2013/01/23

遷宮とパラダイムシフトとエントロピー

ども。unreveのグッさんです^^

今、雪を見ながらブログ書いてます。




こう書くと、なんだかカッコいい感じですが。









こんな感じデス(笑)

ハア・・・春はまだですかね。





☞☞



さて、今年は伊勢神宮と出雲大社の遷宮が同じという

珍しい年でもあります。



遷宮(せんぐう)とは簡単に書くと「新築移転」、

修理とか新築する時、一時的に神体を移動します。




定期的に遷宮することを式年遷宮といい、

この行事で古いもの全てを取り壊し、また新しいものに変える、といったものです。




ちなみに寛文7年、出雲大社は朱塗りの旧本殿から、

白木の新本殿へ。



この遷宮により出雲大社からは仏教色が取り払われ、

また、周辺の地域でも仏教施設が取り除かれてます。




そこから出雲大社周辺が

「神道之地」と呼ばれるようになったんですね。




つまり「思想ごと変えちゃおうよ」と。

考えたら一大行事ですね。






さて我が国には、このように破壊と再生を繰り返しながら

永続的に世界が続く、弥栄(いさかや)の概念があります。




宇宙には始まりもなく、終わりもない。

ただただ弥栄に栄えていくのみ、と。




元来、日本人には「終焉」といった言葉がなかったんですね^^

「終わりが無い」という事が終わりの答えだ、と。




ただ、その流れの中には大きな転換期があって、

それが巷で言われる「パラダイムシフト」なのかもしれませんね。





冒頭の遷宮だけに限らず、

今は大きな「転換期」だというのは間違いないです。




昨年の冬至はマヤ歴で終焉だと言われてましたが、

人類滅亡ではありませんでした。




そのせいでネットを始め各国でも一時パニックになったり

買占めが起こりました。

(ノアの箱舟みたいなやつも売りだされてましたね)




若い世代の中には逆にそれを望んでたり。

言いかえると破壊の後の再生を期待していたのかもしれません。





個人的にはマヤ歴って、世界の「転換期」を指していると思うんです。

遷宮のように「ガラリと全く変わる時代の節目」である、と。





オカルティズムに傾倒するわけではないのですが、

新しい時代、すでにシフトしているのではないでしょうか。





だとすれば、これからの時代の変化、

とっても楽しみじゃないですか^^?




完全な利他へのシフトとは思えませんが、

今年は今までの非常識が、常識になる気がしてならないんですね。




ただ、おかしな思想や説法が蔓延っている感は拭えません、

自分の目も養わないといけないな、と改めて感じます。




次回、これについて、

個人的な考察を書こうと思います^^


0 件のコメント:

コメントを投稿