今回も日本流リゾームについて、
二回目です。
以前お伝えしたように、この国の民族意識の
強さは神話から続いていると発見したアメリカは、
古事記や日本書紀を歴史的事実ではなく
創作された物語だという理由で、教えることを禁止しました。
なるほど。基礎を壊せば建物が崩壊するように、
人間もまた「骨抜き」になるだろうと考えたわけだ。
心は表面的な武器と違って取り上げられませんからね。
基礎(根幹)に注目したのはある意味さすがだと言えます。
(腹立つけど)
ただ、あちらさんはそれが目に見える
「脳や心理学」からやってきていると思ってた。
これが大きな誤算でしたね。
というよりも、それが形式にできる限界ということでしょう。
日本の原点はそんな浅い場所にはなく、
もっと深い場所から自然派生的に「起こってしまう」ものです。
そして現在、その流れが起こっているのは
言うまでもありませんね。
とは言え、この原点を「自ら」正確に認識しなければ
数の力によって、また間違った方へ向かってしまいます。
例えば「日本人の魂と誇りを取り戻す」と
様々な運動が起こっているようですが、
大半は特定個人によるナショナリズム回帰です。
集団的になってるのはほとんどそう。
あんなもんやってると思考停止しますよ。
なぜならその目的は
自分だけ(自分の周りだけ)の利益だから。
そうなると必然的に利益に相反する
相手を排除するしかないわけでしょう。
結果、その集団は排除するための力を求めたり
仲間の力を結集して、とか言って正当化しだす。
そんなもの戦時中の一億玉砕(今なら総活躍)と
変わらないじゃないですか。どこに「誇り」や「魂」がありますか。
「もののあはれ」を生活の一部とする
宣長の思想を「正確に」知っているのならば、
この国が軍国主義に向かうことはまずあり得ません。
宣長死後、弟子であると自称する平田篤胤に
受け継がれたのだけれど、平田篤胤は文学とは遠い場所にいた。
(実際は会ったこともない)
そして、平田の神道はカトリック神学の構造を
都合よく「神道風に」解釈してしまってるんですね。
だから大和魂は武士道なんかと結びついて、
幕末にあんな結果になったわけです。
では、宣長の説く古事記の世界とは
どういったものだったのでしょうか。
というわけで、次回に続きます(゜゜)
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