも大事だと言い切りました。


なるほど、多分に当時は戦後、
文化破壊の真っ最中ですから
自意識で否定しようとした人が
多かったのかもしれませんね。





2 件のコメント:

  1. 最近、神社巡りが楽しすぎてあちこち参拝してます。

    神道には教義・教典がないとよく言われますが、根幹となる理念はあるんですね。

    日本人が外国人に安易に「私は無宗教だ」と言って誤解を招く事例が増えそうなこともあり、あいまいな感覚のままになっている日本人の宗教観を言語化する努力は必要なんじゃないかと思う今日この頃このごろ。

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  2. そっ!言語化!
    まさにそうなんですわ。



    ただこれがまー僕の引き出しでは
    一筋縄でいかないのよ( ;∀;)



    神道は特定の思想や目的を持った
    人が作ってない、神の御仕業ってやつを
    そのまま持ってきて、そのまま認めるもの。



    だからこそ、自然派生的にずっと続いて
    いくって言えるんですが、そんな奇異
    (くすあやし)って、人が説明すると
    どうしても理性使っちゃうんですよね、
    陰陽五行とかになっちゃう。



    つまり何が一番厄介って
    我々がそれを受けとめるのに
    明確な理由が必要ってことなんですな(笑)



    物質的な肉体ってやつがあるから、
    苦痛とかあると無神論になったり
    神様に喧嘩まで売っちゃう。




    でもこの物資界ってやつを運営するには
    どーしても物質の体をもった人間じゃないと
    ダメなんでしょう。中身(自己)は神さんだけど。




    だから多分、神様も仕方なく
    揺り戻しを繰り返しながら成長するまで
    待ってるのかもしれませんね(笑)


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