2017/01/18

変わることで同じになる




こんばんわ。


コタツを考えた人って神様なんじゃないかと思ってる、坂口です(゜-゜)






コタツすげー。






さて、年が明けてもう月の3分の2が過ぎようとしてますが
みなさんは一年前に何をしてたか覚えてますか?



こういった時、ブログって便利なもんで
一年前の今頃に何をしていたか
過去記事を調べるとすぐに分かります。





沖縄いました。





ちなみにこの一年前の写真は間違いなく
僕ですが(笑)今の僕とは別人なんですね。



なぜなら人間の身体は9割は
一年で入れ替わるから。
我々の身体の大半が水ですから、
ほぼすべて変わっているんです。



髪も、爪も、心臓もそう。一年前の
写真の僕は情報としては同じだけど
構成しているものは全く違う。
顔つきなんてすぐ変わります。



同窓会なんかでよくありますよね。
久しぶりに会った時、「こんな顔だったっけ?」とか。



それはボケてきたんじゃなくて(笑)
細胞が原子レベルで入れ替わっているので、
雰囲気や体型などがゴロっと変わってるんですな。




子供だったら特にそう。
男子三日会わざれば刮目して見よ
って事です。



☞☞☞



このように、ネットにある写真や
動画(情報)は何年経っても
変わらないけれど、実際の「わたし」が
常に変わっていくのであれば、



「わたし」とは、どこにあるんでしょうね。
まさか写真の中とは言わないでしょう(笑)



自分らしく生きて自分を活かす。
私は何々主義で、これが好き、あれが嫌い。



こうやって情報(言葉)にすれば変わりませんが、
時間と共に重なり合わなくなってきますよね。



そんな流動的な「わたし」中に
普遍的ともいえる働きがある。
個人的にそれが個性だと思ってます。



☞☞





個性はみんな違います。
正しく個性を出してる人は「その人」から
離れることはなく、誰とも似たところがありません。



なぜなら個性は自由から生まれるから。
帰属意識(場所)に束縛された思考の中に
個性は存在できないのです。



そして、そんな誰とも似たところがないものに、
なぜか我々は共感が持てる、と。




例えば良いものって普遍的に
共感しますよね。つまり個性的で
あればあるほど共感するということでしょう。




違えば違うほど同じになる。
これって不思議ですね。




☞



ちなみにこの共感ってのは
良い意味だけじゃありません。



間違った個性は「腹が立つ」もんです(笑)
例えば精神が卑しい人間って、共通してるでしょ。



つまり多くの感情が動いている、と。
反面、本当に理解できない人のやることは共感が起こりません。



オウムの件だってそう。
ただ「恐ろしい」と思うだけです。




故に独自性や個性というものは他人に
理解できない特別な人物になって、自慢することじゃない。




いつか必ず「あたりまえ」になるもの、僕はそう思ってます。







2017/01/17

没頭は第10層にある真情の世界




今日は自己について(゜-゜)カコキジ









我々は世間や他人を気にするあまり、
何かに深く「没頭」するのを恐れてしまい
「世間用の自分」を壊すことができません。



「こう見られたら恥ずかしい」


「変なやつって思われたらどうしよう」


「イジメられたら嫌だな」



理由は多分、こんな感じでしょう。
ただ、没頭することで初めて、自我を
超えた「自己」の鼓動を聞く事ができます。




心理学者ユングは晩年自己を追求し、
その答えを「曼荼羅」に見出したのですが
個人的に調べていけばそれは
「形式」では掴めない体験知(感性)だと分かりました。


そんなとこからユング、フロイト、
フロムとの三股関係から別れたんですね(笑)
心理学と決別したわけです。



☞☞



話を戻しましょう。没頭した状態になると
他人や世間なんてものにかまっている
余裕なんてありゃしません。



というか他人が見えなくなるんですね。
だから下手すると危険なものにもなるんです。
(だから小林は責任を負うことを説いた)



なるほど、昔の日本の学者たちは、
追いかける対象に夢中になるあまり、
日常生活において異常ともいえる
行動を起こす人がとても多かったようです。



例えば(小林秀雄もそうですが)、
岡潔の行動はまさに奇想天外といいますか、
常識ではありえない事ばかりしてまして、



アイデアがひらめいたらそこが
道端だろうが、なんだろうが関係なく
地面をメモ代わりに、何時間も
しゃがみこんで書き続けていたそうです。
(アインシュタインもそうでしたね)



服はヨレヨレ、靴は夏も長靴。
髪はボサボサでそんな奇行されたら、
普通の人なら引いちゃいますわな(笑)



しかし、彼の言葉は本質を捉え、
偽物を簡単に見破ってしまうのです。





岡潔は、独力で不定域イデアルの理論を開発した



そんな岡は当初仏教に答えを
見出していましたが、やがて真如の
さらに下にある真情を発見しました。


阿頼耶識は第8層、集合無意識の世界。
真如(万物は一つ)は第9層であり知の世界。



そしてその奥にある10層が
日本の心である情緒、真情の世界だ、と。
それは個体ではなく流体のようだと言います。



それを知ってから著書を買い漁る日々。
当時はAmazonなんてありませんでしたから
古本屋と図書館巡りばっかりしてましたな(笑)



高知にある岡潔研究会にも行きましたね。
会長さんはメールができなかったので
最初は別の方とやり取りしたり、と笑




☞☞☞



閑話休題。
さて、今でこそ没頭の経験は
少ないんですが、この状態って
実に不思議なことが起きるんですよね。



最短で掴めるというか、
気がついたらそうなったっというか。



成功された方はこういった無我夢中の
経験をたくさんしていると聞いて、
なるほど、と思いましたね。




小さな子供なんかでも理性や
意識がまだ弱い状態ですから、
こういった状態がよく起こります。



昔の子供ってよく「よだれ」とか
たらしてましたよね。あれってまさに
没頭してるから体中の筋肉が
弛緩して、涎(よだれ)が出てるのです。



好きなものをじー・・っと
見ている子供ってそうでしょ。
あれは対象と一体化しているんです。



最近そんな子供は見かけず
やってるのは赤ちゃんくらい。
もしかしたら今の社会は「子供らしさ」
と言うものが嫌いなのかもしれませんね。




そんなもの早く卒業して大人になれと。
それはすなわち自然の拒絶でもあるでしょう。



☞



理性の占める割合が高くなると
対象に飛び込むことはできません、
あの状態って記憶がおぼろげに
なりますからね。言わば自我の「死」なんです。



そんなおっかない所へ飛び込むには、
「やっても大丈夫だ」という経験を
過去にやっておかなくてはいけない。



本来、それは家庭や社会や大人が
支える役割だったんですが、
今はちょっと難しいですね。




いつかそういった社会になれば
良いなと思う、今日この頃です。






※この記事は2013年のものを編集し、再更新しています。





2017/01/16

とは何か?




最近、国の出した統計を色々と
見ていたんですが、悲しい事に
若者の死因の第一位が「自殺」なのは
変わってませんね。
東京都では特に深刻化しているようです。



不景気で自殺者が増えるってことは
「万事、金次第」という社会になっていると
言えるでしょう。もちろん全てじゃないですが、
一つの原因としてある気がしますね。



こんな時ほど、僕は青臭い議論が
必要なんじゃないかな、と思ってます。
孟子は「恒産なければ恒心無し」の
言ってますが、それはお金じゃない「何か」しょう。



お金以外に寄りかかれる土台を持つ、
それはすなわち、自分の根を張ることのような気がします。



まあ、それも程度次第ですが。
てなわけで、今日のテーマ(゜゜)








さて、現在たくさんの人が
「幸せの方法」を発信していますが、
カントや釈迦は問いの立て方次第で
どうにでもなる、と言います。



例えば、体の中の細胞が知識を持って
話せたとしましょう。その際、いくら
頭の良い細胞君が世界を説明しようと
しても細胞である以上体内だけに限定されたものですよね。




これが世界の果てだ!と思ってたら
実は子供の身体の中であって、
宇宙の法則を発見した!と思ったら
心臓の鼓動だったとか。
(詳しくは過去記事「ヘビの味覚」を)




つまり「ない」のではなく答えが
別の次元にあるから「掴めない」ってことでしょう。




故に(親鸞批判じゃないですが)、
「なぜ」という命題は蜃気楼へ向かう
ジプシーになる気がするんです。




何故働かないといけないの? 
何故生まれてきたの? 
何故生きていかないといけないの? 
何故、何ゆゑ、どうして? 





掴めない不可知を断言し、
理屈を付ければどうとでも言えます。
しかし、大抵の答えって実感のない
干涸らびた概念じゃないですかね。



例えば「清く正しく美しく」とか。
それが徹底できた人なんて極悪人と同じくらい少ないもの。



☞☞☞




個人的に思う正しいと
思ってる問いの立て方は
「何故?」ではなく「とは何か?」。




働くとは何か? 
生まれる(生存)とは何か? 
生きて行くとは何か? 




この問いは終わりがありません。
しかしプロセス即アンサー、
そのまま答えになってます。



ベルグソンはうまく出せた問いは
そのまま答えになると言いましたが
裏を返せば問いの質、正否を思考せず
いきなり正解へ向かうことへの批判でしょう。







分析や科学はいつになっても運動や生成をとらえられない




そもそも論に還るのであれば
人生において絶対的に動かしては
いけないものは個人の「幸・不幸」です。



そして幸不幸ってやつは「見」じゃなくて
「観」じゃないと掴めないわけでしょう。
人生観の「観」は「見」じゃなく、心眼に近いもんです。




しかしどうしても見たいし、説明したい。
その欲求から「なぜ」が生まれるのではないか。




なるほど、だから幸福をセロトニンとか
エンドルフィンだとか言ってるんでしょう。
物質(幸せホルモン)として捉えた、と。




しかし最近ではセロトニンが恐怖や
不安も引き起こすことが分かってます。
表面的な「見」ではどんどんわからなくなってくるんです。







昨日の晩御飯




今日の夜ごはんはきわみやさんの「和牛肉とろ飯」






これに味噌汁付きで880円(安い)!
ステーキの部位を贅沢に使ってます。



ごはん大盛りは無料なんで迷わず大盛り。
そしてニク増量(300円)が定番です。







味は言わずもがな!







2017/01/14

随筆~多層な声に耳を傾けて~




心に浮かんだことを筆に任せて書くことを
随筆と言いますが、



僕のブログはこの「任せる」部分が大きく、
こう書いてやろうという計画性が全くない。
啓蒙だからと勧めるほどのもんじゃありません。



しかし、こうやって自分の思うことを
文字にすると、つい誰かの思想を
一方的に蹴とばしてしてしまうことがあります。
(ソーシャルと違い、対話目的じゃないので)



開き直らず整えているつもりなんですがね。
なかなかうまくいかないものです(゜゜)




と、内省と言い訳はこれくらいにして(笑)
今日も思うことをツラツラと書いてみます。










さて、調べればこの国は明治以後
始まった画一化の教育(洗脳)が
非常に「うまく」いったケースだと言われてますね。



「うまく」とは自分で調べ、判断せず、
慣習、定説、常識を金科玉条としてしまい、
他者の異論を拒絶、無視してしまう精神状態です。



そこに、それで世の中が回っているなら
大丈夫じゃないか、と言うおかしな安心感を
娯楽(3s)を通じて与えられた、と。




確かに大成功ですな。
その結果、言葉(自然)の持つ多層性、
つまり「裏」を調べるのが「メンドクサイ」と。




今流行りの心理学なんてまさにそう。
怒りはこれが原因だ、情熱はこうだと
「一単語、一意味、一反応」で定義しているのですが、




小学生が言う「わかった!」と
アインシュタインの「わかった!」は同じじゃない。
女性の言う「カワイイ」も違いますよね。
文字も発音も同じだけれど。




あれって、女性性(感性)の無意識な
「抵抗」のように感じるんです。







個人的に、異論で片付けられたものの
中には、正しい情報がたくさんあると思ってます。



例えば最近、とある記事から環境問題の
ジャーナリストである、船瀬俊介氏のことを知りました。



ネットでは「トンデモ」だと批判されてますが、
記事見る限り、実証を取っているものが多い。
(陰謀論は置いといて)


なぜワクチンに何故猛毒水銀が入っているの?



「トンデモ」と書いているだけで興味を
持つのが悪いかのようにしていますが、
それって「異論」を「悪口」で見てるってことでしょう。



そして、それは誰に対しての悪口かと言えば
厚生労働省といった「お上」なわけです。
つまり「お上の言うことは正しい」と。



この不思議な信仰によって、海外では
販売禁止されているようなものでも
この国では大手を振って歩いてますよね。



☞☞



とは言え、
自分が正しいと思うことと、
それを他人に強要するのは別問題、
僕は「人間の作ったもの」は
基本的に信用しないようにしています。



思想然り、科学然り。
一見素晴らしく、尊いものだったとしても
「尊い」ことが「正しい」ことになるのではない。
(だから船瀬氏の発言も正しいとは思ってない)



それがまかり通るのであれば、
なんでも良いことになってしまいますからね。
「あれば尊い」、「これは美しい」と言う具合に。



無論それを信じるのは個人の自由です。
しかし、それを啓蒙して普及するとなると、
正しいかどうか解っていないものをシェアするってことです。



シェアって書くと柔らかくなりますが、
厳しい言い方をすれば「まき散らす」、と。



震災時のツイッターでも起こりましたよね。
これも言葉の多層性が消えたことの証拠ではないでしょうか。




☞☞



食の問題に対してもそう、
例えば肉を食うな、タバコは癌の元だ、
ジャンクフード、コンビニ弁当は危険だ、



白砂糖はダメ、マーガリンはダメ。
添加物取ったら病気になってしまうという、
情報はかなり広がっています。




でもそれを食べたら全員が
バタバタ死んで行くの?
逆にストイックな食生活さえすれば長生きできるの?



そもそも、どうしても食べたいものや
飲みたいものを我慢してまで長生きするって、幸せなの?




僕も一応は摂生してますが、摂生すれば
大丈夫なんて誰もわかりゃしません。
知り合いが働く介護施設のお婆ちゃんは
90過ぎてもタバコを吸ってお菓子食べてると言います。



それって悪い事じゃないですよね、
本人がそうしたいんだから。



☞



てなわけで僕はよほどの確証がないと
人に是非は勧めません。



人の身体(環境)にはそれぞれ事情がある。
食だけに限らず人生だって本来そういうものだと思ってますから。





「後記」



ちなみにタバコを吸うと「肺ガン」に
なるリスクが高まると言われます。
タバコで肺が真っ黒になるとかよく聞きますよね。



しかし元解剖学者である養老孟司氏は
年配者は全員、肺が真っ黒だったと言うんですね。


その理由は「消化できないゴミが入って、
それを細胞が食べて溜めてるから」だと。
解剖学者が言ってるんだもの、間違いないでしょう。



そもそも禁煙者がこれだけ増えているのに
肺がんの患者数がこれだけ増えているという
データ自体が矛盾してますよね。



まあ、正当化でしょうが「個人的には」
タバコを悪者にしている発信者を疑ってますよ(笑)



カダフィーさんの件だってそうでしょ。
レトリックの裏には必ず何かがあります。







2017/01/13

最近見た、お勧め漫画





この間、ネカフェで見た
「曇天に笑う」が久々のヒット ( ・∀・)=bオモロイ




絵が好き。




サラッと言うセリフがスルッと入ってく(笑)
多分、漫画だからだろうね。








漫画を基礎にすると現実感が
薄れちゃうっていうのは僕の自論だけど、



現実が基礎になってるなら
漫画が薄くなるってことはないね。



80になっても20の読む漫画を
楽しめるジジイでありたい(^-^)




ちなみに空丸が一番イケメン
(次男びいき)




2017/01/12

ネズミを捕まえたネコは、どんなネコでも正しい!?




あぁ・・・、善悪の判断が分からなくなった、
今やってることに価値はあるのだろうか。


一体どこに拠り所を持てばいいのだろうか。
何を信じたらいいのだろうか。


本を読んで、いくら知識を得ても
ますます混乱するばかり。


神はいるのか、いないのか。
いるならなぜ、こんな世界になったのか・・・・





と、正解を求めている人ほど
こういったことで悩んでしまいます。



ちなみにこの「価値の不在」で悩む人は
豊かな国ほど多いと言われます。
つまり社会が高度になるほど、人は
相対主義へ向かうということでしょう。



判断を外部に委ねてしまう原理主義か、
あらゆるものに価値を見いだせなくなる
虚無主義か。



はたして、そこに正解はあるのでしょうか。
今日はそんな「主義」の小話でも(゜゜)








さて、現在の思想の主流と言えば
直感主義、心霊主義、自然主義、
虚無主義、道具主義、原理主義など
たくさんありますが、端的に言えば「一元論」ってこと。



例えば直感主義者は理論で
説明出来ないもの「だけ」を信じますよね。



理屈じゃない、私の体(魂の声)だけが知っているんだ、と。




そんな自分の体験から全てを
判断基準にしているのですが、
実際それが全て正しいかどうかは別問題でしょう。




原理主義や道具主義は論外(笑)
ありゃ人間の大前提であるオーガニズムを
否定したもの、単なるメカニズムです。



そんな原理主義の人って
「自分が変われば世界は変わる!」とか
断言したがる癖があるんですが、



もしその原理が正しければ
「世界は変わらなくても良い」ってわけでしょう。



しかし実際は変わらなくては
いけない部分だってありますよね。
(変わることを否定しているのではなく)



☞☞



そんなわけで僕は即興や良いとこどりの
日本流(超克)に注目しているんですが、
これは「実用性」を最優先にしているのではありません。




上記のような思想はプラグマティズム
と呼ばれます。アメリカで19世紀頃に
生まれた思想でクワインやパースが有名ですね。



これがまー、なんともアメリカらしい
発想なんですよ。「役に立ったものが真理」と、
逆説的に真理を定義したわけです。



つまり「ニワトリが先かタマゴが先か」
ではなく「いかにニワトリにタマゴを産ませるか」
と、実際の成果に目的を合わせたんですね。










当然、これにも欠点はあります。



個人的にパースの仮謬主義はかなり
ラディカルなものだと思ってますし、
疑念から信念へ到達させる行為(探究)は、
実際やってることでもあるんですが、



こういった人間社会限定の「ご都合的真理」は
快楽主義や独裁主義を受け入れてしまうんですね。




それじゃ「ネズミを捕まえたネコは
どんなネコでも正しい」と、結果良ければ
全て良しの考えになってしまうじゃないですか。



ヒトラーと同じですよね。
「汚く儲けて綺麗に使う」という
儒教だって似たようなもんです。
(まあ、ヒトラーはニーチェの影響ですが)




じゃあ、結局なんなんだって
なりそうですが(笑)個人的には
場当たり的な理で良いんじゃないかと思ってます。



真理じゃなくて理ね。
そもそも真理を追究する人ってのは
結論を急ぎすぎてるわけでしょう。




でも変わる世界に正解なんてありません。 
とりあえずの答え(解)があるだけです 




この「とりあえず」って立場(境界線)に
いる自覚が大事なんじゃないかなと思うんです。



やがて確信が生まれる日が来る、ってね。





※この記事は2012年に書いた記事を
再編集したものです。





2017/01/11

お祭り日記~福が来ますよ~




どーも。
7年ぶりに髪を染めに行ったら、
予想以上に明るくなった祭り男です。



さて、今年初のお祭り日記。
今回は「十日恵比須神社正月大祭」に行ってきました!




商売繁盛の神様であるエビスさんを
崇拝してる十日恵比須神社で行われる
博多商人のお祭り。なんと4日間で
約100万人もの参拝客でにぎわうんですよ~(´▽`*)



行ったのは昨年同様10日の正大祭、
頂いた福笹と縁起物もこの日に返納してきました。




一年間、ありがとー





ちなみにこのお祭りは先週末から
行われていますが、週末と祝日は
「ヤバイよ」と聞いてましたので(笑)
平日(しかもお昼過ぎ)に到着。





途中、ラーメン屋とかに寄ったりとかしてね。










いや~天気も最高ですわ~。






おっ、やっぱり少ない。








さて、ちゃちゃっと参拝すっか(´▽`*)♪





























(´▽`*)










(警備の人)
「参拝まで約2時間となっておりま~す」








にゃ・・・・(゚ロ゚;)












・・・・・・・(゚ロ゚;)今日は何の日?









100万人、ナメテタ。。。。







昨年は参拝しなかったので
今年は気合い入れて並ぶことにします。。。。







👥👥👥













牛歩・・・・・・ひたすら牛歩。
まるで山本太郎さんになった気分です。





左右には露店。








| |д・) ジー…








| |д・)












サササっ







途中、恵比寿さん食らう。







そんなこんなで一時間経過。
夕方になってきて、急に寒くなってきました。





風が冷たい、手足がしばれる。







ただ、備えあれば憂いなし。
そんなこともあろうかと、カイロを持ってきたんですが、

















備え足らずで憂う。









(((((( ꒪⌓꒪)))))))ガクガクガク













やばい。。。。ルーベンスの絵が見えてきた。。。




















👼👼👼






2時間30分経過。









見えてきまs・・・!!!













((((-人-;)))))ガクガクガク







((((-人-;)))))福こい福こい






無事参拝終了。
クライアントさんと読者の皆さんの分も
お参りしてきましたよ!!






👍👍👍






で、いよいよお待ちかねの
福引タイム!!







今年はよく恵比寿さんに会います。









当たったのはこちら。
なにやら木箱に入ってますな。









でっかい奴ばっかりだったので
予想外(゜゜)なんだろ?







とにかく寒かったんで、
家に帰って開けることにします。











カパ




(゜゜)お







おお








金の杯や~(´艸`*)
何だから一等っぽい感じがします!
(一等とかないけど)





早速、新潟の「久保田」で晩酌。
恵比寿さんが体に沁みてきます(笑)






今年は恵比寿パワーで頑張ります!








「おまけ」



商売の神様とはよく言ったもので、
ビジネスモデルとしては超・一級ですね。



だって商売繁盛というコンセプトで
4日で100万人集客してるわけでしょう。




しかも大半が福引(2000円)と
恵比寿銭(200円)買うから。。。。(´艸`*)スゲー





家族だけでなく企業も集まる。
つまりBTOB、BTOCの同時モデル。




そして極めつけは「誰もが喜ぶ」と。





さすが恵比寿さま、参りました<m(__)m>







2017/01/10

感性組織を作るFDCAサイクル




今日は感性組織について(゜-゜)



さて、感性的な組織構築の必要性は
たくさんあるのですが、煎じ詰めれば
「現場の統合力」に帰結します。



現場で起こるリアルタイムな要求に対し、
各自が試行錯誤しながら乗り越えて行く、と。
個人的に、それこそ商売の原点である
商い(飽きない)でないか?と思ってます。


つまり「やりたいからやる!」の状態。
そんな感性的な秩序を見れば、
流れ(揺らぎ) によって形成されていますね。



机上の空論ではなく、感性は流れです。
マニュアルで管理できるものではありません。



一つ証拠を挙げてみましょう。
例えば道路を走ってると車の「流れ」が
ありますよね。 仮に制限速度が
50キロであっても流れで見れば
60キロの方が良い場合ってたくさんあるじゃないですか。



決まり(マニュアル)では「50キロ」。
ただ、それよりも全体の「流れ」である
60キロが「最適」だと暗黙のうちに了解しているでしょう。 



これって誰かに教えてもらってませんよね。
教習所ではペケだけど、実際はマルなんです。







閑話休題。
感性とはそんな「揺らぎ(流れ)」から
派生するものですから「場の状態次第」で
弱く(悪く)もなります。



例えば「これやったら面白いかも!」と
思い付いても、スムーズに出す場が
なければ、時間が経つにつれ消えてしまいますよね。



そんなところから日本流(感性)に
最適な場のサイクルを「FDCA」と定義しています。






リゾーム資料の一部



これ初登場かな(゜゜)
一応説明しときます。



感性のマネジメントサイクルは自然数3、
Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)ではなく


Feel(感じる)=Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)。



基本は前者の西洋式(帰納法)ですが、
これ、一番最初でズッコケてる気がするんですね。



ズッコケというか前提のプランが
「形式(計画)からのスタート」、
企画書出して、数値出して、期待値出す。
もしくはどこそこのモデルの真似をする、と。



でも、今の時代って誰も習ってないので
答え(形式)が正しいかどうか、
誰も判断できないじゃないですか。



高齢者がこれだけ多く、子供がこれだけ少なく、
価値観がこれだけ多種多様な時代は誰も
経験していないわけです。



さらに言えば未婚率も高い、と←ワシ



だから帰納ではなく演繹、
Feel(感じる)から試行錯誤していって
それがうまく行ったとき初めて、
数値化や「加減」のあるフレームができるのです。




長くなりましたが感性組織についてでした。





「後記」



そういや岡潔は真の無差別知(直観)は
直感だけに終わらず、そのまま実行が出てくると言ってました。




そうそう、まさにそう(笑)
これすなわち感応の「即」。





2017/01/09

夕食。。。





この日の夜は「浜勝」さんの
ロースとヒレカツ定食。









僕の定番はこれに
「麦飯・赤だし・千切りキャベツ」。





大変結構なお味でした(´▽`*)







昼食&デザートぅ






今日のお昼は久しぶりな「やよい軒」。
行くと必ずお替りをしてしまいます(´▽`*)





これか「チキン南蛮定食」しか頼んだことがない(笑)







その後向かった客先に差し入れ。
最近福岡に進出したチーズタルト、BAKEさんです。





ここはもう半年近く経つけど、
未だに行列ができてます(゜゜)







確かに美味しいもんな~。






2017/01/08

簡単に変わる僕ら




この間「人に惚れた自分ってやつは
なんであんなに必死になるんだろうね」と
知人が言ってたんですが、



それは「変わらない私」ってやつが簡単に
変化してしまうことに対する驚きでしょうな。
一種の気の迷いであんなに必死になるわきゃない(笑)



小林秀雄はそれが分かってたようで、
「人は事件によってでしか変わらない」と言ってますね。




人間を現実への情熱に導かないものは
ただの便覧(マニュアル)に過ぎない、
人はマニュアルで教える事は出来るけど、
マニュアルで人を動かせることはできない。



これって仕事にも言えますね。
てなわけで、今日は変化の小噺でも。。。









さて、我々は自らを繕う社会的な
動物である以上、無意識的に衣や
仮面をつけながら生きているんですが、
「あるきっかけ」でその纏ったものが
剥がされることがあります。



それは先ほどのように恋愛した時や
結婚した時、家族が出来た時。



逆に失恋や失業、大病をした時や
財産を全て失ったときも
「わたし」は変わってしまいますよね。
つまり強烈な出来事によって自分が
全否定され、素の「わたし」が顔を出すわけです。



この素ってやつは非常に脆く
コロコロと変わっていくもの、
例えば子供なんてわんわん泣いたかと
思いきや、次の瞬間はケロッとしているでしょう。



大人には到底できっこありませんが
素の子供からすれば、それが普通なんです。







さて、そんな変化の種を抱えているのが
素の自分であると思っているのですが、
社会はそんな変化をなかなか許してはくれませんね。



なぜなら今の社会は変化しないものを
積み上げることでしか成り立たないから。
約束事である契約書とかが必要になってくるわけです。



つまり情報で保存・固定しないと正常に
回って行かないものが、秩序ある社会構造ってことですが、



上記のように、我々の本質は変化
そのものでしょう。だから関係性とか
社会性とか制度ってやつは、ほどほどの
距離にしないと疲れちゃうんですね。



で、疲れすぎるとどうなるかというと、
引きこもちゃったり、鬱になっちゃう。
つまり精神が耐えられなくなって世間から離れる、と。



その究極が自殺でしょう。
まさに体ごと、世間から出ていってしまうのです。



☞☞



無意識的にそっち側に引っ張られていると、
それがさも自分だと信じて疑わなくなってくるけれど、
それは意図的に作り上げた「じぶん」に過ぎません。



だから自分は臆病だとか弱いとか
コミュニケーションが苦手だとかで
落ち込まなくても良いんですよ。



世間で言う「一般常識」ってやつもそう、
あれは社会用に作った「ファッション」です。



もちろん素っ裸はダメだけど、
逆に服着たままで風呂入る人はいませんからね。




変化するしなやかな自分を軸にしましょう。





2017/01/07

毒にもなるし薬にもなる、だって人間だもの





内田樹さんの年末のブログに
こんなことが書かれてありました(゜-゜)




~初学修行は「我慢会」ではない。
心身の苦痛にどれくらい耐えられるかを
競うものではない。


自分の能力の限界の内側で生きようとする
生物としての自己保存本能と、
生き延びるために自分の限界を超えようとする、
これもまた生物としての自己超克本能の葛藤を
深く経験するためのものである。



初学修行者が経験するのは「葛藤」である。「忍耐」ではない。



「忍耐」は心身を鈍感にすれば切り抜けられる。
思考を停止し、感覚を遮断すれば、時間は経つ。



でも、それは修業ではない。
忍耐で人は成長することができない。
人は葛藤を通じてしか成長しない。~


「内田樹の研修室」より




僕の数少ない人生の師匠がここまで
断言されているのは珍しいですね(゜゜)



逆を言えば、全く葛藤がないのは
危険ってことでしょう。






例えばヒトラーやスターリンの
目指した理想は「千年王国」でした。



まさに希望たるべきユートピアですが、
彼らはそれを長い年月で作るのではなく
一代で、一気に変えようとしたんですね。



その結果があれほどの粛清や追放、
排除といった独裁主義へと向かったわけです。



なるほど、彼らは理想と現実の葛藤を
超えようとせず、頭の中にある理想の方に合わせた。




つまりそういうことでしょう。







そもそもあらゆる「手段」には毒と薬が
内包されています。
火や刃物然り、お金だってそう。



昔の人はよくお金は汚いと言いますが
それは火事になった人が「火は災いの元だ」と
言ってるようなもの、



逆に拝金主義も半分、どっちもどっち。
それをどちらか一方に限定してしまえば
不毛な議論がなくなることはありません。



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歴史の賢者たちの言葉を見れば
「分かりやすく考えろ」と言った人は
誰一人としていません。寧ろそれを
受け入れ超えることを説いています。



聖徳太子の憲法第十条を見れば
それが和への道であると「憲法」にまでしていますね。



十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理。詎能可定。相共賢愚。如鐶無端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。從衆同擧。



人にはみんな心あり、それぞれが違う考えや
意見を持っている。


他人が怒ってたらまず自分を振り返り、反省せよ。
他人が正しければ自分が間違っていて
自分が正しければ、彼らが間違っているのだ。



誰もが聖人にはなれず、
誰もが愚者にはなれない。



我々は全員、凡夫(未熟者)に過ぎない。
それだけはいつまでも巡り巡って、終わることがない。



故に絶対的な真理(是非の理)とは
定めることはできない。



これは勝手に解釈したものですが、
まるで釈迦の説く無常のように感じます。



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矛盾の葛藤、そこからの超克は
人間をやっていくための宿命かもしれません。



それはまるで永遠に創造し続けよと
言われているかのよう、





神様は我々を楽にはしてくれませんな笑





「後記」




そんなことから、僕はいい意味で
衝突しながら自己刷新していくのが
一番最適なんじゃないかと思ってます。




つまり任せっきりにするのではなく、
かと言って何でも引き受けないという、
それぞれの加減の定義です。




例えば昨年は待機児童(保育園)が
ブログを発端に社会問題となりましたが、
仮に全てを受け入れ、全ての育児を
代行してくれる保育園(ベビーシッター)
が作れた場合、母親の必要性が消えてしまいますよね。



これを極端だと思うでしょうか。しかし
旧ソビエトはそれを国策としていましたよ。
子供を家庭から引き離し、保育所で教育したわけです。




その結果どうなったか、と。





縁結びのプレゼント♪



昔~、むかし。涌蓋山に村人を困らせる
大蛇がいました。ある日 小田村の娘お里が
その大蛇に捕らわれてしまいます。


そこで小国郷一の力持ち田の原村の太郎が、
田の原川、小田川に住む夫婦の竜と力を合わせ
三日三晩戦って、お里を連れ戻したそうです。



太郎とお里はお互い惹かれあうようになり、
夫婦の竜達は太郎とお里を二つの滝の水が
交わる地で結婚させました。




いつの頃からか二人が結婚したその滝を。。。。







「夫婦滝(めおとだき」と呼んだそうな。
















これを見ると良縁に巡り合えるかも(^^♪