このブログを書いてるときに流してた音楽。
僕のもの、君のもの。
「この犬は僕のだ!」と、あの坊やたちは言っていた。
「ここは、僕がひなたぼっこする場所だ!」
この言葉に地上のすべての簒奪の始まり、
そしてその縮図がある。
パスカルはパンセでこう言った。
でも、僕らはそれだけじゃない。
他者のことを自分自身に置き換え、
自分自身を他人に置き換えることだって、できる。
そんなお互いがお互いを迎え合うこと、
「考える(かむかふ)」ことだってできるのであって、
人間関係の基本中の基本じゃないか。
他者は人間だけじゃない、
生命、場合によっては無機物だってそう。
なぜなら水や空気や光、
そのすべてが「生命」のためにデザインされているから。
表裏一体、風は生きてないけど生きている。
それを僕らは生命的に一体となしている。
それはもう驚異的ともいえるくらい完成された
調和の素材、
それは誰のものでもあって、誰のものでもない。
☞
「あいだ」の感覚、センスス・コムニス、
共通感覚は僕らに本来備わってる。
繋がっていないと思い込んでいるだけで、
すべては見えない糸で繋がっている。
たとえ離れていても、異なった場所にいたとしても、
共にいるんだな、と実感すること。
生きた時代が違ってても、100年前であったとしても
その人の想いを生き返らせることができること。
それが伝統をかむがえ、思い出すってこと。
「一緒にいる」ということ。
「おまけ」
ビジネスのセミナー講師が
金取って話してる内容を41分あたりから話してますよ(゜-゜)
0 件のコメント:
コメントを投稿