2017/01/17

没頭は第10層にある真情の世界




今日は自己について(゜-゜)カコキジ









我々は世間や他人を気にするあまり、
何かに深く「没頭」するのを恐れてしまい
「世間用の自分」を壊すことができません。



「こう見られたら恥ずかしい」


「変なやつって思われたらどうしよう」


「イジメられたら嫌だな」



理由は多分、こんな感じでしょう。
ただ、没頭することで初めて、自我を
超えた「自己」の鼓動を聞く事ができます。




心理学者ユングは晩年自己を追求し、
その答えを「曼荼羅」に見出したのですが
個人的に調べていけばそれは
「形式」では掴めない体験知(感性)だと分かりました。


そんなとこからユング、フロイト、
フロムとの三股関係から別れたんですね(笑)
心理学と決別したわけです。



☞☞



話を戻しましょう。没頭した状態になると
他人や世間なんてものにかまっている
余裕なんてありゃしません。



というか他人が見えなくなるんですね。
だから下手すると危険なものにもなるんです。
(だから小林は責任を負うことを説いた)



なるほど、昔の日本の学者たちは、
追いかける対象に夢中になるあまり、
日常生活において異常ともいえる
行動を起こす人がとても多かったようです。



例えば(小林秀雄もそうですが)、
岡潔の行動はまさに奇想天外といいますか、
常識ではありえない事ばかりしてまして、



アイデアがひらめいたらそこが
道端だろうが、なんだろうが関係なく
地面をメモ代わりに、何時間も
しゃがみこんで書き続けていたそうです。
(アインシュタインもそうでしたね)



服はヨレヨレ、靴は夏も長靴。
髪はボサボサでそんな奇行されたら、
普通の人なら引いちゃいますわな(笑)



しかし、彼の言葉は本質を捉え、
偽物を簡単に見破ってしまうのです。





岡潔は、独力で不定域イデアルの理論を開発した



そんな岡は当初仏教に答えを
見出していましたが、やがて真如の
さらに下にある真情を発見しました。


阿頼耶識は第8層、集合無意識の世界。
真如(万物は一つ)は第9層であり知の世界。



そしてその奥にある10層が
日本の心である情緒、真情の世界だ、と。
それは個体ではなく流体のようだと言います。



それを知ってから著書を買い漁る日々。
当時はAmazonなんてありませんでしたから
古本屋と図書館巡りばっかりしてましたな(笑)



高知にある岡潔研究会にも行きましたね。
会長さんはメールができなかったので
最初は別の方とやり取りしたり、と笑




☞☞☞



閑話休題。
さて、今でこそ没頭の経験は
少ないんですが、この状態って
実に不思議なことが起きるんですよね。



最短で掴めるというか、
気がついたらそうなったっというか。



成功された方はこういった無我夢中の
経験をたくさんしていると聞いて、
なるほど、と思いましたね。




小さな子供なんかでも理性や
意識がまだ弱い状態ですから、
こういった状態がよく起こります。



昔の子供ってよく「よだれ」とか
たらしてましたよね。あれってまさに
没頭してるから体中の筋肉が
弛緩して、涎(よだれ)が出てるのです。



好きなものをじー・・っと
見ている子供ってそうでしょ。
あれは対象と一体化しているんです。



最近そんな子供は見かけず
やってるのは赤ちゃんくらい。
もしかしたら今の社会は「子供らしさ」
と言うものが嫌いなのかもしれませんね。




そんなもの早く卒業して大人になれと。
それはすなわち自然の拒絶でもあるでしょう。







理性の占める割合が高くなると
対象に飛び込むことはできません、
あの状態って記憶がおぼろげに
なりますからね。言わば自我の「死」なんです。



そんなおっかない所へ飛び込むには、
「やっても大丈夫だ」という経験を
過去にやっておかなくてはいけない。



本来、それは家庭や社会や大人が
支える役割だったんですが、
今はちょっと難しいですね。




いつかそういった社会になれば
良いなと思う、今日この頃です。






※この記事は2013年のものを編集し、再更新しています。





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