2016/06/03

加減の正義




今日は水戸黄門(水戸黄門漫遊記)で
有名な徳川光圀の小噺(笑)



あのお方、テレビでは助さん格さんたちと
あちこち行ってドンパチやってますが、
実際は徳川綱吉のご意見番に徹し、
江戸城と水戸藩江戸藩邸を往復するのに
人生の大半を費やしたといいます。


隠居した時はすでに64歳、
あんなにあちこち行ける年じゃなかったんですね(゜゜)



初代が好き




ちなみにこの隠居の理由は
「町民の面倒を見る時間を作る」ためでした。




以前、徳川家は領国である常陸
(現在の千葉)を代わりに治めていた
佐竹義宣を関ヶ原の合戦の際、秋田に飛ばしています。




町民たちは善政で治めてた佐竹氏を慕ってたので
新しく治める徳川家を嫌悪してたんですね。
「あんなに良い人を追い出すなんて!」と。



そこで隠居場所を佐竹氏の拠点である
常陸に移し、自分の両親の墓もそこに置いたのです。



領国にいなかったけど、住民の事を
考えてないわけではないと伝えたかったのでしょう。



まさに骨を埋める覚悟があると、態度で示したのです。



☞☞☞



さて、そんな光圀は儒学を基軸とする
誠実な人だったようで、特に弱者救済に
力を入れていました。



隠居場所である西山荘の使用人には
老人や身体障害者を採用し、
領内に積極的に出ては高齢者や障害者、
子供たちとの会話していたようです。



住民を騙すような話を聞けば次々と取り締まった。
こういった事実が形を変え、テレビ水戸黄門の
原型となったのでしょうね。







とは言え光圀は厳格な善悪二元論者ではなく
加減を知る知恵のある人でした。



例えば光圀がある漁港に立ち寄った際、
なんだか場所に活気が無いことを感じます。



話しを聞けば、自分が取り締まった政令の為
遊ぶ場所まで無くなった、とのこと。
昔の遊び場とは歓楽施設、 歌舞伎や
見世物小屋を始めとした遊楽場の事です。



もちろんあっち系も。
ちょっと、独身男にはキツイですわな(笑)
そこで光圀は考えた末、歓楽施設を復活させたのです。



新しい歓楽施設は「洗濯場」と名付けました。
表向きは漁から帰った漁師の衣服を洗濯する
女性を置く、という名目にしたのです。




☞☞




儒教の精神からすれば風俗関係は
タブーです。 しかしそんなガチガチの
理屈で国民を治めるというのは
いかがなものかと思ったんでしょうね。
(光圀自身、相当な道楽者でしたから)





多分に、光圀は大和心を持っていたのかもしれません。





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