トトロがくれたドングリを蒔いたメイちゃん。
毎日畑に行っては「まだ芽が出ない」と、
睨めっこしてます。
そんなある日の晩、サツキとメイの前に
トトロ達が現れ、畑の前でお祈りをはじめます。
二人も一緒になってお祈りしてると、
畑からぽこぽこ芽が生え出し、
一気に大木へと成長していくのです。
有名なシーンですね。
その後二人は寝てしまい、
目が覚めると蒲団の中。
サツキは「あれは夢だったの?」と
考えていると、メイが畑に可愛らしい
芽が咲いているのを見つけ、大喜びします。
「夢だけど、夢じゃなかった!」
このセリフって、実はとっても深いんですよね。
ここでサツキは「AだけどAじゃない」って
言ってることに気が付きましたか?それってまさに「即非」の概念なんです。
なぜならドングリの芽が出てきた
原因をよーく考えてみると、
自力か他力か。偶然か必然か分かりません。
トトロが出てきて理想(結果)を
叶えてくれたか、メイちゃんが
トトロを引き寄せて芽が出たのか。
それとも、自然な流れとして
芽が出ただけなのか。
いくら考えてもわかりませんよね。
分からないと言うか、どれもが原因になってる。
これを禅では「啐啄同時」と呼ぶようです。
二人はそんな夜の出来事を「実感」として
覚えています、つまり経験的な事実です。
現実に考えると一瞬で大木に
なるわけがない。
(けど)現実は芽が出ている。
そんな現実と夢(理想)の狭間を
「夢だけど、夢じゃない」と言ってるんですね。
見ればベルグソンや小林もこういった
霊的な実体験を蔑ろにしなかったようです。
「後記」
二人はそんな夜の出来事を「実感」として
覚えています、つまり経験的な事実です。
現実に考えると一瞬で大木に
なるわけがない。
(けど)現実は芽が出ている。
そんな現実と夢(理想)の狭間を
「夢だけど、夢じゃない」と言ってるんですね。
見ればベルグソンや小林もこういった
霊的な実体験を蔑ろにしなかったようです。