2018/03/28

自由になるための教育①






自らの足でしっかりと立ち、自らの頭で
是非・善悪を考えることができる人を
私は真の自由人だと思ってますが
今の教育機関である学校は覚えさせること
ばかり重視し「考えること」を排除しようとしていますね。


言い方を変えれば「考えさせない」ようにしている、と。


なぜか。理由は簡単です。
この国で言う社会通用(適応)とは
上司の言うことに対し口答えせず忠実に従うこと。
だから社会に出る前(大人になる前)に
学校で「そうなるように」修正しないといけないのです。



つまり社会に出すための教育とは子供たちを
規格化、矯正させることなんですね。



学校はそのボルト、ナットを作る大きな工場。
先生たちが悪いんじゃない、構造(というか資質)が問題なのです。





上司の言うことを忠実に守るためには
自分の意見を持ってはいけない。与えられる
指示をひたすら待たなくてはいけない。
不満があっても反論自体を「殺さないと」いけない。


そのために自分で考えてはいけない、と。
だから企業は「これを覚えて忠実に従いなさい」と
マニュアルを用意するのです。





ちと長くなりましたので次回に続きます(゜゜)


2018/03/27

花見日和


近所の公園でお花見。





わーってなってるね、わーって。





子供たちが楽しそうに走り回ってて
それをおじいちゃん夫婦が笑って眺めてる。



平和そのものですな。









ええ写真撮れたんでお弁当タイム🍙
つか外で食べるおにぎりって、何でこうも美味いのかね。






タコさんウインナーに卵焼き。
ササミの梅肉包みにエビフライ・・・






そりゃあビールもすすみますわな🍺







あー、楽しかった。
一心行は再来週くらいかな(´-`).。oO





2018/03/25

今日のランチ



久しぶりに大昌園でランチ。
平日でも待たないと入れない人気の焼肉屋さんです。




従業員の接客サービスの質の高さに
定評があるこちら、今回も細やかな対応に感心しました。




三條をはじめ、久留米で美味しい肉を
出すところはいくつかあるけれど
コスパから考えるとここはとっても紹介しやすいお店ですね。





2018/03/24

自炊のすゝめ⑰

  
この日はナポリタンで一盃。
昔のパスタって、これしかありませんでしたよね。




パンに挟んで食べると気絶するほど、んまい笑


2018/03/23

幸せの道


今日のお昼は近所にある
佐世保バーガー。おばちゃん二人で
やってる小さなお店です。




丁寧に作ってるから時間がかかるけど
本場と変わらないくらい美味しくて、安い。




天気が良いから外で頂きました(´-`).。oO


写真じゃ分かりにくいけど、一個でお腹いっぱいになるくらい大きいデス。




「今日は忙しそうだねぇ」と言うと、
「久しぶりに天気が良いからかねぇ」と笑顔で答える。



確かに今日の天気は良きよき。
桜を見ると6分咲き、染井吉野は週末が見頃でしょうね。




天気のいい日に美味しいご飯を食べる。


これくらいのことで幸せを感じれる僕は
きっと幸せ者なんだろうなと、妙に納得してしまいました笑


なるほど。幸福を追えば不幸になると
言うように、多分に幸せになる道なんてないのでしょう。


なぜなら幸せこそ、道なのだから。
定義できない数少ないものの一つです。

敷延






思えば今の政権(首相)は実に様々な
ものをあぶり出してくれたもんですね。
僅か数年ですが潜在しているものの
醜悪さをこれほど見せてくれた人は初めてかもしれません。


メディアの実態に三権分立の幻想。
排他的なレイシスト(差別主義者)にナチズム、


彼らは自分の心に素直に従ってます。
つまり「自分に正直な人」が権力を持った結果が今でしょう。


巷ではやれ自己肯定だ、ご自愛だと
吠えてますがその自信ってどこから来てるのかしらん。


***


国家にせよ社会にせよ企業にせよ
品位や安定は精神の在り方から派生するもの、
その根幹に無関心なままであればどれだけ
制度や人を変えたとしても意味がない。
今の首相が変わっても顔の違う「同類」が
交代すれば結果は同じでしょう。


抑々、古今東西あらゆる政治は何らかの
思想を持ってます。その思想背景、
イデオロギーが彼らの根幹なのです。


故にそれを実現するプロパガンダや
手段が生まれる、と。明治維新よろしく
理想社会を築くために戦う集団は華々しく
美化されがちですがそれはあくまでも
特定の指導者にとっての理想像にすぎません。


それをまず知り、疑う力が必要です。
なぜなら彼らは手にしている理想(正義)が
鋭利な凶器にもなることに気が付かないのだから。



彼らは敷延して考えず定型された
ひとつの観念にただ従っているに過ぎない、
そんな模型化された思考(精神)を変えるには
自己を否定する力が必要です。


**


自説を疑えば、時にはその持論を
手放し撤回することもあるでしょう。


しかしそれが敷延の本質、
個人的にそう思ってます。


2018/03/18

自炊のすゝめ⑯



この日は肉じゃがと相方が
北海道物産で買ってきたコロッケで一盃。


ざ・ジャガイモ尽くし(笑)




そういや最近ジャンクフードを食べてない。
食べようとも思わない。


あれだけ好きだったのに・・・なんでだろ?






2018/03/17

自炊のすゝめ⑮



この日の朝食は納豆に目玉焼き、
冷奴にお味噌汁。僕が一番好きな献立です。




梅とちりめんじゃこを入れた納豆を
雑穀米にかけて食べると朝から幸せな気持ちになりますぞ(笑)




2018/03/16

自炊のすゝめ⑭



この日は鳥そぼろ丼と惣菜のから揚げで晩酌。



むしょうに鳥肉が食べたかったのです(笑)

随筆


「思い出の味は何ですか?」、と
聞かれたらいくつか浮かびますが
島根で食べた魚の味は今でも記憶に残ってます。


あれはとにかく美味かった。
「これを食べたら他の魚は食べれない!」
・・・なんて言うほど上品で容量の狭い
胃袋じゃありませんが、まあ美味かった。


この何かを食べて「うまい」と感じたときの
喜びってやつ直接的なものですね。そして、
それは何かを達成したり理解できたときに
感じたものと全く違うことはありませんでした。





知ること、考える事、遊ぶこと、食べること。


つまりこれらに区別なんてなく、
ただそのプロセスが違うだけということでしょう。


例えば困難なことにチャレンジすれば
最初は苦痛しかありません。美味いものを
食べたときのようにいきなり幸せが
飛び込んでくるわけじゃない、


しかしそれを乗り越えた時に感じる
喜びってやつはその苦しさを帳消しに
するどころか包括されてしまいますね。
あの苦しさがあったから今の歓びがある、と。


なるほど。進化の理屈から言えば
否定的なものを排し楽なものを
選んだ方が繁栄に繋がるはずなんだけど、
今でも四苦八苦が残っているということは
淘汰されない理由があるんじゃないかしらん。



だから我々の先輩方は
疲れや苦労に「様」をつけたんじゃないですかね。


労働は最高の酒の友



あたりまえといえば当たり前だけれど
生きてて一番肝心なのは僕ら自身の幸不幸、
何千年前もそうだし何千年後も変わりゃしません。


しかしこの当たり前のことを
教えてくれる人が殆どいません。
いわゆる幸福の思想ってやつです。
あるのはすでに舗装された社会通念の道か
宗教の道か獣道しかない。勘違いしてる人も
いるでしょうが常識から外れた生き方だって
綺麗に舗装されてますわ。ただ常識を否定し
そこから外れるだけで良いわけですから。


ではもしそれで幸福でなかったならどうするか。
たった何十年かの間だけしか生きれないのに
人生の一大事業である幸福の建設を忘れたまま
死期を迎えるなんて、つまらない。勿体ないじゃないか。


僕は人よりちと欲張りな性分ですから
そんなことを考えてしまいますな。


2018/03/15

今日の晩食




最近よく行く資さんうどん。
相方のおかげでゴボ天ソバの大盛以外の
ものも食べてます。






もう少し近所に出来てくれたらありがたい。



2018/03/14

自炊のすゝめ⑬



この日は手抜きの即席パスタ。
物足りなかったのでちりめんじゃこをトッピング(笑)



美味いパスタ麺を使ったら
なんでも美味いということが判明しました(笑)





2018/03/13

かむかふ


さて今夜の夕飯は何を食べよう。
明日の朝食は何にしようか。

そういや今度は連休だ、どこへ行こう。
あそこの桜は咲いたかな、調べてみよう。

この問題はこの公式を使えば解けるな、
この経費はこれで計上すれば大丈夫だ。


エトセトラ、エトセトラ。
我々はこういった感じでメニューを考えたり
場所を探すことを「考える」だと思ってます。
つまりすでに答えが存在していてるデータを
「適切」に取得し、比較検討しながら結論を出すことです。


しかし古来はそんな頭の(情報の)
操作が考えることではありませんでした。
むしろ現代の考えるとは真逆、反対の志向性だったんですね。







考えるとは「かむかふ」、むかえるという意味。
外側から情報として知るのではなくそれ自体を
自分自身の内へ取り込み、感じる「経験」のこと。
知的(頭を使う)働きではなく親密に交わる行為です。


それによって今はまだ知りえないものを知り、
見えないものを見、感じられないものを感じる
ことができる、と。我々の親や熟練した
先生たちはもれなくこの「かんがえる」をやってます。



故に「我が子が(教え子が)信じられる」。



そこに学問的な行動心理学やら子供だましの
星座占いなど入る余地なんてありゃしません。
彼らは科学的な観点や心理学的観点といった
場所に立って、子供たちの心を理解してるわけじゃない。
チラッと見たただけで何を考えているか理屈抜きでわかるのです。


この直観は交わり(かむかふ)から来るものですね。
なるほど、これが人間の直観力を養う唯一の方法なのでしょう。



自炊のすゝめ⑫




岩手県産の黒毛和種を頂いたので
ステーキにして晩酌。


肉には赤ワインのアルパカ。
この子は安いのにホント美味しいですね。



自炊のすゝめ⑪



この日はチキンカレー。
唯一、自信を持って作れます(笑)



今度スープカレーを作ってみようかしらん。

2018/03/07

天空のカフェへ。




篠栗の若杉山にある、
茶房わらび野さんでランチ。
道のりがちと難儀ですが
「天空のカフェ」と言われるくらい
景色が素晴らしいところです。





一階の店内はこんな感じで
ガラス張りになってます。





上を見るとグランドピアノが。
聞けば食事は一階で、カフェが二階とのこと。

ちなみにコース料理の最後も二階で頂くようですね。




てなわけで今回はコースを注文しました。




美味し(´-`).。oO



ペロッと平らげ、二階へ向かうと



良景色!




ちなみに夜はこんな感じで
夜景も見れるみたい。


オサレだな~|ω・)




飲みなれない和紅茶(桜)とやらを
かっこつけて注文。食後のデザートは
モナカを抹茶とアイスで包んだやつでした。





似合わんのは重々分かってますぞえ。



2018/03/06

光の道へ。




宮地嶽神社へ初参拝。
山の上から海へ一直線に続く参道、
「光の道」で有名な神社です。


2月と10月の年二回だけ
下の写真のような光景が見れることから
そう呼ばれるようになったみたいですね。




日中はこんな感じ。
一本の長い道が海まで続いています。





ちなみにこの日は霧雨が。
まあ、たまには雨も良いもんです(笑)




本殿に向かうと大注連縄が見えてきました。



実物の存在感に圧倒。
出雲も大きいけど、こっちもスゴイですね~



本殿の隣には開運桜が咲いてました。





神様に一番近いところで咲いている
この桜、早いときは1月には咲き始めるとのこと。


種類は染井吉野ではなく寒緋桜。
沖縄の桜と同じですね。




参拝と用事を済ませ、帰宅。
次は菖蒲の季節に訪れたいと思います(´-`).。oO




散逸的世界


イリア・プリコジンは散逸構造という
我々のような生物系(開放系)だけが持つ
複雑な構造構築能力が非生物(閉鎖系)にも
現れると発見しました。


水面に落としたインクの広がりや加熱した
水の規則的な対流、そんな意思を持たない
閉鎖系の中にもその構造が生まれ、さらには
「宇宙」でさえもその構造を持つ、と。
普遍法則であったエントロピー増大により
やがて宇宙は停止するという予想は
散逸構造の発見により覆されたんですな。


宇宙は止まることなく新たな秩序構造を伴い流動する。ぐるぐるぐる。


☯☯☯


エンリッヒ・ヤンツはそんな散逸理論から自己の
構造を自分で作り上げる能力(自己組織化)に注目します。



外部の力によらず自己の持つ秩序に従って
構造が自然に出来上がる現象。例えば
シマウマの模様や孔雀の羽のような構造や
幾何学的な雪の結晶などは相関関係が生じた
「相転移」や「創発」の結果であって
絶対的な形式を約束しません。あらゆる可能性を
内包している状態が同一性を持ちながら世に現れるのです。



ではその「状態」から「決定」している素材はなんでしょうか。



わからないですね、わからない。


多分に我々は創られ、創っている。
つまりそういう事でしょう。



ヘーゲルの精神現象学にある理論的理性の
基本原則が「外なるものは内なるものの
表現である」というのは驚くべき考察ですね。



2018/03/03

人は人、吾はわれ也。



3月に入りました、弥生です。


ちなみに弥生の弥は「いよいよ」
という意味。「長い冬も終わって
いよいよ草木が咲きだしますよ」という
明るい意味を持っているんですよね。


春は新しい生命の声が聞こえる季節。
今日は個人的なつぶやきでも。




゙我々人間はひとりでいると我が育ち、
みんなでいると愛が育つ生き物だ゙と、
とある経営者が言ってました。


なるほど、ここで言う我と「わたし」は
同じ意味ではないのでしょう。
見れば万葉や論語でも自分を指す意味の
吾と我を使い分けてます。自分自身について
語る時は「我」であって、相手に対し
自分を語る時は「吾」なのです。


じぶん、わたし、己。我に吾・・・
そんなたくさんの「わたし」が存在
していますが、多分に昔の人は「自己」が
正確に定義できないことをわかっていたのかもしれません。


同時に「だからこそ理解したい」と。
己を知るに始まり、知るに終わる。
その自己がたとえ主観であったとしても
磨き突き詰めていけば万人に通じる
客観に至ると、直観していたんじゃないかしらん。


ひとりでいれば確かに我は育つでしょう。
しかし同時に大切なものも育っている気がします。







そんなことから僕は自己中心の生き方を
やってます。権威に寄らず時代に流されず
誰かが使ったありがちな言葉や数字分析を
根拠としないもの、言わば「自分を誤魔化さないもの」。


そんな自己の尺度で問うことを、昔の人は
「独」と呼んでました。独立独歩の精神とは
どれだけ情報を集めても創ることができないものです。


*


人は人、吾はわれ也。とにかくに吾行く道を吾は行なり。


この西田の言葉は自分勝手に生きる
「我の道」ではないんですね。




段々と面白くなるもの



最近、箸置きを買おうとあちこち
お店を回ってます。色々あって楽しいですね。


多分に湯飲みよりは早く決まるでしょう。
・・たぶん(笑)




私事なんですが(消耗品以外のもの)を
買う際、「とりあえずこれで良いか」が
ありません。飽きずに使い続けられるかどうか
判断してしまいます。


経験上、目新しいものは衝動的に
「良い」と勘違いしてしまいますからね。
昔はそれでよく失敗したもんです(笑)




友人らはそれを見て「いつまでやってんの」
とか「ネットで買えば早いよ」と(愛情を持って)
言いますが、僕からすればふつうに歩いているだけのこと。


そりあゃ、電車や車に乗ってる
君らからすれば遅く感じるでしょう。
ただ僕の場合、それで愛着は起こらないんですよ。


結果だけを求めれば段々つまらなくなり、
過程を楽しめれば段々と面白くなる。


もちろん全てではないにせよ
多分に物事ってそんなもんじゃないかしらん。



2018/03/02

初挑戦




前から気になっていた
「コーラ煮」とやらを作ってみました。


材料は・手羽元・にんにく・コーラ
・酒・みりん・醤油。


それを一緒に混ぜて煮るだけです。


ついでにモツ煮込みも。



煮込むこと20分、完成です^^




初めてにしては上出来でしたぞ♪



百済さんにて




韓国料理の食べ放題ができる
百済さんでランチ。サガン鳥栖の
選手にも人気のお店です。




ランチは食べ放題の他にワンコインで
食べれるものも。リーズナブルですね。



食べ放題の最初に来るセット。



最初のセットがまー、恐ろしい量(笑)
普通の人は後から注文できないと思いますよ。



これ、食べ放題じゃなくてコースですね。
素材や味はチェーン店のような食べ放題とは
全く違ってるので、きっと満足すると思います(゜-゜)



ご馳走さまでした~