2017/11/24

相対主義とビュリダンのロバ②




前回に続き二回目。


一即多、多即一。
絶対と相対の平衡感覚について。





一人で決断ができないのは
端的に言えば自分の意見を持っていないから、


自分の意見というのは自分が決めた
ルールのこと。誰も自分のかわりに
言うこともなければやることもない、
自分だけしか引き受けられないものです。


その対極が一般論(世論)でしょう。
多くの人の支持を得る反面、誰も責任を
引き受けません。
「みんながそう言っているから」という
理由で鵜呑みにし同じことを繰り返します。


「なぜ?」と聞いても「そう言ってたから」と。
そんな無責任な発言をネットでよく見ますが
それは上記が無限連鎖の性質を持っているから、


フェイクニュースはこうやって拡散されていくわけです。




世論が必ずしも正しくないとすれば
正解とは一体、どこにあるか。


言わずもがな、自分である。判断の基準を
自分の外に求めるという思い込みの根は
非常に深いものがありますが判断(決断)する
基準は一切、自分にしかない。故に小林は
その自覚がいちばん難しいと説いたのでしょう。


我々は自分のやりたいことをやる
自由があります。だから中には悪いことを
やることも自由だ、と言い出すバカが出てきます。


「自分に嘘はつけない」と。
そう言って欲望(本能)に従うのが
自由意思による「決断」だと勘違いして
いるのですが、悪い事をやる自由とは
その本質において自由などではありません。


善悪を自分で判断できるようになること、それが本当の自由です。



本当に良い事だと「私は思ってる」のと
「本当に良い事」は同じなんかじゃない。
間違ってたことをいくら自分で正しいと
思ったとしても、それが正しくなるわけ
ありませんから。







世の中には善いことも悪いことも
ないのだから、自身が善いと感じ、 
自身が悪いと感じる、そのことにのみ
従って行為せよ。一切は君の自由だ。 


「売春がなぜ悪い。私の自由だ」と言う
女子高生に、大人が反論できなくて困っているのだそうだ。 


「なぜ悪い」と問われれば、こう答えてやればいい。 


善悪を知らないというそのことが悪い。


知らないということが悪いことだと知らないことが悪い。


それは誰にとっても悪くないが、お前にとってだけは 大いに悪い。


池田晶子「残酷人生論」より


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