2016/05/21

医者兼患者




レトリックとは大衆の無知と弱点に媚び、
それをおべっかで欺くことで大先生だと思い込ませる雄弁術だ



そんなプラトンの言葉を思い出す今日この頃。
あーあ、夜中ってなんでこういうものを書きたくなるんだろう。




まっ、いっか(゜゜)最悪消せばいいし




☞☞☞




今ほどレトリックが、救う側と救われる側が
別れている時代はないような気がしますね。



それらは結局、無知と弱点に乗じたもの。
医者の立場から患者を診てるだけじゃないのかしらん。



医者が使命に捉われれば改良・革新家になります。
患者との争いがない以上、当然の結果でしょう。



ただ、そんな医者のカルテに患者が捉われば、
サナトリウムに入るしかない。



僕はそれについて疑問ですね、
本当にそれで良いのか、と。



そういった人は味方の顔をして、
実は最悪な敵なんじゃないか。



まるで境界線にいるピエロが
いつも悲しい顔を作って、笑ってるように








そういった意味で太宰の作品は
いっこうに好きになれませんね。




自己憐憫によって人の弱さを積極的に肯定した
動物的な自意識、




「生まれて、すみません」




それで良いんですよ、それで良い。
それが人間だもの、それがヒューマニズムってもんです。




ほら見ろ、と。
やっぱり青臭い弱点に乗っかってるじゃないか。




そんなん見ると、うぎーってなっちゃう(笑)




もちろん、人間自体は弱いもの。
「僕は弱くない」と言ってる奴が嘘つきなのは間違いない。



ただ、それは弱点と慣れ合っていいという
理由にはならないでしょう。




不思議なもので、強がっていれば
額面通り「あの人は強がりだ」と思われるけど、



反面弱っていると「あの人は弱がり」だと
思われないという、妙な心理(空気?)がありますね。




まるで、「より真実の自分に近い」と
言わんばかりだけれど、




大事なのは弱さを認めた上での挑戦でしょ。
僕はそう思ってます。




☞☞



本当に力のある思想は、そんな弱者の立場や
教義的な場所にずっと居座ってはいません。



彼らは医者の立場ではなく、医者と患者を兼ねている。
いわば最先端の医者であると同時に、最先端の患者の立場にいます。



だからこそ、実証できないけど存在するものに
献身する。ここが信仰の領域なのは言うまでもない。



宣長の言う「いみじく、すぐれたるもの」。
彼らの神とは「上」でしょう。




あっ、話しが飛んできた(笑)
見れば5時になりそうなんで、そろそろ寝ます。





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