この間、あるサイトを見ていたら、
うつ病患者が10年前と比べ2倍になっていると
書かれていました。
なるほど。セラピストやカウンセラーという
職業がこれほど増えたのも納得です。
現代は心の時代。
メンタルブロック・メンタルコーチ・メンタル・・・・
調べれば、実にたくさんあるようですが、
その多くは心理学によって形成されたメソッドですね。
そう考えると心の時代は「心理学の時代」であると
言い換えても、差支えないでしょうが、
自分の意志や理性の産物ではなく、
何処からともなく現れる「こころ」というものは
果たして学問(体系化)できるのでしょうか。
この心理学という学問は
ドイツ(哲学)からの派生。
その起源を遡ればギリシャに辿り着きますから、
非常に長い歴史を持っています。
しかし、そんな長い歴史があるのにも関わらず、
不思議とどの国も「心の病気」を克服できていませんね。
(その点、イタリアは興味深い)
メンタル大国(?)のアメリカなんて
子供までがうつ病になる始末。
本来、研究時間と効果は比例するもんでしょう。
しかし実際はそうじゃない。
それなのになぜこうも、普遍性を持っているのか。
多分に、それだけ魅力があるのでしょうね。
僕自身も一時期「憑りつかれて」ましたから。
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「心理学は頭にくる酒みたいようなものだ。
安かったと思ってもあとできっと後悔する。
私は両方とも性懲りもなく経験して来た」
小林秀雄は心理学に対し、こう評価しました。
ブールジェやプルースト(小説家)は
フロイトから学んだのではない、むしろ逆であると。
三島由紀夫は「我々は認識者ではなく、
表現者である」と言ってますが、それもまた
同じ意味に違いないでしょう。
趣味にするのは勝手だが、
万人に用いることはできない。
これが知識と経験の違いでしょう。
心理学は人に詳しくなったわけではない。
ただ単に、細かくなってしまっているだけだ、と。
その証拠に心理学は発達してますけど、
我々の生き方はちっとも発達していません。
その人の心を物的なものとし測定し変換する。
それは物質界、マテリアリズムの話です。
しかし我々が生きていく中で日々起こる主観的体験は
決して測定できるものではない。
朝起きてタバコが切れていたのに気づき
コンビニに行ったら愛想悪い対応をされた。
そんな些細な事でも、一日に影響するほど
不機嫌になったりするのは、ごく自然なことであって、
そんな不機嫌さや悲しみなんて測れない。
「生身の精神」ってやつは、そんなものじゃないですか。