存在論(オントロジー)とは存在自体、
つまり「在る」とはどういうことか?を問う学問のこと。
パルメニデスより始まり、ハイデガーやカント
サルトルにラッセルにヘーゲルにニーチェと、
まあたくさんの哲学者が存在について研究してきたんですな(゜゜)
以前ちらっと書きましたが
これは「究極の問い」とも呼ばれてまして、
「なぜあるのか?」の根拠をずー・・・・と
繰り返した結果、最後の最後に出てくるもの。
存在の謎、逆説的に言えば
「なぜ無ではないのか?」ってことです。
以前、僕も調子に乗ってこの実在領域に足を
踏み入れたんですが、すぐパンクしましたわ(笑)
未熟な知識で存在論的な問いなんてやると
病的な思想になってしまいますね。
だから隠居してからの楽しみ(?)に取ってます。
多分に、どれだけ科学が進もうとも
この問いは50年先も変わらないでしょうからね。
関係ないけど、キセルで吸うのがマイブーム。
考える暇がある時ほど、自分ってやつを
どんどん追求したくなるものですが、
大体が「じぶん(存在)」の前提を間違えてますね。
だから宗教(形而上)に答えを求めるんです。
結果、最初は純粋な好奇心だったものが
どんどんおかしな方向に向かってしまう、と。
宇宙だの天使だのと客観的なもので
自己証明している時点でアウトでしょう。
仮にセーフにしたいのであれば
「なぜそれらが存在するのか」を証明せな。
できないのであれば、宇宙もイワシの頭も一緒ですよ。
☞☞☞
そんなわけで、身近に自分探しする旅に出たり
高い金出して自己啓発に参加している
「知りたがり屋さん」がいて困っているのなら、
「存在論」から質問してみてはいかがでしょうか。
その問いは簡単。
「じゃあ、その自分を探してる奴は
一体、どこの誰なんだよ」と聞けば良い。
つまり私を私だと認識する「ナニカ」を
まず証明してみなさいよ、ってこと。
ちょっと意地悪な方法ですが、青い鳥探しを
辞めさせるにはこれが一番てっとり早いかもですね。
「おまけ」
「偽りならぬ実在」なぞと言うものは本当に
この世に在つてよいものだろうか。
おぞましくもそれは「不在」の別な姿にすぎないかもしれぬ。
不在は天使だ、また実在は天から堕ちて翼を失った天使であろう。
何事にもまして哀しいのはそれが翼をもたないことだ。
~苧菟と瑪耶より~
西行が晩年に至った
「無常は無常、命は命の想い」の精神と
三島の不在の天使は同義でしょう(゜-゜)ね。
これでいいのだ、バカボンボンと。
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