人心之不同也、如其面焉
(人のこころの同じからざるは、そのおもてのごとし)
春秋左氏伝、古言。
我々の容姿がそれぞれ違う様に、
人の心もまた同じじゃないぞ、という教えです。
感じ方や受け取り方、好き嫌いの判断基準が
それぞれ違う以上、自分の考え方が相手と
合わないという理由でいちいち落ち込んだり
怒ったりしていても身が持ちませんよね(゜゜)
「共感」と「同化」は同じじゃないってこと。
今日はそんなところから。。。。
さて、(滅多にありませんが)
僕は好き嫌いをキチンと伝える方です。
嫌いなもんはどうしても嫌い。
これはもう、理屈じゃない(笑)
だから、相手が好きであっても問題ありません。
「嫌い=間違ってる」じゃないですからね。
犬が好き、猫が嫌い。
肉が好き、トマトが嫌い。
甘いのが好き、辛いのは嫌い。
これなら相手も不快にはなりませんよね。
ただ、問題は「トマト嫌いは間違い」と思う人がいるってこと。
例えば「イルカを食うのは間違いだ」って具合に
価値観や文化を押し付けてしまうわけだ。
そこに相手が正当な理由でも語ろうものなら、
あっという間に「正義」と「悪」が作られちゃいますよね。
後は古今東西、やること一緒ですよ。
「ちがうちがう、そうじゃない合戦」です。
これ好き
僕は似非カウンセラーや下衆な精神の持ち主や
上から目線のインテリ(コンサル)が嫌いなんですが、
「万人にとって間違い(悪)」とは思ってないので
アメリカみたいに他人の領域に土足で踏み込んで
喧嘩をふっかけたりはしません。
否定するのはそれをイデオロギー化している時。
そう思ってない人を排除しようとしている時。
なぜって、彼らは自分と他人が重なった場所である
「あいだ」の領域にまで、自分を押し通しているから。
つまり間(ま)が抜けてる、
「違う」じゃなくて、「間違ってる」わけでしょう。
例えばそれが全人的な、いわゆる
「普遍的真理」ってやつであれば良いでしょう。
むしろ、その思想を発見した人は称賛に値します。
全員もれなく該当し、いつの時代もどの国でも
変わらないんですからね。ただそれが普遍性を
持っているかどうかを説明しようとすると、
途端に分からなくなってくるじゃないですか。
常識に逆らってるだけかもしれない。
欲望がコントロールできてないだけかもしれない。
人心之不同也、如其面焉
春秋左氏伝、古言です。