2015/01/29

花伝書「急」

白と黒が折り重なるように、

ミクロとマクロが同じ環の中にあるように

同時に考えなくてはいけない時代です。







つまりこの転換の先にあるもの、

今回一刀両断する「その先」とは、統合の入り口です。





柔軟な関節と強固な骨、その矛盾したものを

どこまで内部最適に保てるか。








花伝書のクライマックス「急」、

ビジネスでFC化を考えている方や

理念の意味を知りたい方は必見です。




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これまでの我々はこうであった、

これからの我々はこうなるであろう、

なぜなら「これこれ」と言われているから。





日本の知識人はこの手の命題を語るばかりであって、

その先を提示すれば、批判される空気があります。







「ではこれからの我々はどうあるべきか?」

といったイシューになると、途端に口を閉ざしてしまうのです。







あるべきヴィジョン、あるべき姿。

こういった一歩踏み込んだメッセージを発信するとなると、

反射的に思考停止に陥ってしまう。







なぜでしょう。

その理由は、「破」に記載した精神性によるもの。







つまり自前の経験によって自前の言葉で作られた、

自前の思想で語る経験が少ない。







なぜ自前の思想でやっていなかったのか?

それは保証する人がどこにもいないから。







口では冒険だ、挑戦だ、独自性だと言いながらも

心の最優先事項は安心、まず前例を求めるのです。







原発問題を始め、あらゆる問題に対し、

必ず、諸外国から「キャッチアップ」する「成功事例」を求めます。







チェーン理論であれば、アメリカが「本場」だ、

サッカーであれば、「ブラジルに学べ」、





これが教育になれば「フィンランドのメソッドを」となります。

これは国内でも同じように、繰り返されています。







では、上記の学ぶ対象自体は

どこの誰から学んだのでしょうか。









もちろん、それは思考錯誤や淘汰の末、

生き残った自前の思想であるのは間違いないのです。









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語ることなく、従属することが常態化した

この国は、相対的優劣性で語ることが常態化されています。







「世界の松阪」や「世界のホンダ」等

当たり前のように使ってますが、本来は異常な事なのです。







「世界のロナウド」や「世界のスターバックス」と、

本国メディアは言わないでしょう、そう言う事です。







これが政治の世界となるともっと酷く、

完全に世界における「順位」でしか見ていません。







学歴順位や、経済ランキングといった相対指標でしか、

自国を語れないのです。







比べ、取り入れ、編集することが悪いのではありません。

問題なのは、それがすべてにおいての「指針」になっている事、







つまり、育て方や編集は誰よりも知っているけれど

肝心のタネを持っていないのです。







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そもそも、物事には順序があって、

本来、一番最初に作るべきものとは、

理想像(ヴィジョン)の確立です、それがないと始まらない。







そこから、思考錯誤による具体性やリスク、

取り決めやルールが作られるのが自然な流れであって、

いきなり具体性(方法)が生まれることはありません。







歴史を見れば、未だかつて誰も実現していない

壮大なもの、不可能なものに挑戦し、多くの人が達成してきたはずです。







故に、原発問題で「廃炉」のビジョンを語るのは

現段階では、未だ現実化していない壮大なヴィジョンであって、

具体的方法なんて、誰も分かりません。







その段階で「廃炉は現実的じゃない」というのも、

「では具体的にどうやるのか」というのも、

当たり前の大前提を武器に、語っているだけ、







部分だけを切り取って批判するのは卑怯です。

大事なのは、まずそれを「打ち出さなくてはいけない」。





しかし、上記批判があるから極端に恐れてるのです、

なぜなら境界線のアイデンティティ重視だから。







この国は方法こそ優れていますが、

肝心の目的(原点)は常に借り物からの派生だった。





よって「私の正しさ」について、語ることができず、

その正しさを実現する精神よりも、「あの人の正しさ」を求めるのです。







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そんなやり方でしか語る事ができないという

慣習や性質に全く気が付いていません。







だから「よし、これから欧米のように発信しよう」とか

「いや、それでは中国のようにはなってしまう」と。







その時点ですでに外部を意識しています。







この無意識的依存心にどれだけ気がつけるか

これが理念の作り方であり、「らしさ」の創発です。




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内部領域を外部によって確信を持つ慣習により、

下手すれば、理念でさえも他人に作ってもらおうとしますが、







これは真っ赤な嘘、まず信用しない方が良いです。







「御社の理念を作ります」というコンサルがいますが、

理念は絶対に自分にしか分かりません。







当然、その花が咲く保証もありません。

その行為や判断の正しさは後世にしか分からないのです。







しかし、それでもやろうとする無意識的「意志」、

この態度が必要なのです。







この意志は豊かさの代償でもあります。

外部から見れば、それが意固地さに映り、

つい自前ではない「正義」を語りだします。







裏を返せば、自分が帰る原点がない証拠であり、

それを持っている人に対するある種の嫉妬なのです。







それよりも市場を見よ、実績を出せ、と。

それは「軸のない人」の消えない劣等感を

分かりやすいお金や名誉で補完しているだけなのです。





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「そもそも、私は何のためにこの会社を作ったのか」

という、根源的なものを形式化したのが理念です。





よって、企業が困窮した時は、一旦、この理念へ

原点回帰します、言わば憲法のような役割なのです。









定言命法であり、ダルマ。

反面、外部であれば仮言命法やドグマとなります。









unreveがFCに理念がないといけないと伝えているのは

まさにこの絶対命法を生み出す事であり、









その主語(自己中心)があって初めて、

この述語(場所中心)であるこの国は超克できます。







なぜなら、確信が深く内面化することによって

「これが私のビジネスの価値だ」と、スパっと言い切る事で、







「これが世界に提供できる価値なんだ」と、

言い切る事もできるからです。







この国の企業が独自の目的を持ては強いです!













長くなりましたが、以上

花伝書「序破急」、ビジネス篇でした。










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