人の考えや生き方の指針というものは
さほど変わることがない、
それは1000年前の問いと今の問いの
根幹が変わっていない、ということだろう。
つまり正解がないものに対する解釈の仕方が
時代と共に変わっているだけのことである。
一見、当たり前だったことが
実は不思議そのものだったのだと気付く。
よくあることだ。
それは解るという言葉が螺旋階段のように、
次々と上がってくる性質を持っているからに他ならない。
なるほど、九九を覚えた小学生と
相対性理論を完成させたアインシュタインの
口にする言葉は、どちらも同じ「解った」なのだ。
さて、僕はいったいどの階段から
「解った」と叫んでいるのだろう。
今日はそんなところから。。。。
現在、「形而上」と「現実」との折り合いであったり、
心と頭の折り合いが求められている。
僕はその違いを違いとして認める以外、
同居する道はないという考えだが、
どうもそれでは気が済まない人たちがいる。
程度の違いこそあれ、世の常だろう。
なるほど。彼らは絶望を経験したからこそ、
気が済まないのかもしれないし、
逆にまったく経験していないからこそ、
そう言ってるのかもしれないが、
はたして、どこまで解っているのだろうか。
まさか九九の時点で絶望したわけではあるまい。
☞☞
何事もそうだが、平和な快晴時には
誰もが美辞麗句を言えるものだ。
問題はその安定が崩れた時である。
個人の魂のようなものは、そこで露わになる。
小林秀雄と坂口安吾はが作品を出したのは戦時中、
空襲により、頭上に爆弾が落ちてくる時代の最中
自分との折り合いをつけた。
小林は自我(自意識)ではなく無私へ。
坂口は無私ではなく自我(自意識)へと向かったのだが、
それは否定し離れる側と、肯定し
寄り添う側との立場の絶対的な覚悟の違いである。
故に、その対立は永遠の水平線となる。
そこには理屈を抜きにする以外、理解する方法はない。
これが「解って」初めて、多様は多様として
棲み分けることができるのではないだろうか。
☞☞
こういった折り合いが求められてきたのは
明治以降、国家主義へ偏在してくにつれ、
ますます強くなっていった。
それは(弥栄モデルで言う)「揺り戻し」。
国家主義(一)の反発である、近代的自我(多)である。
そんなアンチテーゼのまま、自己を内面的に
掘り下げる「自意識」など、表面上の摩擦や衝突しか起こらない。
なるほど、多分に小林が感じたのは
そんな自我の不完全性だったのだろう。
「わたし!」と「わたし!」が前提である以上、
いくら衝突したとしても、そこには何も出てこない。
故に、早々に見限ったのだ。
半面、安吾はその「わたし」の衝突こそ、
現実の生活であり、その衝突した体験の中には、
小林が見落とした豊かな可能性が秘められているのだ、と言う。
(フィクション・ノンフィクション含め)
あらゆる物語はそこから派生しているのであって、
そんな人生ドラマを描くことが近代文学であるが、
ここに果たして、豊かな可能性というものは
あるのだろうか。
☞☞
小林は自分が信じる道を選んだ。
自我なんてものは、どれだけ深く追及したところで
自分にも他人にも折り合いが付くものではない。
現実の生活(自我)と戦うことはせず、
そのまま肯定したほうが良い、と。
小林は「生活」と「創作」を分離させたのだ。
モーツアルト、ゴッホ、本居。
小林は過去の天才と呼ばれた芸術家や思想家と
同一化(無私)しているが、
それは彼らが見る「まなざし」そのものとなることで
その世界へと没頭していく創作への態度である。
長くなったので、次回に続きます(゜゜)
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