※2013年8月記事を再アップ
「度を過ぎた徳は害をなす」
これは伊達家の家法(壁書)の中にあるものです。
仁過ぐれば弱くなる、義過ぐれば 固くなる
礼過ぐればへつらいとなる、智過ぐれば嘘をつき、
信過ぐれば損をする
こういった「分度」はなかなか体現が難しいですね。
暗黙知に近いんで、知識として頭に入れても分からない。
絶対的な価値なのか、相対的な価値なのか。
それは抽象度を上げれば上げるほど曖昧になるのでしょう。
上げれば上げた分、良いというものではない、例えば
スピリチュアルに傾倒すれば、現実逃避してしまうように。
それは抽象度を上げれば上げるほど曖昧になるのでしょう。
上げれば上げた分、良いというものではない、例えば
スピリチュアルに傾倒すれば、現実逃避してしまうように。
だから「根と翼」を同時に持たなくてはいけません。
これは白、これは黒と言うのは簡単ですが、どちらでもない
「あいだ(グレー)」の領域をどこで着地させるかが難しいわけで。
商人は片手に崇高な理念を持ちながら、
もう片方にはソロバンをはじかないといけないように
動的な平衡が必要、福岡伸一ですね。
善悪すぎれば同じ環の中。我々は善悪二元論を
同時に備えた「境界線(間)」として生まれて
きやがった、めんどくさい存在ですが、
境界線を広げる(超克する)寛容は、正しい精神かな、と思ってます。
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