ここ数日選挙の事ばかり書いてましたが、
先日はロマンチックな七夕なんでね(゜゜)控えてみた。
ただ、商売に政治主張はタブーだとは
思ってませんので、気にせずガンガン書きます。
「意見は違うけど対話をしたい」って言う人は歓迎しますよ。
さて参院選も残り3日、ここからが正念場ですね。
なるほど、アンチのブログがちらほらと。
(彼の名前を入力すると、ニューストピックで出てきます)
中には自分のアクセスを上げようと
表面的に流通している情報を鵜呑みにして
批判している「いつまで消耗してる君」もいるようだけど、
とりあえずこれを見て、そしてこれを見てから
モノ申して欲しいと思う。
もちろんアンチはあって当然。
疑ってみることが大事なことくらい分かってる。
諸君らが言わなくてもそこまでバカじゃない。
別に危険思想とか言ってない。デモ隊のように
ヤバイ方向(革命)に向かわせようともしてない。
多くの人が当たり前に感じている心地の悪さを
当たり前だよね、って代弁してるだけでしょう。
山本さんなんて、批判されまくって
頭にハゲが出来ても、防刃チョッキ着ながら
それをやってたわけでしょう。
じゃあ、なぜ信じられないか。
端的に言えばそれは「当たり前とはどういうことか」を
自覚することに尽きる。
それが分からないから、なぜか「崇高な理想」だと思うから、
アンチの意見やメディアに流されるんじゃないかしらん。
普通のこと、常識的なことを言ってるだけ。
それを「世間のフィルター」が「非常識」にしてるだけ。
「あなたのフィルター」にはどう映ってますか?
主流になっていないものを信じるには
自分自身で正解を見つけなくてはいけません。
でも慣れたら簡単、一歩を自分で歩けたら
二歩目はびっくりするほど楽になるんです。
そうなる為にも、自分の感性を信じよう。
なんだか分からないけど応接する心を信じてみよう。
☞☞☞
カントは言いました。
直観なき概念は空虚であり、
概念なき直観は盲目である、と。
論理性があればあるほどに感性は低下し、
感性が強すぎると論理性が欠如してしまいます。
しかし感性がなければ対象は与えられることはない。
これは絶対に、間違いない。
直観はあくまで感性から派生するものであって
理性(悟性)だけによる理性的直観など、一切ないんです。
どっちも大事だけど順番は感性が先、
感性による直観の対象について
「後から」考える能力が理性ということ。
自分の感性を信じてみましょう。
大丈夫、まだうまく「現象化」してないだけですから。
「後記」
そろそろ中身の潤いに注目して良い時期ですね。
今は外見は立派だけれど
中身がスカスカ、芯の無いものばっかりです。
今のハイ・テクノロジーを見ても、
本屋にあるたくさんの自己啓発本を見ても、
生活に潤いが出るとは到底思えない。
今の政治だってそう、言うまでもありません。
本当の豊かさってのは潤ってるってこと。
枯れてないってこと。
じゃあどうやったら自分は、社会は潤うのか。
そもそも「潤う」とはどういう状態を指すのか。
この問いも同じですね。
直観なき概念は空虚であり、概念なき直観は盲目です。
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