2016/03/04

向かう先には





今回の松岡正剛さんの千夜千冊
これ、いつか書いてくれるだろうと
期待してました(゜゜)



確かに、もう情報洪水とか爆発とか
言うどころの話じゃないよな。
地球上の砂浜の砂の数より何倍も多いんだから。



これをただ時代の流れだと片づけるような
想像力のない人間を僕は信用しない。



そこに「嫌な感じ」を覚えないわけがない。
それは常に、便利さの裏に隠れている。



発明した技術に裏切られない
根拠なんて、どこにもないんだ。









とにもかくもビッグデータ時代の技術と思想は、
まだ始まったばかりなのである。
どんなふうにするかは、ほぼこれからだ。  


インターネットとセンシング・テクノロジーが重なり、
高度結合が行き過ぎて「過剰結合状態」になり、
世界が「結合思考感染状態」になってしまったのだから、
こんな事態になってしまったはやむをえないことではあるが、


けれどもここにこそ、われわれの文明と
文化の前途も、コミュニケーション技術の前途も、
そして、それに依拠したいと思うビジネスマン諸君の
BI(ビジネス・インテリジェンス)の前途も、
すべてかかっていると見ておいたほうがいいだろう。



~千夜千冊より一部引用~




どう解釈するかは個人の自由だけど、
僕は(仮に完全にコントロールできたとしても)
決してそれが進歩であるとは思わない。



その前提から向かっていくのは複雑性ですよ。
宇宙だって、もう我々には理解できない
高度な数式の世界になってるじゃないですか。



しかもそこには終わりなんてない。
因果なんて無限に続くものです。



この結果を生み出した原因は?
じゃあこの原因は?だったらこの原因は?



これは足し算の数が変わってるのと同じこと。
1+2=?1+3=?4・5・6・・・・キリないでしょう。



しかし今は正解との関係性を知ることが
「知る」ことになってしまってる。



だったら商売を知るってことは
ビッグデータを上手く使えるってことと
同じになってしまうけど、



だったら機械の方がよほどうまくやりますよ。



☞☞☞



確かに、将棋や囲碁の様に、
いつか人間では完全に勝てなくなる分野も
出てくるでしょう。



しかし我々は白か黒かで決定されていない。
感性に因果など見つからない。



水を知るとはH2Oという化学式を知ることじゃない。
我々はその五感全部で水を知るんです。




これは別に科学を捨てろって話じゃなくて、
しっかり自分の感覚を守ろうってこと。




余計なことかもしれませんけどね、
僕はそう思ってます。






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