「変る、変れ、変ろう」。
そう言われても、変わんないよと
言いたくなる今日この頃、
逆説的に言えば、彼らは
変化しないといけないという考え自体に
固執しているんじゃないだろうか。
現在、そのメッセージは一種の
「正しさ」となっているが、そんなわけがない。
無理矢理な「チェンジ!」なんて、もう十分。
そんな抵抗は決して、悪い事じゃない。
だって、それこそ
あなたの求める「変化」なのだから。
変わるものだけが生き残るという
都合のいいダーヴィニズムが目指したものは
現状維持の拒絶なのだろう。
創造は破壊からしかやってこない、と。
ちまたのイノベーションの概念もまた、そこから派生している。
その結果、「常に変化しなければいけない」という
一種の強迫観念のようなものが経営者たちを中心に
蔓延しているのだけれど、
本当に、変化し続けないと生き残れないのだろうか。
常にアクセルを踏んでいないといけないのだろうか。
見れば、社会は強く「安定」を求めている。
それってまさに、変わり続ける社会を
拒絶している証拠じゃないのか。
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もちろん、逆らい難い時流の中
余儀なく変化せざるを得ないものもあるだろう。
しかし人は本来、安定した土台を求めるもの。
逆を言えば、コアを支えるものが喪失している証拠だろう。
「どんな人でも明日どうなっているか分からない
今この瞬間を精一杯に生きよう」
一見もっともだが、本当にそう思って生きていけるのか。
複雑で先が見えず、さらに終末感も漂ってるから
そう「思わないとやってられない」んじゃないのか。
どうなるか分からない世界だからこそ、
確かな土台を作るのは大事なこと。
別に大きな偉業をやるわけではなく、
人生を一回性ではなく次世代に渡すバトンとして
考えるだけのことだ。
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「変わらない理念・暖簾」
「変わり続ける事業・内容・顧客」
これはうちの事務所HPのキャッチコピー、
ビジネスだけに限らず、世界には変わるものと
変わらないもの(変えてはいけないもの)がある。
変わらないものは国境を越えても
時代を超えても変わることがない、変わるわけがない。
もちろん、国によって常識はそれぞれ違うけど、
変えてはいけないものは、いつでも、どこの国でも
変えてはいけないのではないだろうか。
常識という言葉は、もともと日本語にはなく、
英語のコモン・センスを訳したものだと小林は言う。
では、その言葉が輸入される以前は
どんな文字を使っていたかというと、「中庸」である。
定義を拒絶し、絶えず疑うことで
「加減」を知っていく、これが本来の常識なのだ、と。
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