2013/05/08

作る自分、作られる自分



今日は超個人的思想リーフについて。
長いのでお暇な方だけどうぞ。









さて、皆さんは、1から10まで自分の意志で
生きている、っていう実感はありますか?



ちなみに僕の場合、半分。
個性やら性格やら長所短所が
全部自分で作れる、って思えないんです。



たとえばこれが企業理念の場合であれば、
「それって創るもんだよね」って言えるんですが、


人生そのものは設計図通りには行かない。
場合によってはとんでもないものが出来ちゃう。



いくら素晴らしい設計書でも、
作り手は僕だけじゃない。




これが「先天性」とか「生まれもった性格」
って言われるように、生まれたときから
変わらないものだけなら、話は別でしょうが、



社会性とか、マナーのように」
「自分以外によって創られた自分」だってある。



フランスの哲学者で幸福論を唱えたアランは
実に上手い事言いましたわ。



「そこに根拠があるにせよ、ないにせよ、
我々は必ずその影響を受ける」と。



占いが当たる、当たらないは関係ないんです。
人は必ず影響されてる、ってこと。



☞ ☞




そうなると「自分の意志で創る」っていうのは、
どこか限定的になってきますわな。



だってそうでしょ、どれが生まれつきで、
どれが生まれつきじゃないか、



どこまでが自分の意志で創って、
どこまでが他人の言葉で創られて、
どこまでが社会の意志で創られたのか
いまいち、分からないじゃないですか。



よく「習慣で人は変わる」って言いますけどね、
これも正しいようで、よく分からない。



だって、習慣っていうのは意志だけじゃなく
上記のような環境にも依存しているわけでしょ。



ってことは「習慣で変えさせられてる」
場合だってある。




当然、その環境を変えることは出来る。
しかし、それが常に意識できるかは分からないんです。



だからこそ、世間の空気でしょう。
いつの間にか、変わってたりするんです。

これは意志とか理性では全く説明できない、
流れってやつじゃないでしょうか。



そして、その流れの原因は何か?っていうと、
「何となく」っていう感情の集合体なんですよ。



これって、めちゃくちゃファジーじゃないですか。
まさに神の見えざる手ですわ。





だからもう、流れに合わせる自己を創るしかない。




☞ ☞




今は個性の時代です。
多様でありのままの自分を表現する時代、



しかし、細かく突き詰めていくと
大前提として存在しなくちゃいけない
この「自分」が定義できない。



フワフワしてるし、コロコロ変わる。
変わりたくないけど変わってしまうものって
沢山あります。




乱暴な分け方すると半分なんですよ。
半分は借り物でどうにもならない。



それを自己中心(リーフ)って呼んでいます。
雑草って、好き好んでアスファルトに咲いてないでしょ、と。




自我と場所、その境界線でフワフワしている。
そんな相互影響を受けているのが人間であって、




そこから出来る事って言えば、
とりあえず、そんな自分を認めて創っていくことだけ。




その部分に関しては、自由なんじゃないですかね。




2 件のコメント:

  1. SECRET: 0
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    お話よくわかります。
    自分で「絶対こうだ!」って思ってたことでも
    環境からいとも簡単に崩されちゃうこととか
    しょっちゅうですしね。
    抽象度をどんどん上げていくと
    スピリチュアルでいう「ワンネス」とやらに
    たどり着くのでしょうが、そこまでいくと
    フワフワし過ぎて弊害のが増えそう(ー ー;)
    自分って、何なんでしょうね。
    私は哲学とかで突き詰める根性もないので
    何なんだろう→終わり。
    という感じですが(笑)

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  2. SECRET: 0
    PASS:
    ��Ruby♭さん
    まいど~(。・ω・)ノ
    うん、分からないですよね~、
    分かってたまるかっていうか(笑)
    本来、幸せとか、自分とか、
    一つに集約化できるわけないですよね。
    だから、それを最大化している世間って
    まあ、ちょっと危うく感じるわけです(笑)
    お釈迦さんはそれを無記って
    言ってますね。
    人間にはわかんね~から
    止めとけよって。
    確かにその通りだな、
    って思いますわ(笑)

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