継続は力ではなく「欲望の有無だ」と言う人がいますね。
何かをずっと続けるには才能なんかより
いかに意欲を持続させるかが大事だ、と。
なるほど、確かに一理ありますな(゜゜)
そこから「欲望の強さ=生命力の強さ」が成立しているんでしょう。
今日はそんなところから。
さてこのブログでよく「情熱」って
書いてるんですが、誤解されている方が多いみたい。
まるで猪突猛進のエネルギーみたいに
考えているようですが(僕の考える)
情熱はそんな
熱意とか欲望みたいな
瞬間湯沸かし器ではありません。
熱意であればどれだけ強くとも焚き火と
同じようにいつか燃え尽きてしまうでしょう。
例えば四十代の諸君、頭の中が半分性欲で
出来てるような二十代の恋愛できますか?(笑)
カラオケでオールだって、もうできませんよね。
それを再燃させるのは非常に難しい。
枯れてしまってますからね、当たり前の話です。
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欲望が目指すものは貧しさより豊かさ、
劣等より優越、空腹より満腹という
「今の欠如感」から派生したもの。
そう定義することができます。
そして(話は逸れますが)我々は可能な
ものしか望まないようにできています。
よく「欲望には際限がない」と言われますし
事実そうなんだけど、自己の尺度に合ったものしか
希求しない、できないようになってるんですね。
世界の支配者になることを空想することは
容易いけど、それが欲望になることはないでしょう。
ここで言う尺度は器量と置き換えても良い。
つまり欲望とは人生の体験や経験と言った
過去の延長線上にある「嗜好」に限定されるわけです。
お嫁さんになる!金持ちになる!
海賊王になる!とかね(笑)
これらはみな、過去と未来が繋がった欲望と言えます。
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反面、情熱の向かう先は「存在そのもの」。
圧倒的な自然を見たり強烈な出来事を
体験した人なら分かるでしょうが、
過去や未来ではなく境界線(今、この瞬間)が
覚醒します。過去の記憶や未来への思考など
一切受け付けない「わたし」になる。
ちと大げさな書き方ですが(笑)小林は
様々なる意匠において直観もここにあると
言ってますね。そこが「無私の私が有る」場所だと。
てなわけで僕の定義する情熱ってのは
こういったものを感じる「感受性」なんですな。
燃やすとか上げるものではなく本来の自分が
持っている豊かで鋭い精神のこと。
だから情熱はね、平熱ですよ。
モチベーションとかテンションとか
パッションとか、ションなもんじゃないんですわ←最低な終わり方