2014/11/04

キラキラした人生

最近「キラキラ女子」という言葉を
耳にしました、遅いですな(笑)



おしゃれで、かっこよくて、お金も持ってて、
セレブ男性たちとの交流にも積極的・・・
そんなイメージのようです。



なるほど。俗に言う
「スーパーマン」ってやつでしょうな。



ただ、みんなスーパーマンに
なりたいんでしょうか?僕には到底無理です。




そういや、それに合わせてこんな記事も
載ってましたね。



アムウェイにキラキラ・ロハス女子が急増中で新たな危険性を指摘する声




若者の「やりがい」を餌にする企業が
最近目立ちますが、結局は同じことでしょう。



ホスピタリティ・やりがい・キラキラ・ありのまま・・・・


もちろん、それは素敵なことですが、
時として、強迫的な原理になってしまいます。



ポジティブは使い手を選ぶ、と。
そんなわけで、今日は加減の定義と組織論について。










ミエミエ


さて、我々はどうしてもモノゴトを
ポジティブに捉えたがる傾向があります。



先ほどの件にしても、都合良く
使われているにも関わらず、



「やりがい」や「利他の精神」を求め、
別に欲しくもないものを追いかけてしまう。



これが、すごくしんどいわけです。
「綺麗でキラキラ」ってやつは
目的として十分だ、と思いがちですが、
そんなわけありません。



そもそも、過剰な正義や純粋や愛の
行き着く先は、めちゃくちゃ硬直化して、
めちゃくちゃ生きずらい世界だと思いませんか?



それを頭の中だけで作ろうと思えば、
人間離れした漫画のようなモデルさえ生まれます。



そこに我々(弱者)全てを同一性として
回収しようという「強者の意図」、


それにもう、いい加減
気づいたらどうですか、と。



☞ ☞ ☞



世界が矛盾を無限に繰り返す以上、
答えは常に手探り。これはもう、どうしようもないこと。



故に「揺らぎ・遊び」を経験しながら
自分という唯我を、独尊に仕立てるもんだと
「僕は」思ってます。


仮に、ポジティブが絶対的なものになれば、
誰も、それに対して異論を出しません。



正義は正しく、利他の奉仕は絶対価値であり、
愛は地球を救う、と。



そして、いったんそれが定義されてしまうと
我々は考えることを放棄してしまうのです。



しかし、意図的に思考停止させる、ってことは
逆を言えば、誰かが思考して「そうさせている」ってこと。


そんなものを持ちだした、全体化である
ナショナリズムなんて、個人化にすぎない。



そこに代替可能な「キラキラ」を出せば、
代替不可能な「苦しさ」は隠れてしまいます。




その結果、「個人の疑問符」は消えることなく、
頭に棲みつく。



つまり共同体内にいながらも
個人はバラバラのまま、ということ。



それって、一人より
さらに孤独になってしまいませんか。




だから僕はSNSの光だけでなく、
同時に影も見るんです。



☞ ☞



昔流行った(今もか)自己啓発だって
出来ない個人の持つ苦しさや葛藤は
置いてきぼりなわけでしょう、



キラキラできない、けど求める。
やりたくない、けど、やらないと自己が保てない。


まさにアンチノミーが起きてるわけです。
そんなものに人を結び付けるような力はありません。



その反動でエゴイスティックな個人が
「変わらない自分」に価値を見出そうとしてますが、



それは、異端・異質・ありのままという
対極に向かっただけであって、同じ環の中にすぎない。




☞ ☞


本来、こういった経験はめんどくさいし
イライラするし、投げ捨てたいものです。



世間が当たり前だと思われていることに
一つ一つクエスチョンを投げ入れ、


そこから妥協点を探し、自己を変容させる。
この変化のプロセスが「自己中心」ですから。

しかし、そこで掴んだものが
本来の「手前(自前)の考え」であって、



自分のものでもあり、他人のもの、といった
主客未分の「慣習」であり、境界線になるわけです。



それこそ、加減でしょう。
「これ以上やったらダメだな」って感覚で分かる、と。




その素材すら持たずすでにある完成品を
丸ごと受け入れるのが、今の流れではないでしょうか。


なるほど、確かに今の若者は
面倒なことに対し、全く興味を持たないけれど、



何らかの共同価値に帰属していないと
「取り残される」とういことだけは感じているようです。


しかし、そこで夢中で掴んだものが、
ナショナリズムならば、元も子もありませんわ。


☞ ☞


我々が、普通に生きて行くならば、
他者の意見を受け入れ、組み入れないといけない。



これが独立(特に講師業)になると
他者の意見を排除する傾向が高まります。



だって、自分が先生になって
その意見を一方通行で聞かせる仕事ですから、



参加者から「その意見はおかしい」
と言われると「だったら来るな」で片付くわけです。



しかし、組織(共同体)で生活すれば
「その意見はおかしい」なんて日常茶飯事です。



故に、場を形成する必要性を
unreveではお伝えしています。




全員が講師業で飯を食うなんてありえない。
故に、共同体・組織論は経営の永遠のテーマなのです。


1 件のコメント:

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    最近人のブログを読むのにハマってます♪せっかく訪問したので読者になりますね^^また見に来ますね!

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