2015/12/20

隣の客は、かに食うかに座





イルミを見た後、会食の場所
すすきのへ。




忘年会のピークなんですけど
運が良いことに「氷雪の門」さんが
予約できたんです(´▽`)




たらば蟹料理専門店の発祥のこちら。
クライアントさんたちも喜ぶでしょう。




老舗ですね。






ご挨拶と乾杯を済ませると、
早速、料理が出てきました( ´ ▽ ` )


もちろんサッポロビール







まずはお刺身から!





甘ー(´▽`)





からの、しゃぶしゃぶ!



共食いや、共食い(´艸`*)←かに座





この時ばかりは集中。
よっしゃ、最高のしゃぶ加減(?)で行くぞー




しゃぶしゃぶ、ソロソロ





あっ、その企画は面白いですね〜





しゃぶしゃぶ、ワクワク




やはり問屋さんとメーカーさんも巻き込んで…







しゃぶしゃぶ…しゃぶ…








なるほど、そうなると切り口としては…










君たちも食え!(;゚Д゚)カニしゃぶやぞ






とか言いながら、ちゃっかり
写真撮ってもらってるんですけどね!笑






んむ、我ながらいい塩梅。










・・・・言葉にならないですわ(;_;)んみゃー










そのあと焼きガニが来まして




毛ガニが来て









湯葉包み揚げからの




シメの雑炊と柚子アイス。
これで8800円は安い!






三大カニ堪能☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
ホロ酔いで会食終了です〜








半強制でかぶってもらいました(笑)







iPhoneからのアプリ投稿なので
画像が調整できない・・・・(^-^;



2015/12/19

ステキやん(・ω・)


札幌駅隣のステラプレイスの最上階へ。


ここは札幌の夜景が360度
見渡せます( ´ ▽ ` )ノゼッケーナリ












まさに「ザ・デートスポット」!




クライアントと暫しの間、ウットリですわ←おい






からのイルミネーション(爆)



アラフォーだって見たいんですよ(・ω・)イイやん







すると、粉〜雪〜が。



(・ω・)ステキやん





きらびやかさだけで考えてると
東京や神戸やハウステンボスには
負けちゃいますが、





冬のイルミネーションは
北海道が一番似合いますね。








よーし。









腹減ったぞ‼︎




2015/12/15

北斎、ゴッホが目指したもの。














北斎の作品は今でこそ世界中で注目を集めているが、
当時は引っ越しの際、作品で茶碗を包んでいたらしい。



なるほど、その作品に籠っている情念や
普遍性を見抜ける人が少なかったのだろうと
客観的に浅薄な意見を言うのは容易いが、



その作品に対する情念や普遍性を
主観的に感じようとすると、途端に何も言えなくなる。



頭の中のおしゃべりを止め、
その作品だけを眺めるという瞑想的行為が
真の鑑賞だと言えるだろうが、




その対象そのものへ没することで
作品の方から訴えかけるものを掴むという
行為は鑑賞を超えたものだといっても問題ないだろう。



ゴッホが北斎の作品に魅せられたのは
その情念と普遍性を主観的に感じたからに違いない。




多分に、芸術は作品を通じた「実証」なのだ。








北斎の有名な作品である上の「怒涛図」は
左に「男浪(おなみ)」、右に「女浪(めなみ)」とに分かれている。




一見、波の大小で男と女の違いを
描いているようだが、そうではないだろう。
北斎の意図はもっと違う場所にあるようだ。







見れば右の「女浪」に描かれた波は
「螺旋状」になって渦巻いている。




外から内へ向かっているのか、それとも
内から外へと向かっているかは
分からない(多分に内側だろう)が、



その螺旋運動の中に生命の実体や本質が
あるのだろうと、北斎は感じていたに違いない。




円転回帰によって螺旋エネルギーは保管され、
次の渦へと引き継がれていく。




一つのサイクルが完成されると同時に、
また新しいサイクルが始まっている、と。
まさに弥栄である。




その螺旋が向かっている先には
何があるかは知ることができないが、




「富嶽三十六景」にある波の奥を見れば、
波と同じ色彩で描かれた富士の絵が描かれている。




大波の中、人間の作った船が必死に抗っている。




富士は、ただそれを静かに見守っているかのようだ。










「扇死に臨み、大息し天我をして十年の命を
長ふせしめハといひ、暫くして更に謂いて曰く、
天我をして五年の命を保ためしハ、
真正の画工となるを得へしと、言叱る吃りて死す」




あと5年、天が私を生かしてくれるなら
本物の画家になれたであろうに、と
慨嘆する北斎が見る「本物」とは一体どんな境地だろうか。




北斎は、富嶽百景の跋文にこう書き残した。




~70歳以前に描いたものは、
実に取るに足らぬものばかりである。

73歳にして、ようやく禽獣虫魚の骨格や、
草木の生え具合をいささか悟ることができたのだ。


だから、80歳でますます腕に磨きをかけ、
90歳では奥義を究め、


100歳になれば
まさに神妙の域に達するものと考えている。


百数十歳ともなれば、一点一画が生き物のごとくなるであろう ~




なるほど、やはり到達すべきは
そこなのだろう。



☞☞



小林秀雄はゴッホの作品には
個性が宿っているというが、多分に
北斎と同じ場所を目指していたに違いない。




その個性とは自分の持つ特殊性(自意識)を
乗り越えることで見出す普遍性の道である。




定期的に発狂し、自らの耳を切ったことで
有名なゴッホは非常に強い特殊性があった。
(北斎の奇行癖も有名である)



当然、周囲からは受け入れられない。
しかし、そんな自分の特殊性(自意識)から
逃げることなく、それと向き合っていたようだ。



小林はゴッホの作品は特殊性を(受け入れ)
それを超えているから、真の芸術であると言う。



自意識などからくる「私の作品」など
単に表面的な目鼻の違いを論じているに過ぎない。



真の芸術家はそんなものは表現せず、
それを超えたところにあるものを掴むのだろう。



なるほど、(岡潔もそうだったが)
ピカソの絵は「自意識」から生まれるものであり、
無明を描くことでは達人であると言っていたが、



自意識の坂口安吾と無私の小林秀雄が
対立していたのと同じ構図だろう。







確かに特殊性は刺激があって面白い、
衝突すれば一つの物語も生まれるだろう。



しかしそれは永遠の観賞に
耐えるほどの鮮度を保つことはできない。



結果、観察者から消費されてしまうか、
くたびれさせてしまうかのどちらかである。



それは絵だけではなく、
建築や経済、人もまた同じことが言えるだろう。




思えば現代はくたびれるものが多いように感じる。
あくまでも個人的な意見だけど。





2015/12/13

デミウルゴスからインテリジェントデザインまで



散逸構造とは非平衡状態において
自己組織化により、秩序が生まれる事を指す。



相互作用によって自発的に進行する
性質を持つ以上、どの局所的ルールから
どういった大局的秩序が生まれるかは予測できない。



このような高次の階層における
思いがけない秩序の生成を「創発」と呼ぶが、
その原理は全くもって分かっていない。




プラトンのデミウルゴスから
現在のインテリジェント・デザインまで、




それは永遠のテーマとして
問われるものなのだろうか、それとも・・・・





今日はそんな小噺でも(゜゜)










日常において、まったく予期しない事は頻繁に起こる。
将来を予測することも計算することも、(原理的に)不可能だ。



例えば、10年前に今のような世界を
予測していた人はいるだろうか。



学生がスマホ片手に歩きながら
街中で世界と繋がっている世界を、



テレビをほとんど見なくなった人が
増えているという現実を。



このことから、僕は予測、予期できるもの以外の
想定外は考慮の外に置くようにしている。



上記のようなことを予測しようとするのは
あまり合理的なことだとは言えないだろう。



環境(外部)リスクの想定とは
どんなに議論を尽くしても、結論は出ない以上、



組織内部のロバスト性(有機性)を高めるため、
最適組織や流動性のあるリゾームを提唱している。



☞☞☞



リゾーム構造と自己組織化はセットである。
私の想像(予測)する組織パラダイム・シフトとは、
閉鎖系から開放系への移行であるからだ。



自己組織化は今までの秩序の中では機能しない。
これが分からないと、細部をいじくるだけで終わってしまう。



例えば上司の指示で適材適所の組織を作り
「さぁ、君たちの好きに仕事をやってくれ」
と言ったとしても、それは自己組織化ではない。



確かに自由な状態にこそなるが、
構成する人が自発的に動いたわけではないからだ。



構成人員という、要素から遠く離れたところから
制御して組み立てている以上、組織設計図に
基づいて組み立てたものと何ら変わりはない。




本来の自己組織化は設計や
意図に関わらず、自然に構成されるもの、




よって、これを実現させるための
土台を準備することが必要だ。



☞☞☞




グレンダ・オヤングによれば、自己組織的な
発展に向かっていくには3つの初期要因が
重要だとしている。



それが「器・差異・交換」、CDEモデルとも言われる。



端的に言えば、相互作用(触発)が起こりうる
制約条件の中、多様な意見が共有される環境のこと。




これは特段難しいものではないだろう。
なぜなら、今の企業の内部を変えるだけなのだから。







つい先日、縁ある人達の集まりに出席させて頂いた。
その場は100名以上はいたであろうか、



メインの終了後、交流会も同じ場で開催されていたが、
その際、ふと感じたのが場の状態である。



階層もなければ強制もない、みんな席をコロコロ変わっていた。
無理に付き会わなくてもいいし、お酌なんてしないでいい。



実にリラックスできる場である。
そういう場所は僕は好きだ。



ふと、仮にこれらを「ある組織」とみなした場合、
何時間かこの状態が続けば自然に「ある秩序」が
生まれてくるような気がした。




これって自己組織化なんじゃないか、と。



2015/12/12

自信と傲慢は紙一重





ノウハウや考え方のヒントが増えるのは
一向に構わないが、それらを疑ってる人を
批判するのがどうも気にくわない。



やる、やらぬは本人の自由意思。
本人が決定した人生に他人がつべこべ言うもんじゃない。



人は「わかる」と勝手に「かわる」が、
逆を言えば、解らないと変わることはないだろう。



しかし、変わらないことは悪いことじゃない。
むしろ変わらないことで掴むものだってあるじゃないか。



僕はそういうスタンスで仕事をやっている。
例えば営業など、やった試しがないのだが、



別に「やりたくない」わけじゃない。
やりたいと「僕が」思えばやる、それだけである。




結果はどうあれ、本人が決定することに意義はある。





今日はそんな小噺でも。








懐疑のない信は脆弱である。
何かを信じる為には疑いはセットだ。



何か一つの方法を固く信じていると、
知らず知らずのうちに、その方法の
虜になってしまいがちなのは、古今東西変わらないもの。



その結果、信じるもの以外の現象が現れても
目を逸らすか、瞑ってしまう。理屈家や盲信者がよくやることだ。



なるほど、
疑うことを忘れると傲慢になる。




薄っぺらい信仰には軽薄な思想しか生まれないのは
信者が教祖のオウム返しをやってるのを見れば一目瞭然、



その傲慢さは自信と対極であるにも
関わらず、差は(表面的に見れば)紙一重なのだ。



自信から来る主張は「知らないことばかりだ」という
謙虚さが含まれているが、傲慢からくるものにはそれがない。



何でもかんでも
「俺は知っている、説明できる」。




自己肯定も、加減を知らないと
ロクなことにならない。



☞☞



原理的に未だ証明できないことを
自分がその身を持って証明することは
とても素晴らしい事であるのは間違いない。



ただ、それが普遍性を持っているかと言えば
そうじゃない場合が大半だろう。



例えば、経済的成功は科学できるか。
人の心は心理学ですべて理解できるか。
個人的な幸福達成は一つの方法で網羅できるか。



無論、答えはNOである。



自力で成功しているように見えても
その実、あらゆる縁が結ばれた結果に過ぎない。



我々はその自力の他力性を一つの
法則(科学)にしてしまいがちだが、
そんな表面的な理論は歪んだ科学偏重である。



もちろん、体系・論理性のないものがビジネスで
認められないのは分かっているが、



それを無理矢理に人に断言する行為に
僕は暴力的なものを感じてしまう。



☞☞



経済に対し、法則化でできるものなんて
ごく僅か、限られたものだ。



そもそも、それがあるかどうかすら疑問である。
福島の危険性だって、一流の専門家の意見は分かれてるじゃないか。



そうなると、一つの側面(方法)を「疑ってる人」が
間違っているわけではないし、劣っているわけでもない。
やらないという選択肢が正しい場合だってあるだろう。




逆にそんな人たちを無理矢理
説得させようとしたり、卑下したりする人の方が
間違っているし、劣っていると感じる。



なぜなら、論理云々という以前に
ごく普通の感覚が欠如しているから。



自分が言われたら傷つくことを
平気で言ってしまう心性、卑下による優越。



その時点で他者という関係性における
最低限のルールを無視している。



このルールに素人もプロも専門家も関係ない。



それは子供に「喧嘩するな」といいながら
戦争を肯定している大人と似たようなものであるが。








ハンナ・アーレントは我々が活動する
根幹には、「多数性」による差異があると言う。



我々はそれぞれ異なりながら(異質性)も
同時に平等(同質性)を志向するという、
二重の性格をもっているのだ、と。



もし我々が同質性がないのであれば、
お互いの差異を理解しようとは思わないだろう。



トカゲの気持ちなど分かろうとは
思わないように、異質性は異質性のままである。



そうなると我々は過去も
未来も現在も知ることはできない。
他者の「欲求や気持ち」が分からないという事はそういうことだ。



故にハンナは、他者との差異を超えようとする
無意識的な意思によって、自分の唯一性を
理解してもらうことができるのだという。



そのために活動(と言論)はあるのだ、と。




どのように他人と違うか(異質性)と同時に
どのように他人と「同じか」を自覚するのだ。



自己中心から他者(場所)中心へ、
他者中心から自己中心という理解の双方性。



それを支えるのはやはり、
思いやりや愛情ではないだろうか。



ここでよく出る「個性」というのもそう、
個性の「明瞭な輪郭」を他者に対して示すことは
他者と「重ね合わない」ものの自覚でもあるが、



同時に重ね合ったものを
発見することでもある。


2015/12/11

約20年、色褪せず。。。





年の暮れにバタバタしないようにと、
押入れの中を整理してた時、



なぜかふと「昔ボックス」を
空けてみたくなりました(゜゜)





※昔ボックスとは、捨てられないものや、思い出の品を入れとく箱





アルバムとかは、当時一緒に住んでいた
女性と別れるとき、置いてきちゃったんですが、





残った数少ない写真を手に取りながら、
しばし感傷に浸ってましたね(笑)





僕は一番左ですね(5歳くらい?)







すると写真のあいだから
小さな物体がヒラリ、ヒラリ。












(゜゜)ゴミか?










と思い、手に取ってみると・・・・・
























男同士のプリクラがwwwww











(゜゜;)キンパツロンゲ・・・・
黒歴史(20くらい)の時ですね。






当時はとにかく目立ってなんぼ、
毛皮のコートとか着て、夜の街に出てましたな←恥ずかしい






まあ、若気の至りってことで(^-^;










そしてもう一枚がこちら。







これは福岡に帰ってきて
しばらくしてからのやつでしょうな。
多分、22、3くらいじゃないでしょうか。






しかしよく20年近く、色あせずに残ってたもんです。
これは捨てずに、保管しときますかね(笑)







プリクラ小さいな。。。








なんだか時代を感じます(´-`).。oO





2015/12/10

自己組織化のお手本




こんにちわ、坂口です(゜゜)



同じ時間帯に2つの記事が
アップされてるのを見ると、



どうやらブログの予約投稿を
間違えたみたいです。





(。-`ω-)ふっ、師走のやつめ←?





☞☞☞





そういや、今年の「日本・カーオブザイヤー」に
マツダのロードスターが選ばれたそうで。




昨年はデミオでしたから、二年連続ですね。
おめでとうございます(´▽`)



マツダ車が2年連続でカー・オブ・ザ・イヤーに「ロードスター」が受賞、2位はホンダ「S660」



東洋経済ONLINEより







僕は車には興味がないので
車の仕様についてはあまり語れないんですが、



マツダ社が理想の追求を目指すため、
自社工場で素材から製品まで一貫しているところは大好きです。



その理想(ブランドエッセンス)は「走る歓び」。
歓びってところが良いですね^^



調べれば、その端的な言葉の裏には
ものすごい葛藤と苦心があったようですな。



☞☞



以前のマツダは他の同業他社と同じく
「販売台数」を目標にしていたと言います。



チャネルを増やし、次々と新型をリリースすることで
台数ベースをクリアしようとしていたのですが、



全く売れず、倒産寸前に陥る羽目に。
(クロノスあたりですね)



その時マツダは短期的な業績を追い求める
成果主義志向からの変更を強く要求されました。



同じことをやってたら潰れてしまう。



そんな、生きるか死ぬかの瀬戸際で、
マツダは原点回帰します。



それが商業的な目標ではなく、
とにかく「良いものを作る」こと。



マーケティングや戦略戦術といったものは
もう骨の髄まで懲りた(降りた?)ことから、
「魂動デザイン」と呼ばれるテーマを磨き続けてきたんですね。




☞☞



車だけでなく企画から設計、
そして製品化されるまでには、必ず意見は相反します。



そこでいかに妥協点を見つけるかが、
担当者、責任者の仕事なんですが、



経験上、これがなかなか難しい。
あちらを立てれば、こちらが立たずです。



よって、その妥協点(折り合い)を付けるためには
揺るぎない価値をベースにする必要があるんですね。
(理念はこの役割を果たします)




マツダはそこで「走る歓びを」を軸にしています。
それが「プロダクトには妥協しない」ということ。



例え実現不可能な領域であっても
非合理的だとしても、果敢にチャレンジし、



部署の都合など関係なく、全てのセクターが
同じ方向を向いて一台のクルマを作ってるのです。



自己組織化のお手本ですね(´▽`)
それが今回の受賞に繋がっているのではないでしょうか。







そういったストーリーがあると、作り手の顔が見えます。
温もりや真摯な態度や情熱も伝わります。



これはアナログで差をつけるという
逆説的なマーケ発想のように見えますが
そうではない。



これは手段ではなく精神の問題です。
そうでないと、結果が伴うことはないでしょう。



そんなアナログ部分を付加価値に変えるには
やはり数値的なものではない部分が必要ですね。




この部分を説明しようとしても
原理的に解けません、あしからず。



2015/12/08

頭にはできないこと





ども、坂口です(゜゜)
最近こちらの本が売れてるようですね。




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(。-`ω-)用語図鑑か・・・・





知りたいという意思そのものが哲学だと
思ってるんで、この手の本はあまり見ないんですが、
とても分かりやすく書かれてますね。



有名な哲学者が出した結論だけを
知りたい人にはお勧めかもです。




以前のソフィーの世界のように、
入口はなるべく広い方が良いですもんね。






ただ、「哲学って、どれを読んだら分かるの?」
と聞かれても、僕は答えられません。



自分で考えれるようになりたいんですが、
そのためにはどんな情報が必要ですか」と
言われても分からないのと同じです。



「何から知っていくか」に注目するよりも、
まずは「何でもいいからやってみる」、



そこから次が開けるのは間違いありません。




☞☞☞



そのためには自分の感性(好奇心)を
羅針盤にする必要があります、



どんなことに対し、不思議だと思っているのか。
何を解きたいのか、知りたいのか。



そんな純粋な好奇心に比例して
その範囲はどんどん広がっていくもの、
専門性だけ学んでも、やがてタコ壺化してしまいます。



自分の直観の赴くまま、漫画だろうが
宗教だろうが他人のブログだろうが
あちこち喰い散らかして良い。



そこから実際の経験を積むことで、
雑食的な点の知識が線から円へ結ばれるのです。



☞☞


現代は「情報収集」に偏り過ぎて
経験論を軽蔑してしまいがちです。



ビジネスだって(下手すりゃ恋愛だって)
そうですよ。



セミナーで学んだり、専門書を呼んだりして
分かった気になっているけど、



そんな理論理屈を10年知るよりも
たった一回の赤字や大恋愛を知った人の方が
何倍も分かるもんです。



実践してみないと分からないことは無数にある。
これだけは断言できますね。



そして、そういったものを実践して分かったことが
雪の様に少しずつ積もっていくことで、


現実遊離することのない
確固たる自信が形成されていくのでしょう。



それは頭にはできない。
なぜなら、自信とは理解するものでないからです。




それが「腑に落ちる」ということでしょうね。




好戦的なピッチャー





こんばんわ坂口です(゜゜)




さて、このブログは「プチ哲学論考」というちょっと
重たい題名からか、



これ見てる人と話す時、
「質問責め」にあったりします。





「これについてどう思ってる?
私はこう思う、なぜならこれこれしかじかで・・・・」。
てな具合です。







そうですね・・・・・







その前にこのランチ、
すごく美味しそうじゃないですか。




まず食べましょう





自業自得かもしれませんが、
僕はしょっちゅうそんな話、したくない(笑)



酒が入った席で熱く語ってしまうのは、
普段言えないからこそ、お酒の力を借りてるわけで、



こんなことを日常話してばかりだと
(僕は)くたびれてしまう。



もちろん「自分の思ってること」をぶつけ合うことは
全然良い事。むしろ若者の特権です。



ただ、場というのは「わたし」を主語とした時点で
無意識的なナワバリ争いをしてしまう以上、



相手とのベクトルが違えば
「私が持っている知識のぶつけ合い」になりますよね。
(その大半が中抜けした情報だったり)



それではどちらか一方がスッキリするだけ。
お互いピッチャーだとキャッチボールできません。



小学校のときのケンカみたいに
後腐れなくできれば、また違うんでしょうけどね。








逆に自分というものがよく見えている方と
話す際、その人はあまり自分を語りません。



当然、余計な自意識の衝突は起こらず、
相互理解を中心に会話は形成されます。




それが人間的に成熟した人なんでしょうね。
端的に言えば、「話せば分かる人」です。




そんな人との会話はゆるやかに弾む。
日常の会話はそれで充分楽しいです。




またまたお知らせ~






ども、坂口です(゜゜)
今日は珍しく法人向けの告知を2つほど。
(どうやら法人さんも見てくれてるみたいですし)



まず、yahoo株式会社様の
代理店展開支援をすることになりました。



事業内容はTポイントカードの加盟店募集。
Tポイントについては詳しく説明することもありませんね(笑)




(ちょっとだけ説明させていただくと)
全国で会員約5千万人、日本人口の約4割が
持っているので、自社でカード発行する必要はありません。
販促物で告知をしても良いでしょう。




現在加盟(提携)店は約30万店舗。
定期的なポイント倍付けによって、
リピート率だけでなく、客数、客単価アップに繋がってます。



この分野は自社でやると大変ですから
まずは一度、試してみてはいかがでしょうか。



加盟店になりたい方、または代理店になりたい方は
お気軽に「こちら」までご連絡くださいね(´▽`)



☞☞




続きまして二件目は
関東関西を中心に展開されている
越後秘蔵麺 無尽蔵」の加盟店募集です(´▽`)




特許製品の「柿ポリフェノール麺」を使った
こだわりのラーメンなんですよ~






運営企業は株式会社キタカタ様、
他にも様々な店舗を運営されていまして、
併せると直営が60店舗、FC38店舗という、大所帯です。




坂井社長の話すチャキチャキの
関西弁(かな?)が素敵ですよ(´▽`)




こちらは主に法人向けですね。
単独で事業をするのと比べて7倍の成功率と
なっております。



ここがFCの最大のメリットだと言えますね。



うちのクライアントさんも本事業とは別に
違う企業のFCに加盟しているんですが、
月商1千万をキープしていますよ~




新規事業で始めてみたい方はこちらからどぞ






2015/12/07

良い感じに上がってきました




今までこのブログは
日本流 フランチャイズ」で検索かけないと
出てこなかったんですが、




おかげさまで、最近は「日本流」で
トップにくることができました^^







yahooさんではトップページ






googleさんでは2ページ目




トップには、やはりの松岡正剛さんが(゜゜)ソラソーダ




でも146万件中でこの順位は嬉しい!


まだまだ未熟なコンテンツですが、
これからも応援のほど、よろしくお願いします|д゚)





☞☞



いつの日か、起業家さんたちから、
「これ!こういう情報が欲しかった!」と言われるようなブログにしたいですね。



そして(ささやかな夢ではありますが)
一冊の本に出来たらな、と思ってます(´▽`)





そんで子供にプレゼントするんです。
「これはね、お父さんの生き様なんだよ」って。





( ;∀;)え~話やないですか~←想像してうれし泣き







どなたか、夢を叶えてやってください(切実)
サンタさん、見切り発車オッケーですからね。



2015/12/06

心から感じるもの




大和ごころの本質は「自己中心の経験」です。
反面、成人君主のような人格が優れた人や
歴史的な偉人の教えを守ることは、儒教的なものの考え方です。




江戸時代では、儒教を取り入れた結果、
仁義礼智や忠信孝悌が影響されていたのですが、
それを批判した国学者たちが伊藤仁斎であり、荻生徂徠であり、
本居宣長なんですね。










彼らの言う「本質」とは一体何か。



それが、「私心」を廃した(無私)
「物にゆく道」であり、自らが知覚し、自らの経験として
それを把握するという積極的志向性です。




それ以外の儒教や仏教、キリスト教は
自分の経験とは全く関係のない「聖者の教え」を
理論体系化したものなんですね。




☞ ☞




そんな理論体系化を本居は「漢意(からごころ)」と
呼んでいました。



漢意とは、誰が見ても分かるように
形式化されたもの、道徳教義もそうです。



その前提には、世界の全てを理性によって
説明できる、という意図がある。



つまり万物の現象を人の知性によって
全て知り尽くすことができる、という前提です。



しかし現在、物質はすでに波なのか粒子なのか、
分からないところまで来ています。
皮肉にも世界は語ることも示すこともできないと、
科学によって証明されたわけです。



これは科学者を悩ませたけれど、
反面、我々を自由にしたのではないでしょうか。
西洋をはじめ、漢心のある人はこのフィルターが
強烈に働いていますが、我々が真実だと思ってる事は、
実は、何の保証もありません。



白鳥の概念は「ブラックスワン」が
生まれた時点で崩壊するし、
宇宙の何かが変われば太陽はバカボンみたいに
西から昇るかもしれない、と(笑)




「神はいるか、否か」。
「善の正しさの正統性はあるのか」、





そんな「根拠の根拠性を問う」
ということは、前提に「人間が理解できる」がある以上、
その質問は底が抜けてますよ~ってこと。




健康法なんて分かりやすいですね。
時代と共にどんどん変わってます。



ただ、これは「何も信じられないじゃないか」
といった、虚無主義の発言ではなく、本居は
深く心に感じる「もののあはれ」こそ、信じれるものだとしたのです。



「これだけは間違いなく自分にとって重要だ」
という、自己の確信から派生しているものにこそ、
自分流の道がある、と。




情熱を持ちましょう。
深く心へ訴える「ナニカ」を感じましょう^^



2015/12/04

お知らせ~




ご縁ある池上学院の学院長の
池上公介さんが今回、著書を出されました(´▽`)





クリックすると、amazonページに飛びます。






浮ついた夢でも、夢を持つことはいいことだ。
浮ついた夢でも、その夢を教師や親に言うことはいいことだ。


いきなり全否定をしてはいけないと思う。
せっかく持った夢なのだから、ぺしゃんとつぶさず、


その夢から現実の厳しさや 勉強の大切さ、
礼儀の大切さ、時間や約束を守る 大切さを教えてあげればいいと思う。 





ビジネスにも通じるものがありますね(´▽`)




ポイントは「変わらない情熱で継続できるか」





こんばんわ、坂口です(゜゜)
寒い週末となりそうですが、いかがお過ごしでしょうか。




さて、この間仕事関係で長崎に行ってきた際、
長崎市近くにある「平和公園」に立ち寄ってきました。



小学生の修学旅行の時に初めて見た時は
大きく感じたんですが、改めて見てびっくり。
ずいぶんと小さかったですね。




それとは逆に、今だからこそ
感じるものもありましたな。




行ったのが夜中だったんでwikiから拝借




さて、この記念像を制作したのは彫刻家の
北村西望氏、日本を代表する芸術家ですね。



以前書いた平櫛田中氏同様、
102歳まで創作意欲が衰えませんでした。



そんな北村氏、百歳の記念の際に
お寺の聖観音像の台座にこう書き記したと言います。




「たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ」





北村氏は平和記念像が完成するある晩のこと、
像の足元に一匹のカタツムリがいることに気づきます。



そして翌朝、もう一度像の前に行ったら
なんとそのカタツムリは像のてっぺんまで登っていたのです。



北村氏はこのカタツムリの持続力に感動したことから、
上記の句が生まれたんですね。










「良い仕事をするには長生きするしかない」。



それが氏の口癖だったのも、そういった「継続」が
力であることを知っていたのでしょう。



もちろん、単に同じことを繰り返すのでは向上がない。
故に、永遠の高みへ続くための「問い」が必要です。



その問いの出どころ、派生元こそ「情熱」であり、
それを維持できる人が「才能がある人」と呼ばれているんですね。







世間は結果が出せない人やノロマな人を
よく馬鹿にします。



「そんな無駄なことやっても無駄」


「最短、最速こそ価値だ」


「勝てば官軍、結果をすぐ出せ」




そんな他人との比較でしか満足できない
ウサギさんは放っておけばいいんです。



今の教育現場も同じことが言えます。
手っ取り早く「正解」に辿り着くような
要領ばかり教えていますが、



それでは試行錯誤を「恐れる」ようになる。
本来の成功はいかに「錯誤」をたくさんするかでしょう。



コンサルの手段があっという間に
通用しなくなってしまう現在、大事なのは2つ。



それが「継続の力」を養うことと
「失敗の経験値」を増やすことです。





2015/12/03

中道とは?





こんばんわ、坂口です(゜゜)


今日は誤解しやすい中道について書いてみようかと思います。




最近、世間を始めビジネスでも白黒論から
偏らない「加減」や「両建て」が認知されてるようですが、



内容を見てると、どーも「どっちもどっちだけ」で
完結しているような気がするんですね。



そして決まり文句の「認め合おう」になり、
そこから「自分らしく生きようぜ~!」に繋がるんですが、



それでは全然意味が違ってくる。
全員が腫れ物になってしまえば
誰だって関係性を深めようと思いません。



迎合と調和は似てて非なるもの。
是を是とし、非を非とするのが本来であって、
おかしい事は逆立ちしてもおかしいと言っていい。



多分に、その「おかしい」ということに対し、
自信を持って「違うだろ!」と言えなくなってきたことが
個性尊重、多様化社会の弊害かもしれませんね。






そもそも論から話せば、どんな主義主張であれ
限定性である以上、必ず排除性がセットです。



これは聖人君主だろうがお釈迦さまだろうが
逃れることができない。Aを主張すれば必ず
「NOT A」を排除してしまいますが、「甘党と辛党、どっちが正しいか勝負」には正解なんてありません。





ここが間違えやすい部分。




誤解している人はここで
「甘すぎてもダメだし辛すぎてもダメだね」
と捉えてしまうんですね。




つまり両極の「中間値」に正しい
真理があると思ってしまってる。




ただ中道と中間は同じじゃない。
その場所は常に揺らいでいるわけです。


はい、中道





「苦しい」と「楽しい」や「個人」と「全体」など、
我々はそのどちらか一方で物事考えがちですが、
相対の世界は両方あることで意味を持つ、



これによって「どっちもどっち」が成立する。
僕が教義(絶対)を批判するとき、よく使うのがこれです。




しかし、そのどちらにも偏らない場所に
突っ立ったままの状態が正しいとは思ってません。





その時々の状況に応じた「正しい」判断は
どっちも包括しているわけでしょう。




例えば、長く生きることも大事ですが、
今この瞬間をも生きるのも大事ですよね。



スピード勝負は大事だと思いますが、
じっと待つことも必要でしょう。




悩む思慮深さも大事だけれど
クヨクヨ悩んでも仕方ない時もある。




じゃあ、それをどうやって「決定」するか?




確信がなければ
どちらも、一長一短ありますからね~」で終わりです。



当然、自分のやってることも定義できない。
偏りを正当化し、まっとうな思想を蹴とばす人もいるでしょう。



逆にその極端な偏りから抜け出し、観察者側として
ノージャッジしているだけという、「一貫性なき無定見」になる可能性もあるんですね。




2015/12/02

水木しげるさんの幸福論




漫画家の水木しげるさんが死去されましたね。
手塚治虫氏と並び、日本を代表する漫画家でした。



ネットで知ったんですが、享年93歳だったとか。



漫画家は睡眠時間を削って書くイメージだったんですが、
水木氏は睡眠と食を大事にしていたようですね(´-`*)オナジ








さて、(これまたネットで知ったんですが)
水木しげる氏は「幸福の7か条」というものを
自分なりに実践しているようです。




「現世は地獄だ、特に現代の日本は」
氏はあるインタビューで、そう言ってたようです(゜゜)



「だけど僕は幸福すぎるほど幸福だから
日本人に幸福を輸出してやりたいよ」ということから、
この7か条を書いたのでしょう。



見ててすごく共感しちゃいましたので
ちょっとご紹介しますね。




第一条
「成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはならない」



第二条
「しないでいられないことをし続けなさい」



第三条
「他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし」



第四条
「好きの力を信じる」



第五条
「才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ」



第六条
「怠け者になりなさい」



第七条
「目に見えない世界を信じる」







うん、僕は間違ってない(笑)
読者の中にも頷くかたは多いのでは。




出世や地位名誉など、世俗的な欲求を捨て、
食や睡眠という原初的な自己の幸福を
素直に楽しむことで、



自ずから幸福は生まれてくるのかもしれませんね。




戦争を始め、様々な苦労を体験した
水木氏だからこそ、この言葉には重みがあります。




ありがとうございます。
安らかにお眠りください(´-`*)




2015/12/01

肉男降臨、からの起業支援





ふふふ~ん
ふふーん






ヒメはヒメなのヒメなのだ~









えっ。
もうカメラ回ってるの。








・・・・・









や、やあ君か、よく来たな。
わーたーしだ。肉男だ。




肉男(にくお、英:meat man)とは「○○王子」や「○○男子」とは呼べない年齢に達した者だけが許される称号である。彼らは50歳を超えると「熟成肉男(じゅくせいにくお)」となり、60を過ぎると「肉翁(にくおきな)」になる。最終的には「肉霊(にくれい)」となって涅槃寂静の境地へと至り、この状態を釈迦は「サトシ」と呼んだ。(wikiより←うそ)






さて、は福岡の名店「仙匠(せんしょう)」さんへ
やってきましたぜ(´▽`)




場所は薬院の白金、
駅から徒歩5分程度の場所にあります。







ちなみにここ白金は大名と同じく毎月どこかのお店が撤退し、
そこからすぐに新しいお店が入ってくるという、飲食店の激戦区。



そんな中、仙匠さんは創業1992年から
20年以上の間、地元から愛されてる名店です。



以前開業していた大濠の店舗では
ステーキ・しゃぶしゃぶで有名だったんですが、
こちらに移ってからは焼肉をメインに取り扱ってるんですね。




使ってるお肉は最高級黒毛和牛A4・5ランク。
食にうるさい有名人もご用達の焼肉店です。



「焼肉以上、ステーキ未満」という
キャッチコピーに嘘はありませんぜ(´▽`)




☞☞☞




ちなみにこちら、タレからポン酢まで
全て自家製で作ってます。





「肉に合うポン酢ですから、
これを魚に使うと美味しくないんです」と。




さすが業界30年の経験値、
肉以外にもこだわりを感じますな(゜゜)




出てくるお肉もまー、お美しい。





しかもリーズナブルなのに、このボリューム!
大食漢の肉男、感激のコスパです(´▽`)





一枚が分厚く、肉質も僕の中でトップ3に入ります。






そして仙匠の名物がこちら!!





「牛トロのウニ巻き」
onキャビア乗せ







これ食べたら
脳の裏あたりが痺れますよ(笑)





これ反則や~




カップルで来ても良し、一人でも来ても良し。
まさに美食家の空間ですね。



☞☞



ちなみにこちらのお店のフランチャイズ支援を
やらせてもらってます( ̄▽ ̄)エヘヘ 




オーナーである木村さんは僕と同じく
職人気質ですが、とても温かみのある方なんですよ。



例えば今回のFC展開もそう。今まで起業してすぐに
廃業していった人たちをたくさん見てきたことから、



起業支援的なことをやろうと思ったのが
きっかけなんですね。



飲食業の中でも特に体力を使わない業態ですから
定年退職された方でも開業可能なのもいいですね^^




長い年月で作られた「仙匠」ブランドで、
生涯現役の仕事を始めてみませんか?




気になった方は「こちら」からどぞ♪





あっ、僕の方でも受け付けてますので、
お気軽にお問合せくださいね~(´-`*)





ケリをつける!





こんにちわ、坂口です(゜゜)
12月に入りましたね、師走です。










一説によれば、師走は「為果つ(しはつ)」、
何かをなし終えるという意味もあるのだとか。




なるほど、一年の最後に「ケリ」を
つけろ、という事でしょうな。




それは自分事だったり、世間事だったりと
色々あるんでしょうが、




スッキリした気持ちで一年を締めくくりたいものですね。




☞☞☞



思えば若い時と比べて、このケリの付け方(対処の仕方)が
次第にできるようになったように感じます。



孔子は40にして惑わず、と言いますが
もしかしたらそういった人生の対処法が
この年くらいから確立されるのかもしれませんね。



若い頃は世間の理不尽や世知辛さに
慣れることができず、格闘ばかりしてましたが、



最近は理不尽なことが起きたとしても
惑わされないようになってきたように感じます。



そう考えたら若い頃の苦労や反発や
葛藤は悪い事ではない、



むしろそのおかげで
バランス感覚を養うことができた、と。




若い頃の苦労は買ってでも・・・というのは
そういった意味なのかもしれませんね。





とまあ、いつものように雑多になっちゃいましたが、
みなさん、今年のケリをササっとつけちゃいますかね(´▽`)