2017/03/08

あな清明け





「天晴れ、あな面白、あな楽し、
あな明(さ)やけ、可笑(おけ)、
明(さ)やけ、可笑(おけ)」


平安時代の神道資料「古語拾遺」によれば
天岩戸から天照大神が出てくることで
真っ暗だった地上が輝き出し、
それを見た八百万の神々は一斉にこう叫んだと記されています。


「天晴だ、なんと面白い、なんと楽しい、
なんと明るいことだ」ってね。
当時の情景が浮かんでくるようですな(゜-゜)


この「天晴れ」は平安時代になると
「哀れ(あはれ)」になり二重の意味を持ちます。
それがブログでお馴染みの本居宣長(ものの哀れです。


つまり哀れ(あはれ)とは神々(自然)の力を
しみじみ思う感嘆と畏怖の声(ああ・・はれ)が
本来の意味なんですね。


✍✍✍


そして「明やけ」とは「さやけし」。
明けしは清けしとも呼び、汚れや曇りのない
清く明るい心のこと。神道で言う清明心は
多分にここから派生しているのでしょう。


明治天皇御統監40周年を記念して建立された
誓いの御柱碑の台座部にも「弥栄 、天晴 、
あな面白 、あな手伸 (たのし) 、あな明けおけ
と記されているように、清明心の精神は
この国で最高の価値だということです。


晴れ渡り、邪心(二心)なき心。
卑しさ(自意識)なき無私の心。


まさに「真心」。神道が禊(みそぎ)に
始まり禊に終わると言われるのもそれが
古事記より継承されているからであって
遡ればその起源はイザナギ(伊弉諾尊)の
禊にまで辿り着くのです。


なるほど。この国で誠実さや正直さが道徳の
基礎になったのは正しさを求めると言うより
「穢れ」を嫌ったからかもしれませんな(゜゜)






最近「認識で世界は美しく変わる」とか
言われてますが、そんなの無理でしょう。
汚れた部屋はどう見ても汚れてるんだから(笑)


汚れ(穢れ)は受け入れたままにせず
都度掃除していかないといけない、
個人的にそう思ってます。



「後記」


万物発して清浄明潔なれば此芽は何の草としれる也。


二十四節気では今月20日が春分、
来月初頭は「清明」の節気です。



清浄明潔。空気は澄み光が明るく
万物を照らすことで、全てがはっきり鮮やかに見える、と。



清明けた世界も
すぐそこにあるのかも(゜-゜)ね。



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