2015/12/22

ストレスと花粉②



前回に続き、ストレスについて。




ただ、書きながら思ったことが一つ(゜゜)





クリスマス前にこのテーマはいけませんな。
誕生日会でお粥食べるようなもんです(笑)




てなわけで、一気にアップするとしましょう。
皆さんもササっと見て、スッと忘れてください(?)




誤字脱字、文章の繋がりのなさは
ご愛敬ってことで。









さて、ストレスに限らずあらゆる問題は
ボトルネックを発見し、それを「解決」するのが
セオリーですが、ストレスの場合そうとは限りません。




例えば自分が何に対してストレスを
感じているのかを知ることは大事ですが、



「それは解決できる性質なのか?」と聞けば
そうじゃない場合もありますよね。
(例えば未来に対する不安は解決できないように)



根幹が分からないまま対策だけ増やしても
的に当たることはないでしょうが、



根幹が分かったとしても「解決」という行為が
通用しなければ、離れることも必要です。



このブログでは、それを誰から
言われることもなく(自由)、



条件反射的にできること(自在)を、
お伝えしています。



☞☞



巷の情報はそこを抜きにした
「ああすれば、こうなる」と言ったものばかり。



そんな世間が思うストレスの常識ほど
あてにならないものはありません。



例えばよく「ストレスに弱い現代人」とか、
「ストレスが人を成長させる」とか言ってますが、
これほど無責任な発言はありませんわ。



なぜならそれは「閾値を超えない限りでは」という
大前提があって成立しているわけで、



今の社会はその閾値を簡単に
超えてしまう時代なわけでしょう。



つまり「いい加減にせい!」の
「加減(閾値)」が分からないから、
突き抜けちゃうんです。



ビジネスの現場ではちょっとのミスでクレームが入り、
反論すればネットで晒され叩かれたりしてますし、



学校ではイジメが表面化しなくなった反面、
根が深く、陰湿になってますよね




それは他者の痛みが想像できないということ。
加減とは、想像力の欠如なんです。




そんな精神の質的変化(退化)を無視して、
旧時代の通念で我慢しようとしても無理があります。







今は自意識が個人主義によって肥大化し、
主張の正当性だけを求めている人が多く、



見れば、そんな精神状態を自覚しない人ほど、
ありえないような「解決方法」へと向かっています。



その解決策の大半は呪術的であり、宗教的であり、
現実逃避型ですが、それを信じてしまうのです。




なぜそんなものが信じられ、人気になるのか?




理由は簡単。
その人が提唱する地に足が着いていない思想や、
支離滅裂な理論がそれを信じる人々の精神状況と同じだから




引き寄せだってそう、似たもの同士が
同じ輪の中、その向きだけが変わっているだけでしょう。



そんな所からはすぐ出て行った方が良いんですが、
ストレスを感じている人は他人との繋がりを
強く求めますので、余計に離れられない。




結果、溺れる者はいつも藁を掴んでしまい、
足元を他人から掬われてしまうんですね。




ここまで回帰すればあとは簡単。
その「連鎖(根幹)」を断ち切るだけです。




てなわけで、次回はまとめです(゜゜)



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