北斎の作品は今でこそ世界中で注目を集めているが、
当時は引っ越しの際、作品で茶碗を包んでいたらしい。
なるほど、その作品に籠っている情念や
普遍性を見抜ける人が少なかったのだろうと
客観的に浅薄な意見を言うのは容易いが、
その作品に対する情念や普遍性を
主観的に感じようとすると、途端に何も言えなくなる。
頭の中のおしゃべりを止め、
その作品だけを眺めるという瞑想的行為が
真の鑑賞だと言えるだろうが、
その対象そのものへ没することで
作品の方から訴えかけるものを掴むという
行為は鑑賞を超えたものだといっても問題ないだろう。
ゴッホが北斎の作品に魅せられたのは
その情念と普遍性を主観的に感じたからに違いない。
多分に、芸術は作品を通じた「実証」なのだ。
北斎の有名な作品である上の「怒涛図」は
左に「男浪(おなみ)」、右に「女浪(めなみ)」とに分かれている。
一見、波の大小で男と女の違いを
描いているようだが、そうではないだろう。
北斎の意図はもっと違う場所にあるようだ。
見れば右の「女浪」に描かれた波は
「螺旋状」になって渦巻いている。
外から内へ向かっているのか、それとも
内から外へと向かっているかは
分からない(多分に内側だろう)が、
その螺旋運動の中に生命の実体や本質が
あるのだろうと、北斎は感じていたに違いない。
円転回帰によって螺旋エネルギーは保管され、
次の渦へと引き継がれていく。
一つのサイクルが完成されると同時に、
また新しいサイクルが始まっている、と。
まさに弥栄である。
その螺旋が向かっている先には
何があるかは知ることができないが、
「富嶽三十六景」にある波の奥を見れば、
波と同じ色彩で描かれた富士の絵が描かれている。
大波の中、人間の作った船が必死に抗っている。
富士は、ただそれを静かに見守っているかのようだ。
「扇死に臨み、大息し天我をして十年の命を
長ふせしめハといひ、暫くして更に謂いて曰く、
天我をして五年の命を保ためしハ、
真正の画工となるを得へしと、言叱る吃りて死す」
あと5年、天が私を生かしてくれるなら
本物の画家になれたであろうに、と
慨嘆する北斎が見る「本物」とは一体どんな境地だろうか。
北斎は、富嶽百景の跋文にこう書き残した。
~70歳以前に描いたものは、
実に取るに足らぬものばかりである。
73歳にして、ようやく禽獣虫魚の骨格や、
草木の生え具合をいささか悟ることができたのだ。
だから、80歳でますます腕に磨きをかけ、
90歳では奥義を究め、
100歳になれば
まさに神妙の域に達するものと考えている。
百数十歳ともなれば、一点一画が生き物のごとくなるであろう ~
なるほど、やはり到達すべきは
そこなのだろう。
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小林秀雄はゴッホの作品には
個性が宿っているというが、多分に
北斎と同じ場所を目指していたに違いない。
その個性とは自分の持つ特殊性(自意識)を
乗り越えることで見出す普遍性の道である。
定期的に発狂し、自らの耳を切ったことで
有名なゴッホは非常に強い特殊性があった。
(北斎の奇行癖も有名である)
当然、周囲からは受け入れられない。
しかし、そんな自分の特殊性(自意識)から
逃げることなく、それと向き合っていたようだ。
小林はゴッホの作品は特殊性を(受け入れ)
それを超えているから、真の芸術であると言う。
自意識などからくる「私の作品」など
単に表面的な目鼻の違いを論じているに過ぎない。
真の芸術家はそんなものは表現せず、
それを超えたところにあるものを掴むのだろう。
なるほど、(岡潔もそうだったが)
ピカソの絵は「自意識」から生まれるものであり、
無明を描くことでは達人であると言っていたが、
自意識の坂口安吾と無私の小林秀雄が
対立していたのと同じ構図だろう。
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確かに特殊性は刺激があって面白い、
衝突すれば一つの物語も生まれるだろう。
しかしそれは永遠の観賞に
耐えるほどの鮮度を保つことはできない。
結果、観察者から消費されてしまうか、
くたびれさせてしまうかのどちらかである。
それは絵だけではなく、
建築や経済、人もまた同じことが言えるだろう。
思えば現代はくたびれるものが多いように感じる。
あくまでも個人的な意見だけど。
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