2012/11/12

加速する現代を眺める

年を取ると時の流れは早い、
とくに現代の社会ではことさら早く感じる。



社会人となって仕事をしている方も同じ気持ちだろう。
「もう?」と言いたいくらい、一年は過ぎる。




それは仕事というものが「未来予測」に基づいているからかもしれない。


以前、プロジェクトの語源が「前方へ投げる」という意味だと記事に書いた。
しかし、考えてみればビジネスそのものが前方である「プロ」で作られている。


例えば商売においては購買の見込みを予測する。
この「見込み」とはプロスペクトだ。


そして見込みに対し、計画する。
計画はそう、プロジェクトである。


販促するのはプロモーションであり、生産することはプロデュース、
そして契約とは約束、プロミスである。


結果、利益(プロフィット)が生まれ、
企業はさらなる進展(プログレス)をする。



商売の一連の流れを西洋の言葉で訳せば、
なるほど、仕事とはまさにプロプロプロ。
「前へ前へ」の時間に支配された連続行為であることが分かる。



文明は前進することで飛躍的に進化した。
ただ、前向きと「待てない事」は同じではない。



しかし前のめりな「プロ」は待つことを拒絶する。
現代人は、「待てない病」になりがちだ。



コマーシャルなんて見てられない、
手紙から携帯メールになり、
さらにレスポンスの早いLINEが浸透している。



これらはそこまで影響は(今のところ)ないが、
深刻なケースもある、それは「子育て」である。



今は待てないのか何なのか、子供がちょっとでも親が思うイメージと
異なった行動をしただけで、恐ろしく過敏になってしまってる。



すぐに育児書やらなんやらを持ち出して軌道修正に入ろうとする。
さらには「前もって」予想できるように、先に手を打つ始末である。



不安前提、これでは先に神経がまいってしまう。
これも以前書いたように、子供とは本来自然であるからコントロールできない。



だからといって「0・100思想」で在りのままに育てても上手く行かない。
子供は宝であるが、王様ではない、ここを勘違いしてはいけない。



子供であれ大人であれ、人間の本質は同じだ。
色んな場面にぶつかった結果、考え、学び、育つ。



これが待てないのだ。
予想できないものに対し、楽しみに待てないのだ。




待てない社会は必然的に
「待ってくれない社会」を引っ張ってくるのだが、




マイペースな僕からすれば、
これがどうにも息苦しく感じてしまう。




個人的に「プロ」以外のビジネス用語で
やっていける社会が望ましい。







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