2016/07/06

随筆~桜流しに乗せて~








このブログを書いてるときに流してた音楽。





僕のもの、君のもの。


「この犬は僕のだ!」と、あの坊やたちは言っていた。



「ここは、僕がひなたぼっこする場所だ!」




この言葉に地上のすべての簒奪の始まり、
そしてその縮図がある。




パスカルはパンセでこう言った。
でも、僕らはそれだけじゃない。



他者のことを自分自身に置き換え、
自分自身を他人に置き換えることだって、できる。



そんなお互いがお互いを迎え合うこと、
考える(かむかふ)」ことだってできるのであって、
人間関係の基本中の基本じゃないか。



他者は人間だけじゃない、
生命、場合によっては無機物だってそう。



なぜなら水や空気や光、
そのすべてが「生命」のためにデザインされているから。



表裏一体、風は生きてないけど生きている。
それを僕らは生命的に一体となしている。



それはもう驚異的ともいえるくらい完成された
調和の素材、



それは誰のものでもあって、誰のものでもない。







「あいだ」の感覚、センスス・コムニス、
共通感覚は僕らに本来備わってる。




繋がっていないと思い込んでいるだけで、
すべては見えない糸で繋がっている。



たとえ離れていても、異なった場所にいたとしても、
共にいるんだな、と実感すること。



生きた時代が違ってても、100年前であったとしても
その人の想いを生き返らせることができること。



それが伝統をかむがえ、思い出すってこと。
「一緒にいる」ということ。





「おまけ」


ビジネスのセミナー講師が
金取って話してる内容を41分あたりから話してますよ(゜-゜)








0 件のコメント:

コメントを投稿