年を取ると時の流れは早い、
とくに現代の社会ではことさら早く感じる。
社会人となって仕事をしている方も同じ気持ちだろう。
「もう?」と言いたいくらい、一年は過ぎる。
それは仕事というものが「未来予測」に基づいているからかもしれない。
以前、プロジェクトの語源が「前方へ投げる」という意味だと記事に書いた。
しかし、考えてみればビジネスそのものが前方である「プロ」で作られている。
例えば商売においては購買の見込みを予測する。
この「見込み」とはプロスペクトだ。
そして見込みに対し、計画する。
計画はそう、プロジェクトである。
販促するのはプロモーションであり、生産することはプロデュース、
そして契約とは約束、プロミスである。
結果、利益(プロフィット)が生まれ、
企業はさらなる進展(プログレス)をする。
商売の一連の流れを西洋の言葉で訳せば、
なるほど、仕事とはまさにプロプロプロ。
「前へ前へ」の時間に支配された連続行為であることが分かる。
文明は前進することで飛躍的に進化した。
ただ、前向きと「待てない事」は同じではない。
しかし前のめりな「プロ」は待つことを拒絶する。
現代人は、「待てない病」になりがちだ。
コマーシャルなんて見てられない、
手紙から携帯メールになり、
さらにレスポンスの早いLINEが浸透している。
これらはそこまで影響は(今のところ)ないが、
深刻なケースもある、それは「子育て」である。
今は待てないのか何なのか、子供がちょっとでも親が思うイメージと
異なった行動をしただけで、恐ろしく過敏になってしまってる。
すぐに育児書やらなんやらを持ち出して軌道修正に入ろうとする。
さらには「前もって」予想できるように、先に手を打つ始末である。
不安前提、これでは先に神経がまいってしまう。
これも以前書いたように、子供とは本来自然であるからコントロールできない。
だからといって「0・100思想」で在りのままに育てても上手く行かない。
子供は宝であるが、王様ではない、ここを勘違いしてはいけない。
子供であれ大人であれ、人間の本質は同じだ。
色んな場面にぶつかった結果、考え、学び、育つ。
これが待てないのだ。
予想できないものに対し、楽しみに待てないのだ。
待てない社会は必然的に
「待ってくれない社会」を引っ張ってくるのだが、
マイペースな僕からすれば、
これがどうにも息苦しく感じてしまう。
個人的に「プロ」以外のビジネス用語で
やっていける社会が望ましい。
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