2016/08/26

おばんざいヽ(・Д・)ゝ




お昼はクライアントさんの
近くにある「松富や壽いちえ」さんへ。


京都では有名な
おばんざいですねヽ(・Д・)ゝ


夜食に備える笑




うん。
「味付けをする」と言うより
「旨味を引き出す」感じ。



それって、料理だけに
限ったことじゃないですね(°_°)





優すいお味だわ。





2016/08/25

最高の教科書




一部の特殊な成功者を引き合いにした
成功の方程式がたくさん出てますが、
やる事なす事、全てがうまくいく人はごく一部。



誰だって、つまづいて、挫折して、失敗することが
最大の教科書であり、その経験が人を鍛えてくれる。
僕はそう思ってます。



晴れた日にはどんな経営者でもやっていける。
しかし大雨が降ったり、台風がきたりして
「もうだめだ」となった時、その経験が非常に重要になってくる、と。



良い男の見分け方と一緒かもね(笑)
ピンチになった時、喧嘩の時にこそ、人の本性って見えるもんです。




「もうちょと傘を。。。。」





今では一部上場となっている会長さんが
「最初は子供を背負いながら夫婦でやってたよ」、と
笑いながら話してくれたのを聞いて、
「だからこれだけ強いんだろうな」と思いました。



うちのクライアントさんだって大小差はあれ
様々な苦労や失敗を乗り越え、今がある。
(そうじゃない人はノリでやってるから危ういんですよね)




プレッシャー同様、失敗やミスは誰にでもある。
問題はそこから自分を信じられるような経験を
どれだけ積んだか、引き受けてきたかでしょう。




こういう話をすると、みんな聞きたくないって
顔をするね(笑)





「後記」



冒頭にも書きましたが、特殊な事例を
引き合いにして、それがさも「全員に該当する」と言う
うたい文句で金を取っている輩がたくさんいますね。



ありのままの自分でいれば
頑張らなくていい、好きなことをすれば
後からお金はついてくる、嫌いなことはするなetc。。。



人はしんどいことを避け、楽な方に回りますので
つい引っかかってしまう。起業ブームの落とし穴は
そんな何でもショートカットして、楽して結果を得ようとする所です。



もちろん「本当に」楽で簡単で短期間で
お金が手に入るなら、よほどの馬鹿じゃない限り
そっちを選びますわな(笑)



しかし、それって結局は「統計学」。
「成功する人」もいれば、「失敗する人」もいるだけのこと。



そもそも、昔からこれだけの成功哲学、
自己啓発が「出続けている」ってことは、



逆を言えばそれだけ「できてない人」が
いるって証拠ですよ(゜゜)と。










2016/08/24

野菜不足だったから。。。




先日出張から戻り、
その足で「オニオン」さんへ。




この日は「ハンバーグと鶏カツ」。




ここのハンバーグは毎朝仕入れている
九州産の黒毛和牛と、熊本産とびうめ豚のミンチを使ってます。




フワフワタイプだから好みもあるでしょうけど、
僕は好きですね(´-`*)やらかい





ちなみにこちらはサラダバーがあるので
野菜が食べたい時によく利用してます。



この日は3杯おかわり。





おかげさまで今年も夏バテしらずです。






関係ないけど阿久根(鹿児島)の海も以外に綺麗。







てなわけで明後日から京都入り。
(五山送り火の時に行く予定だったのが
調整ができなかった。。。。残念)





こっちはいくぶん涼しくなってきたけど、
あちらはまだまだ暑いだろうな~(゜-゜)







2016/08/23

お医者さん、きらい。








超個人的なことに対し、
わざわざ知らない人の肩をポンポンと叩いて、




あなたの、それ、間違ってますよ」とか
実は、これが、正しいんですよ」と言ってくる心性。




人はすぐ医者になりたがる。
理由を見つけ、人を治療したがる。



しかし、人生においては
誰だって患者の側にも片足が入ってる。
僕はそう思ってます。




何でもかんでも論理的にバシッと
説明することでその事実を隠そうとするけど、



そもそもそんな構造的な美しさってやつは
現実の世界では役に立たないことが多いんじゃないかな。




#ちょっと過激だったので、こっそり編集(笑)



不可欠な負荷ゲッツ






一見遊んでいるように見える小鳥でさえ、
生きるために苦労している、



自由に羽ばたいているように見えても、
ちゃんと「負荷」を引き受けているのが分かる、




なるほど。
無重力下での生活よりも重力のある
生活が「快適」だということは、
それが我々にとって「必要な制約」なんでしょう。




この世界にいる限り、制約や制限を
一切受けないでいることはできないんだろうな、と
思いますね。





自然は温かいけど厳しいよ。









人生は楽しむもの、遊ぶもの。



そんな人生を前向きにする「工夫」は
確かに素晴らしいけど、「雰囲気が全てだ」って考えは
開かれているようで、実は思考が閉鎖してる。



楽しむことや遊ぶことに価値を見出したとしても、
それで我々が日々抱えている問題が単純化するわけではないし、
消えてなくなるわけじゃないんだ。




頭の中には最高にハッピーで円満で
笑いの絶えない家庭が確かに存在しているけど、




正直そんなものはない。逆にあったら怖い。




人生、それくらいの認識でちょうどいいね。






2016/08/22

日本らしくて良い





オリンピックも無事終わったようで。
僕は全く興味がないけどマリオだけはみました(゜-゜)



実にこの国「らしい」。
海外でも話題になってるようですね。








柔らかく包んでほっこりさせる優しい世界観、




それが「日本らしさ」じゃないかな。







世界の山ちゃん、創業者逝去




「世界の山ちゃん」の創業者である
エスワイフード会長の山本重雄氏が亡くなられたとのこと。



まだ59歳と聞いて驚きました。
まだ現役で行ける年齢だというのに・・・・。




人生、何が起きるかわかりませんね。




中小企業はキラーコンテンツで一点突破という
ランチェスターのお手本のような店。




現在、愛知の35店舗、東京17店舗、大阪5店舗の計75店舗。
ちょうどこの間クライアントさんと話題にしていたところの訃報でした。





ご冥福をお祈りいたします。





2016/08/21

自己韜晦




昔、「誰だって心の奥では有名になりたいし、
目立ちたいって思ってますよね」と言われたんですが、僕はそう思わない。



この自己主張っていう名の承認欲求は度が過ぎれば
中傷誹謗の的にされたり危険視されてしまう可能性があります。



企業に関して言えば、その発信によって
必要ない消耗戦を繰り返す可能性だってあるでしょう。
故に、テーマにある韜晦という行為は
自分も、人をも守る生き方になる、と思ってます。



それが弓矢を入れる袋を持つことの処世術。



孫子の兵法でも、ランチェスターでも言ってますね。
誰とも戦わないポジションこそ最強だ、と。



爪を隠す






ある企業が急成長し、あっという間に駆け上る。
知名度も上がり、ファンも増える。



そんなサクセスストーリーは確かに周囲からすれば
羨望の的でしょうが、孫子はそれを「悪手」だと言ってます。
説明すると長くなるので、簡単にまとめてるサイトを
探してたらありました




「孫子の兵法」は玄人経営者向けと言われるように、
やってるところ(人)ほど目立たないんですよね。
だからでしょう、教える人もまた目立たない(笑)



しかしそれが正解です。
逆を言えば以前のヒルズ族のように
ブログで高級外車をアップしたり派手な生活を
発信してる人が「孫子の~」とか言ってるなら、
それは「何も知らない」ってこと。



堅実な企業ほど煽らない。
結果、「知る人ぞ知る」という存在になるのです。







そもそも企業の機能的側面の一つは
「確実に利益を出すこと」。毎年昨対比アップや
事業規模(店舗数)の拡大ではありません。




地味といえば地味。
しかし、周囲の評価や評判ばかり気すると行き詰りやすいのは言うまでもありません。





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2016/08/20

こころの便秘






どうも我々は放っておくと勝手に
気が沈む生き物みたいですな(゜゜)



だから都度言葉に出し、文字を書き起こし、
言い聞かせることで心をコントロールする、と。



なるほど。多分にそんな制御と格闘を
邪魔されたくない心性から、深刻さや
思い詰めることを条件反射的に避けているのでしょう。



しかしそこから自由を求め、啓蒙しようとする
その積極性によって、自己の陰鬱さは
より強固になっているのではないかしらん。



まるで、その自らの言葉によってまた、
自らを縛りつけているように感じますね。









腑に落ちない、消化できない不合理や不条理を
頭の中で勝手に解決しようと喋り出すのが現代病理。
避け、否定し、言い聞かせ、主張してもなかなか消えないことはないでしょう。



事あるごとに囁くその声に耳を塞ぎ、
押さえ込んでいる間は逆効果。
そんなもんいちいち気にして原因を見つけ
永遠に出てこないようにするという理性の「意図」にこそ
原因があるんじゃなかろうか。








愚痴ってもいい。不満を吐き出しても良い。
人を責めても良いし、逃げ出しても良い。
むしろそうしない方がおかしい。




しかしその毒は肯定しながら否定するもの。
この「流れ(祓い)」が大事だと思ってます。




おかしなカウンセラーの様に、「それが私だ!」と
ただ認めるものではなく、宗教のように「それは悪だ!」と
ただ拒絶するものでもない。




(以前、花粉って書いたから分かりにくかったでしょうが
愚痴や不満って精神の排泄物、ウン子ちゃんですよ。




自分の一部って言えば自分だけど、
「いらない」って体が判断してるから出ちゃうわけでしょう。



細胞だって日々排泄されながらも新たに作られてる。
そんな状態が「生きてる」ってことじゃないかしらん。




☞☞



とまあ、現代人は極端な「綺麗でピュアなのが私」と
「汚くて醜いのが私」という、二極化が進んでるようですが、
ぐるぐると「自然に巡ってる状態」を頭で止めたり
抑えたりしたら余計苦しいもんです。





個人的には
なぜ私の体の中で糞尿が作られるのか」とか
なぜ、私は我慢するようになったのか」みたいなことは考えず、
さっさと出せばいいんじゃないかな、と思います。





どうせまた出来るしね(゜-゜)自然現象ですよ。






「おわび」

食事中に見られた方スイマセン。
テーマだけに、水に流してください←






2016/08/19

現場作業



とある場所で出店の視察_φ(・_・
エアコン入れな、死んでまう暑さ。







ブログでは偉そうなこと
書いてますけど、やってることは
かーなり泥くさいです。


2016/08/18

「素」というブランディング





自ら作り、作られたイメージは
時に自分自身を苦しめるもの。



代表する作品がシリアスだからコメディを書くな、
誠実なイメージだから悪役を演じるな。



軽く(見える)人間はどこまでも軽く行け、
重く(見える)人間はただひたすら重くなれ。



時代に沿え、余計な主張をするな。



その観客(市場)の期待とは、その人に対する
評価であると同時に「それ以外の場所を求めるな」という圧力かもしれません。



しかしそれに従えばやがて飽きられ、消費されてしまう。
一発屋よろしく強烈であればあるほど、その振り幅は大きいでしょう。



そんな成功に見える失敗は、素の自分に
仮面をつけた時点で始まるもんじゃないかしらん。



店だってそう、コンセプトや理念を
コロコロ変えても誰からも支持されません。
スケベ心ほど見透かされるもんです。



無理な自己抑圧や変容なんて、止めることです。
見せかけのブランディングなんて、やるもんじゃない。




☞☞




喜劇王チャップリンの作品には
ユーモアだけでなく哀愁や怒り、そして涙があります。



多分に、純粋に笑いだけを追求するコメディアンとは違い、
様々な内面性を出していたからこそ、今でも語り継がれているのかもしれませんね。




多様な時代だからこそ、多層的なレイヤーの内包を。



間口は広く、奥は深く・・・・。







デポっとる。。。




最近話題のPCデポ。




ほぼ直営なんですが、キタムラさんと
合弁会社作ってFC展開やってますんで
今後どうなるか、気になるところですね(゜゜)




経験上アライアンスは諸刃。




慎重にしないとどっちも損する場合があります。















2016/08/17

柳田圀男の「ハレ」と「ケ」の概念






こんばんわ、坂口です。
盆も終わり、残暑となってきましたね(´-`).。oO
今年の夏もあと少しです。




さてさて、この時期ってどこでも
たくさんのイベントや祭事があってるんですが
この国ではそんな年中行事と日常生活を区別していました。



ここでも何度か登場している柳田圀男氏
それをハレ(晴)、とケ(褻)のリズムと呼びました。
単調な日常を崩す「揺らぎ」の役割がハレである、と。



例えば「晴れ着」ってその名残なんですよ(゜゜)



反面、普段着は昔「褻着(ケギ)」。




柳田氏は、そんなハレとケの循環の中には
稲作文化を基礎とする民族生活があったと言います。
他にも様々な説を学者は出してますが、まあ似たようなものでしょう。



それは対立するのではなく循環の概念、
遡ればそれは世阿弥の説く「男時・女時」にも通るもの。



この循環(円環)の状態こそ、
統合であるというのが僕の自論なんですが、
現代は「ハレ」をあまりにも求めすぎていますね。




☞☞☞




気分と天気は似たようなもの、
ともすれば人生だってそう。



晴れ時々にわか雨、曇りのち雨。



所により一時激しく。
その後、緩やかな、穏やかな・・・・・・
雪も降れば、台風も来る。




晴れてばかりは異常なんです。
雨ばかりもおかしい。



循環してこそ本来。そうじゃないですか。



☞☞



多くの人は「晴れ」が幸せ(成功)だと言いますが、
そんわけない。僕はそう思ってます



自分らしくありのままに自由で能力を
最大限に発揮する環境を作ることが
私の人生を生きてる証だ最高だ、最高だ。




僕はそんな早口言葉のような理想を
理想だと思いませんね。
本来の幸せは年中晴れにすることじゃない。




まるで春夏秋冬のような喜怒哀楽、
人生はその経験によって味わいを増し、
循環によって豊かな恵みを得る。



つまり循環の中にこそ、幸福への志向性が
あるんじゃないですかね。



なるほど、成功した人を見て成熟しているとは
感じないけれど、逆はそうじゃない。



つまり成熟は成功を包括している、
そういう事でしょう。



苦労して成功した人を称賛している人に対し、
「苦労しなくて成功した方が良いだろ」と言う意見は
ある意味もっともですが、




「山登りに意味があるか」と聞かれても
答えられないじゃないですか。





☞☞



幸福の志向性はすなわち円熟への志向性。
unreveでは、これを円環螺旋の理念としています。



それがなければ同じ「ハレ・ケ」をぐるぐると回るだけ。
持続可能性(継承性)を持つことで、その螺旋は引き継がれます。




2016/08/16

お祭り日記①






先日、長崎の精霊流しに行ってきました(≧▽≦)





精霊流しといえば、さだまさしの歌で有名ですね。
「きょ~ねんのあ~なたの想~い出が~」ってね。



ただ実際はあんな悲しげなものではなく、
「爆竹で邪気を払い安らかに西方浄土へ魂を送る!
という、非常に賑やかな(というかど派手な)仏事なんです。




思えば行くのは実に数年ぶり(゜゜)




なぜなら、この精霊流しは
行くのにちょっと気合いを入れないとダメなんです。




🚢🚢🚢





行きはゆっくり下道を走ってたところ、
不思議な店を発見。










菓子処おりき







なに?このコンセプト(゜-゜)





しかもすげークオリティ高い。
夏休みの工作ってわけじゃないよね。






自由研究「プレデターとエイリアン」









(゜-゜)。。。。中に入ってみるか。








ガラガラ、
こんにちわ~。









ここは普通なんですね。










まあ、そりゃそうだ(゜-゜)
何か買ってくか。











ということで、イチオシの
わらび餅(500円)を購入。




外に座る場所があったんで
そこで食べることにしました。















あっ・・・すげー美味しい(´-`*)












黒蜜と合うなあ。
そんなに甘くないし、僕好みかも(´-`*)














そうだ、君も一口どうだい。。。。って







食いずらいわ!







🚢🚢🚢





ちなみに(仕事以外で)長崎に行くときは
なるべく下道を通ってまして、その時に
必ず寄る場所があります。








それがこちら西海橋。
物産館が隣接してるんですよ。



こっちが赤い橋




その向こうには青い橋。






物産館には新鮮な伊勢海老とかアワビとか
サザエが売ってまして、





伊勢海老に関しては
あまりにも沢山取れるのか





UFOキャッチャーの景品になってます。
(今までやってる人を見たことがない)






ここで昼食を取ろうかと思ったら、
まさかの準備中。。。





市内に着くまで我慢するか。






てなわけで、次回に続きます(゜-゜)








2016/08/15

終戦記念日




今日は8月15日、終戦記念日ですね。
毎年この時期に過去の歴史を伝えることで
(戦争を)体験したことのない世代でも当時の悲しみを
思い出すことができるのでしょう。



ただ、そこに「なぜ起こったか」という問いを
持ち出してきても意味はない。僕はそう思ってます。



やれ戦争責任だ、この国は侵略国家だったか、と
(戦争を体験したことない)専門家達は言っていますが、
当時は一瞬で価値観の大転換が起こったのだから
「なぜ、どうして」という問いは「魔女狩り」のようなもの。



多分にきっと「永遠に答えの出ないもの」となる。
本居さんの言う様に、また新しい質問が再生産されるに違いありません。



問題は魔女を探す行為ではなく、
本質的な部分に対する議論と解決ではないでしょうか。



☞☞



フランスでテロが起こった際、
ダライラマは「神に祈るだけでは何も変わらない」と言いました。



問題をつくり出してしまったのは、
我々人間(個人の総和)であるにもかかわらず、
祈ることで神様に解決を求めているのは筋が通らないではないか、と。




まさに正論。そして平和を祈っていれば
平和であるというこの不思議な理屈(心理)
表現こそ異なるけれど、根は同じである証拠かもしれません。



それは戦争やテロのように大きなものでなくても、
日常に溢れかえっているもの、日々誰かが叫んでいるもの。



(それが何かは書きませんが)
このブログではそんなイデオロギーを拒絶してます。
その防衛本能が伝統を守ることに繋がると思ってますから。




2016/08/14

昨年のおバカな盆の話




昨年の盆に書いた記事を見てたら
あまりにも馬鹿々々しかったので再アップ(。-∀-)






~~~~




いやー、まいった。
まさかね、まさかねぇ。



あっ、坂口です。
今年のお盆も終わりましたね。



田舎の帰省はどうでしたか、
おばあちゃんとその他の皆さん元気でしたか?



「ダー、シャシャシャシャ」って、
ムツゴロウさんばりに可愛がられましたか?



ちなみに僕の所はこういった集まりがないので、
各自がお墓参りするくらいなんですね。



で、毎年13~15日の間に行ってるんですけど、
今年は色々と予定が入ってまして、



「あ~、ちょっと厳しいな、でも行かないとな」と、
思ってた結果、出発したのが9時だったんです。
9時ってあれですよ、21時ですよ。



場所まで車で約1時間、
まあ、多少暗くてもいっか、と。




思ったのがね、間違いだったんです。




途中でお酒とお茶と線香を買って向かってると、
盆だからか、結構車が走ってました。



なーんだ、全然余裕じゃん、って思いながら、
目的地の入り口に到着。うちのお墓って、
山の上にあるんですね。




まあ、結構な山ですよ。
やまびことかできそうなくらいの山。





まあ夜っつってもまだ22時前、
全然、余裕だろって。unreveなめんなっつって。





ダイジョブ、ダイジョブ~
みたいな感じで突き進んで行ったんですけどね。


















全然ダイジョバナイの。
なに、この暗さ。





何回も来てるけど明るい時だったし、
途中の風景なんて、全然気にしてなかった。




えっ、なんで街頭ないの。
なんで民家ないの。
なんで口笛は遠くまで聞こえるの。





ヤバイ、これマジで怖い。
一人肝試し、観客なし。






スピード見たら18キロでした。






やっ、そうは言ってもね。
おれもいい年だし、男だし、むしろ漢だし、ってことで





音楽のボリューム「グン」って上げましたよ。





車内で大音量で流れる「ジブリメドレー」、
なんかもう、別ジャンルになってる。





よしいくか、と。
ここまで来て帰れっか、と。




とにかくもうダッシュでお参りしよう、と。
なんならドライブスルーみたいに車内からやろう、と。




走ってたんですけどね、途中怖さが
深夜タクシーばりに割増しになってるんです。





なんかジブリまで怖くなってきた。
オームとかマジこえーよ。




よしっ、何か歌おう。
すげー明るくてテンション上がるような!






で、この時分かったんですけど、
怖さでテンパってる時って、引き出しがおかしくなりますね。







なぜかライオンキング歌ってた。
しかも大西ライオンの方。










もうね、自分の頭どうなってんだって。
「心配ないさ~」って言いたかっただけじゃねーか、と。






それを2回くらいリピートしてた時、
セミがすげー勢いでフロントガラスにぶつかってきた。






その時鳥肌すごい立って
なぜかシートからおしりがちょっと浮いてて。









そこで試合終了、タオル投げました。






「来年はちゃんと来るね!」と心で唱え
Uターン、帰り道を頭文字Dばりに攻めました、とさ。






すげー、くだらない記事でしょ(笑)
(不思議と当時の感覚、覚えてるんだよなあ)




ちなみに今年はちゃんと
お参りに行ってきましたよ(゜-゜)






2016/08/12

【批評】在り方は認識を変えることではない。





「前提認識を変えれば世界が変わる!」




現在、そんな単純な法則が
「在り方」だと言われているようです。




「私たちは常に愛されてるんだ!」


「すべてはパーフェクトなんだ!」



「人間は思い込みの幻想で生きてる!」



「どんな酷い世界でも、自分次第でハッピーになる!」



「世界を変えず、自分を変えよう!」






ポジティブ思考が影を落としたと思えば、
似たような思想がすぐにでて来て足元を掬われる・・・




人に欲望がある限りそれはなくなることはないのかも。




ただ、その「全ては認識次第」ってやつに従うなら、
いきなり誰かに殴られても、大丈夫なのか?




「なんでそんなことすんの!」と怒ったら
「その怒りは君の心の中にある幻想だよ」と言えば、納得するのか?





戦争はじめて、特攻隊にされても
「この現実は認識を変えれば幸せなんだ」って言えるのか?




ネットで滅茶苦茶に悪口書かれてたの見て
「私は愛されてるんだ!」って思えるか?




僕はそんなめでたい理屈は信用できないな。




雨が降ったら地は固まるだろうけど、
降ってる途中はなんだか憂鬱な気持ちになる、



その「なんだか知らない憂鬱さ」こそ、
真っ当な精神の認識じゃないかしらん。









(皮肉が過ぎましたが)
量子力学から派生する唯心論者は
自分の認識を原因(起点)として現実を見てます。



例えば宇宙のビッグバンにせよ、私が
そのように認識しているから存在するのであって、
私が存在しない(認識しない)なら宇宙も地球も存在しない。



まさにシュレディンガーズ・キャット🐈
認識したモノ以外は、存在する事が出来ないってことだ。



その前提から「思考(認識)が世界を創っている」となり、
冒頭のようなまじないが成立するんでしょうが、
そういった人たちは認識ってやつを勝手に解釈してないか。




例えば、その「私の認識」ってやつはどうだ。
どこから生まれたのか、なぜ生まれたのか、
そして「間違いなく私の認識だ」と、答えられるか。




「自分の」経験、どこかで「自分が」得た情報。



それら「見えるもの」だけをひっくるめて
認識と定義することで、その認識(原因)は
すべて幻想だから自分の意思で変えることができると
主張してるんじゃないか。




だったらそれは量子力学ではなく
「神はサイコロ遊びをしない」という
因果関係を話してるじゃないか。
量子力学ではなく、物理の原理でしょう。










さらに突っ込むなら
主観は観測結果を「確認」こそするが、
「観測」することはできない。



よって量子力学では主観から完全に独立した
客観性が存在しないことを証明することは不可能。
僕はそう思ってます。



唯物論(のような唯心論)は「目に見える」以上、
すべてに仕組みや原理があると言い張りますが、
そもそも我々自体が言葉や数字という
不完全なものに頼ってるという事実を見落としてます。




例えばH2Oは水の仕組みであり原理ですが、
それだけでは水を説明したことにならんでしょう。









神の声、宇宙の意思、龍に霊。
ソウルメイトに赤い糸、



嘘じゃないもん、トトロいたもん。




まあ世の中にはそんな不思議なことが
多々ありますが、僕はそんな自分の主観を超えた
経験は確かにあると思ってます。




しかし、それは個別的なものであって
客観性を持つことができない。



また、それは「わたし」から離れた時に
起こることもあるでしょう。無私・没我の精神は
「わたし(個別)」すら、無くすことですからね。



つまり、そういった直接的経験自体は
実在かもしれないけど、客観的事実として
他者へ説明した時点で、偽物です。




なぜなら上記は個人の認識の否定であって
集団の論理を推し進めるイデオロギーですからね。




経験上、分析と俯瞰ごっこで得るものは
上から目線くらいですよ、と。




「後記」




アインシュタインの登場によって物質世界は非常に
エレガントな秩序を計測できるようになりました。
つまり「ああすれば、こうなる」という、
厳密な原因と結果の物理世界を作り出したのです。



憧れなのか何なのか、どうも人はこの
エレガントな秩序や法則を人間の世界にも求めますが、
我々は物質だけでなく精神(自由意思)を持っている以上、
完全なる秩序を作ることはできません。



散逸構造の経済を見れば明らかでしょう。
そこはペッパー君あたりに任せたほうがいいんじゃないかな。




汗だく。。。。






昨日はとある場所で調査活動。
車からちょっと出ただけでも汗だくです(^-^;






九州県内はなるべく車で。






明日は、資料まとめに資料作り。
とりあえずこれが終わったら盆休暇に入ります。






☞☞



途中、カルディに立ち寄ったら
面白いやつがあったので買ってきました。








黒トリュフのポップコーン(笑)





ドイツビールと一緒に食べてみようと思います。






2016/08/10

盆じゅーる





まいど、unreveの坂口です(。-∀-)アチー
猛暑日が続きますが、みなさまご自愛くださいね。





ちょっとでも涼めるように







さて、もうすぐ盆ですね。
当事務所は今日で訪問終了、
あとはデスクワークのみです。






てなわけで、スーパーへ出かけ
真昼間から飲んでしまったわけですよ(゜-゜)






セセリと豚バラ、そしてマグロ。




最近器を買ったんですが、
今日、ようやくおろしました。



夏っぽく青で






うみゃー( ;∀;)
至福のひと時ですわ。






お腹が減ってたので追加注文(笑)





メンドクサイから同じ皿で。






今日はデザートまでつけちゃいました。




このわらび餅は値段の割にクオリティが高い。





盆って全国各地で色々なイベントがありますよね。
帰省する人、楽しむ人。様々だと思います。




ちなみに僕は爆竹で有名な
長崎の精霊流しに行ってきます( ̄▽ ̄)










このブログでも祭りの様子をレポしますね~♪



2016/08/09

国体観念とは




認識の幅が狭い人に天皇や日本について
語れば、やれ帝国主義だ、右だと言い出し、
神道について語れば、国家神道を持ち出されたりします。




極端だなあ(゜-゜)会話になんねーだろ。




そもそも、国はアウトで郷土愛とか地元ラブを
語るのは全然セーフなんて、おかしなもんですわ。




さらに言えば、自然や地球を守ろうって言う前に
まず自分の国が先なんじゃないかと思うんです。



まあ、押し付けても仕方ないですけどね。
今日はそんなつぶやきから。。。。








僕が(個人として)思ってるのは
国すら愛せない人間が自然とか愛せるわけないってこと。



身近なもの、例えば最小単位である
家族を大事にできるからこそ、他者(組織)も
大事にできるわけで、そこから地域や国、人類って感じに
広がっていくんじゃないかしらん。



スケールのでっかい愛を語るのは全然いいけど
一緒にいる人すら大事に出来ないなら、愛なんて語るんじゃないよ、と。





☞☞☞



閑話休題。
僕は二千年以上続く天皇制を大事にしたいと思ってます。
天皇陛下万歳じゃないけど、なくなってほしくない。



そもそも(戦時中は抜きにして)政治に一切関与せず
国民に対して大きな影響力を持っている君主なんて、
世界中探してもこの国だけしかいません。



言い方を変えれば、どんな権力者でも敵わない
権威がこの国に存在している、ってこと。



この伝統が継承されていくからこそ、
我々は全人的な象徴を見失わないでいれます。
武力や財力によって時の権力者は変わりますが、
この歴史的な正統性(というべきか)は変わることはないのです。



その大切さが今回、分かったんじゃないかしらん。
現在、この国の権力者はちと危なっかしいですからね。



☞☞


思えば、不思議なもんです。
長い歴史の中、皇室(天皇)は国民から愛され
守られてきたのだけれど、実は明確な理由なんてなかったりします。



なるほど。
そこに「なぜ愛されるのか」という問いはナンセンス。
理由付けをすること自体、無意味ということでしょう。



なぜなら伝統とは、理屈や合理的理由を必要としないもの。
言葉ではなく肌で感じるものだから。



そんな揺るがない根幹を知るのは言葉ではなく
直接的な「心」であることは言うまでもありません。



どこぞのナニエモンがこの間のお言葉を聞いて
「こういうの有難がる感覚がわからん」と言ってましたが、
ある意味正しいですよ。




だって小林秀雄でさえその観念は
説明できない、って言ってるんですから。




ただ尊いと感じる心が僕の中に確かにある。



なんだか分からないけど、居てくれてありがたいと感じる。




多分に、それだけで良いんです(゜-゜)






「国体観念というものは、かくかくのものと聞いて、
成る程そういうものかと合点するような観念ではない。
僕等の自国への歴史への愛情の裡にだけ生きている観念です。
他では死ぬばかりです」。




2016/08/07

久しぶりに。。。






久しぶりの一蘭。
昔はよく食べてました(゜゜)









ちなみに僕が毎回頼むオーダーはこんな感じ↓



・味の濃さ・・・・ふつう。

・こってり度・・・・こってり

・にんにく・・・・・なし

・ねぎ・・・・・白ネギ

・チャーシュー ・・・あり

・秘伝のたれ ・・・・基本(もしくは2倍)

・麺のかたさ・・・ふつう




です。




つか、高くなったよな~。
替え玉して約1000円だもんな。







必ず頼むけど。






2016/08/06

近況とか。







福岡出店で視察に来られた
若杉社長と吉塚うなぎへ。




丑の日に食べそこないましたんでね(゜-゜)






スタミナついた。




震災のため先に三ノ宮がオープンしたんですが、
福岡店も着々と準備してます(´▽`)




これで全国の主要都市に出店できるので、
加盟希望者さんも見学しやすくなるでしょう。
(お問い合わせは僕の方でも受け付けてますよ~)




☞☞



途中、キャナルシティを通ったら
子供たちが水遊びしてました(゜-゜)





汗だくで市場調査をしていると
思わず入りたくなっちゃいますね(笑)




チョッパー、ゲットだぜ←ちがう








「後記」



バー経営で独立開業したい人は
たくさんいらっしゃるのですが、
趣味とこだわりが強く出せるためか、
廃業率がとても高い業種です。



自分はカクテルにこれだけ自信がある、
内装はこれだけお洒落だ、居心地がいい等々。



しかし(どんな業界でもそうですが)立地、コンセプト、
集客、客単価、リピート率を置き去りにすると
あっという間に運転資金がショートしてしまうのです。



バー経営を考えている方は
まず「経営感覚」を身に付けてみませんか。





2016/08/04

空想の産物、架空の存在を追い求めるな




以前、空想と想像は違うと書きました。


空想はファンタジー、漫画から引用した
世界であるけれど想像(力)には直感もあれば、
記憶も感性も 情緒も理性もあります。



そんな複雑なものを抱え込みながら
何かを作り出すのが人間の創造でしょう。


故にどんなに純粋な仕事であっても、
それは純粋な水のような「純度」はなく、純粋な意思は100%の潔白性ではない。



様々な経験の中にある色彩を重ね、
陰と陽がぶつかり合った結果、何者かが残る。
その豊富な抽象性でしょう。




今日はそんなところから。







日本では芸能活動をしている人を
アーティストと呼んだりしますね。
art、つまり芸術を作る人が
アーティスト(artist)である、と。



ただ、フランスのartは定義として芸術だけではなく、
いろんな意味があります。


美術だけでなく技法、医術、といった「ワザ」もそう。
芸術家(artiste)と職人(artisan)は親類語なんですね。


芸術は、美は現実対象として
存在するということ。



故に現実を見失った瞑想の中において、
作品は実を結ばないという明確な答えに辿り着くのです。



☞☞


作り出さないと判断できない。
なぜなら、人は存在するものしか考えないのだから。



その絶対的に変わらぬ第一条件から
アランや小林の言う端的な言葉が意味を持つ、



「作品を考えよ、作りだせ」。
なるほど、その「気質性」の源泉がなければ
仕事はアートではなくワークになってしまう、と。



現実対象としない理論や思想は
ただの絵空事である、ということでしょう。







どんなに小さくとも、表舞台に立たなくとも
何かを美しく仕上げるため、熱心に、
あるいは無心に繰り返す人はアーティストだと思います。



逆に、いくら純粋で高貴なものであっても、
それがスピリチュアリズムの域から脱出していないのなら、
我々は真の意味で判断することができないのです。




芸術家というより職人になりたいですね、その直結を目指したい。





2016/08/02

観て、見る。




高所大所に立てば現場が見えず、
かといって現場にこだわると大局が、理念が見えない、



そんなトレードオフはどこの組織も抱えているものですね。
当事務所はここに「あいだ」を持つことを提唱しています。



今日はそんな「統合知」の小噺。


Nでもないし、Sでもない。





近代は分業制の時代、
従業員は本来は一つである仕事を割り当てられ、
それだけに専念することを求められています。



自分の長所や強みを活かすという意味(専業化)では
適材適所な時代だと言えるけれど、
それによって事業全体への理解は損なわれますよね。



我々にしてもそう、人生が個人(部分)の追究となれば、
全人的な幸福など生まれることはないのです。



個人主義へ傾倒した近代が幸福から遠いのは
まさにこの部分と全体のどちらかを「真」としているのではないでしょうか。



☞☞☞



そこでこの国は二項を対立させることなく、
二重性といった「重ね」の方法をとっていたようです。



二刀流である宮本武蔵も五輪書において
「観」と「見」の二重性(観見)の重要性を説いていますね。



立ち合いの際、相手方に目を付ける場合
観の目強く、見の目弱く見るべし。



多分にそれは理性を使い分析的に相手を「見る」ことと、
場という全体性の存在を直覚的に「観る事」でしょう。



木だけを見ていても全体が分からないし、
森だけ見ていれば、一本の木が見えることはない。



よって同時に捉えるには二項が貫通するまで
「見抜く」という行為がなくてはいけない、と。








見抜きには天体望遠鏡や顕微鏡は必要ない。
個人的にはそう思ってます。



例えば木と森を見抜けば、
根を張ってる「土」に起点と終点があるように




組織の土台は風土構築からです。









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2016/08/01

所有拡大 = 自己実現 ≠ 幸福。





ナチスの強制収容所で生き残った心理学者に
ヴィクトール・フランクルという人がいます。
代表作は「夜と霧」、日本でもベストセラーになったので
知ってる方も多いでしょう。



全ての毛を剃られ、刺青で書かれた番号で管理された
著者は一日一食という、餓死寸前の状態で強制労働をさせられます。



明日ガス室へ送られるか、そのまま収容所にいるかは
ナチス達の気まぐれ、そんな日が毎日続いたのです。









そこから奇跡的に生還したフランクルは断言します。
自己実現を目指した時点で自己実現はできない、と。




後にマズロー自体も認めてますね。
自己実現は人間の究極的な目的などではない、
そもそも自己実現を意識している時点で、
生きる意味自体を見失っている証拠なんだ、と。



自己実現は副次的(やり方)に過ぎないということ。
それを人生の意味にしても、根幹の渇き自体は癒えないのです。




☞☞☞



~願望はその本性のうえからいって苦痛である。
その願望が達成されると今度はたちどころに飽きがくる。


目標はみせかけにすぎなかったからである。
所有は魅力を奪い去ってしまう~




これは哲学者ショーペンハウワーの言葉ですが、
村上春樹氏も同じような言葉で説明していますね。




~自己表現は精神を細分化するだけであり、
それはどこにも到達しない。


もし何かに到達したような気分になったとすれば、
それは錯覚である~




なるほど、多分にこの大いなる錯覚とは
所有の拡大から派生しているのでしょう。



☞☞



人を幸福にするものは、いかに多くのものを持ったか、
いかに偉大なことを成し遂げたかではありません、



今現在、手の中にあるものをどれだけ感じれるか、
それを愛し、楽しむことが出来るかどうかです。



愚かなセラピストや似非カウンセラーたちは
そんな言葉、自分の欲求を誤魔化してるだけだ」と
自己の欲望を、望みを手に入れることを正当化してますが、
バカおっしゃい。誤魔化されているのはそっちでしょう。



それは自分を誤魔化しているわけでもなく
諦めを正当化しているわけでもない。



(間違えやすい部分なので細かく説明しますが)
それは愛し、楽しめれば良い、という端的な意味ではなく、



愛して、楽しめているという経験そのもの」が
幸福は定義や説明が一切不要(不可能)であることを
教えてくれている、という圧倒的な事実認識です。







歓喜の声は叫びでしょう。
真の感動とは嘆息に近いでしょう。




言語化なんてしない、できない。
言葉として獲得した時点で手の中にはないのです。






8月突入





こんにちわ、坂口です。
8月に入りましたね、葉月です。








先日は東京都知事の投票が行われ、
元防衛大臣の小池百合子氏が当選。



消去法として考えると良かったのでは、と思ってます(゜゜)




☞☞




それよりも今月は天皇陛下が
現在の「お気持ち」を表明されるとのこと。




生前退位がデマだという記事や報道で
混乱させていましたが、多分に策が尽きたのでしょう。



文字通り「王手」。
日本の歴史が動くであろう瞬間を、
静かに待とうと思います。