2013/05/13

老化する会社

現在、イノベーションによる変革が叫ばれていますね。
スティーブ・ジョブスにまではならなくとも、
ビジネスをやろうと考えている方は一度は聞いたことがあるはず



「新たなる価値を創造せよ」。
うーん、なんとも大変な時代です(;^_^A




短期的にただ売って儲ける、というやり方なら
そこまで考えないかもしれませんが、多くが店舗を構えた継続前提の商売。




「このまま続くだろうか・・・・?」
このクエスチョンを経営者は永遠に問い続けるのです。



さて、コンサルタントである細谷功氏の著書に
「会社の老化は止められない」というものがあります。




会社の老化は止められない――未来を開くための組織不可逆論/亜紀書房

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この本で書かれている事を簡単に書くと
「会社だって、人間と同じで年をとるんだよ」って事です。



これを熱力学では「不可逆性」と言って、
時計の針は戻せないように、一定の方向へ変化することはあっても
自然に逆方向へは戻らない性質を表しています。




無秩序から自然に秩序へは向かわないという
エントロピーと同じ意味合いですね。





市場の成長曲線を見ても分かるように、
会社も生まれた時から老化の一途を辿るのは自然の流れ。



ブームは繰り返されるといいますが、
いきなり若返るなんてないんですね。






~暖簾分けフランチャイズを全国に~グッさんの一期一会ブログ

こんなおじいちゃんになりたい(笑)





さて、その老化は人間を見れば分かるように、
完全に止めることはできませんが



よりよい年を取る為には一度「リセット」する必要がある、
それが著書のテーマです。




そしてそのリセットの役割を担うのが「イノベーター」、

「新しい考えを持った人材」の事です。




ただ、こうも書かれています。

「老化した組織においては、起業家精神を持ったイノベーターは存在しても活用されないばかりか、「異端児」として迫害され、行き着く先は牙を抜かれた普通の人になって埋没していくか、別の職場を探して外に出るかのいずれかである。



それを見て「やっぱりね」、と思いました。
やはり保守と改革は水と油、混ざることはないのです。



イノベーター気質の方は会社員生活を諦めましょう(笑)




イノベーターの持つ創造性は2タイプに分かれます。
既存の秩序の維持に貢献するタイプが1つ、



そして、逆に今の秩序を一度リセットして、
新たな秩序を生み出す。この2つのタイプです。



例えば私のようなコンサルタントの場合も上記に分かれます。
集客を専門とするコンサルタントでも既存の維持(リピーター)に特化している人もいれば、



全く新しい集客(メニュー改定や店内改装)などで
新規客に特化したコンサルタントもいるようです。




新たな秩序の創造という活動は
既存の秩序にとらわれない事でもあるので、




既存の秩序から見れば「無秩序な活動」でもあります。
私のキャッチコピーでもある「無秩序のデザイン」とは、こういった理由からです。




創造性が社会的に価値のあるものとなるためには、
脳内の無秩序の中から「秩序」として表現する為のシミュレーションを繰り返し行う必要があります。




でないと絵にかいた餅、「机上の空論」で終わってしまいます。
これを実際と乖離なく行えることで初めて「価値あるイノベーション」となるのです。





2013/05/10

顧客満足と言う名の顧客傲慢



今月より4Kテレビの新製品が発表され、
各メーカー、需要を期待しているといわれてますね。
4kテレビとは、フルハイビジョンの4倍の画素数の映像。
つまり、今よりもっと綺麗に見えるテレビです。



・・・・・消費者は欲しがるのでしょうか?
僕だけでしょうか、全く興味がありません。
(そもそもテレビ自体、何年もまともに見てない)



テレビ離れの現在で、いくらハード(テレビ)の性能を上げようが、
肝心のソフト(番組)自体に興味が無いなら同じ結果な気がします。



メーカーそれぞれが多大な広告費を使い、
マーケティングにあたるでしょう。
電通や博報堂あたりの広告代理店は芸能人を起用し、
綺麗なCMを作るでしょう。



それで消費者は購買意欲を喚起され、
消費に向かうと思ってるのであれば・・・・・



家電メーカーは危険ですね。



今回はそんな「顧客目線」のお話し、
あくまでも個人的な意見です。



これは3k




僕の知り合いがスーパーの店長をやっているのですが、
最近の顧客のクレームの多さに困っているようです。



中にはありえないクレームを出す顧客がいるとの事。
多いですね、モンスタークレーマー。


ただ、今の顧客目線にさせてしまったのは、
売り手である企業の方にも原因があるんじゃなかろうか。
お客様をとにかく満足させよう、感動させようと
神様みたいに扱ってしまったもんだから、
顧客はそれが「当たり前の状態」になったんですね。



つまりその満足に慣れてしまった、と。
サービス精神は両刃の剣なんです。
やればやるほど良いわけではありません。



なぜならその顧客満足向上の繰り返しによって、
顧客自身の満足感がコントロールできなくなってくるから。




例えば、2つの箱の内、どちらか一つを貰えるとして、
あなたが選んだ方に100万円が入っていたとします。



普通なら大喜びですよね。




では、もう一つの箱の中には1000万円入っていたらどうでしょう?



不思議とすごくがっかりしませんか(笑)
満足感なんて、相対世界の産物ですから、そんなもんなんです。




つまり、以前なら素晴らしいサービスで
あるはずの感覚が当たり前になり、さらに
過剰なサービスが出ることで全く満足を感じないようになってる。



結果、普通の基準も高くなり
ちょっとでも下がればすぐにクレームを出し
店員の態度次第で火のついたようになる、と。



「お前、何様や」と言いたくもなりますわ(笑)
正直、そこまでして買ってもらいたくもないですね。







以前有名なコンサルタントが
「顧客は120%満足して初めて口コミをする」
なんて書いたもんだから、こぞって120%満足させた。



で、大半がやった結果「120%が100%」になってしまった、と。



無料オファーなんて今は何の魅力もないですよね、
もはや駅前の無料ティッシュ程度の価値になってるんです。


その環境は同業者同士のサービス合戦の結果でしょう。
つまりその人が変わったのではなく、環境が変わったから人も変わったのです。




映画の「es」と同じ原理ですね。

es[エス] [DVD]/モーリッツ・ブライプトロイ,クリスティアン・ベッケル,ユストゥス・フォン・ドーナニー
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この映画は実際にあった話を元に作られていまして
擬似刑務所で20人の男を「看守」と「囚人」に分け、
それぞれ与えられた役になり切ってもらい、2週間生活させるという実験をしたんです。



最初は何事もなく、和やかな雰囲気だったのが、
その与えられた役割を演じているうちに、次第に関係性が変わって行きます。


なんと模擬的であったはずの看守と囚人の間に
「上下関係」が生まれ、囚人は看守に服従し
看守は虐待を始めたわけです。



ここまで書くと、ちとオーバーですけどね(笑)
ただ、おかしな主従関係を作ってしまえれば
顧客自身、分からなくなってしまうのは確かです。


顧客は神様じゃないし、
売り手は卑屈にならなくていい。
無理なサービスは毎回やらなくていい。
そこでたとえ感動したとしても、それを基本にしてはいけない。



なぜなら、商売の原点とは売り手も
買い手も「ありがとう」と言える、
双方の価値交換であるはずです。



だからこそ近江商人の「3方良し」は
「我よし、人よし、世間よし」という素晴らしい行動指針です。



「全てはお客様の為」と言ってますが、
従業員が苦しさを伴ってしまっては、ただの自己満足であり偽善ですよ。





2013/05/08

作る自分、作られる自分



今日は超個人的思想リーフについて。
長いのでお暇な方だけどうぞ。









さて、皆さんは、1から10まで自分の意志で
生きている、っていう実感はありますか?



ちなみに僕の場合、半分。
個性やら性格やら長所短所が
全部自分で作れる、って思えないんです。



たとえばこれが企業理念の場合であれば、
「それって創るもんだよね」って言えるんですが、


人生そのものは設計図通りには行かない。
場合によってはとんでもないものが出来ちゃう。



いくら素晴らしい設計書でも、
作り手は僕だけじゃない。




これが「先天性」とか「生まれもった性格」
って言われるように、生まれたときから
変わらないものだけなら、話は別でしょうが、



社会性とか、マナーのように」
「自分以外によって創られた自分」だってある。



フランスの哲学者で幸福論を唱えたアランは
実に上手い事言いましたわ。



「そこに根拠があるにせよ、ないにせよ、
我々は必ずその影響を受ける」と。



占いが当たる、当たらないは関係ないんです。
人は必ず影響されてる、ってこと。



☞ ☞




そうなると「自分の意志で創る」っていうのは、
どこか限定的になってきますわな。



だってそうでしょ、どれが生まれつきで、
どれが生まれつきじゃないか、



どこまでが自分の意志で創って、
どこまでが他人の言葉で創られて、
どこまでが社会の意志で創られたのか
いまいち、分からないじゃないですか。



よく「習慣で人は変わる」って言いますけどね、
これも正しいようで、よく分からない。



だって、習慣っていうのは意志だけじゃなく
上記のような環境にも依存しているわけでしょ。



ってことは「習慣で変えさせられてる」
場合だってある。




当然、その環境を変えることは出来る。
しかし、それが常に意識できるかは分からないんです。



だからこそ、世間の空気でしょう。
いつの間にか、変わってたりするんです。

これは意志とか理性では全く説明できない、
流れってやつじゃないでしょうか。



そして、その流れの原因は何か?っていうと、
「何となく」っていう感情の集合体なんですよ。



これって、めちゃくちゃファジーじゃないですか。
まさに神の見えざる手ですわ。





だからもう、流れに合わせる自己を創るしかない。




☞ ☞




今は個性の時代です。
多様でありのままの自分を表現する時代、



しかし、細かく突き詰めていくと
大前提として存在しなくちゃいけない
この「自分」が定義できない。



フワフワしてるし、コロコロ変わる。
変わりたくないけど変わってしまうものって
沢山あります。




乱暴な分け方すると半分なんですよ。
半分は借り物でどうにもならない。



それを自己中心(リーフ)って呼んでいます。
雑草って、好き好んでアスファルトに咲いてないでしょ、と。




自我と場所、その境界線でフワフワしている。
そんな相互影響を受けているのが人間であって、




そこから出来る事って言えば、
とりあえず、そんな自分を認めて創っていくことだけ。




その部分に関しては、自由なんじゃないですかね。