unreveの坂口です、
お忙しい中、訪問ありがとうございます^^
さて、我々が生きて行く上で、重要なものは何か?
と聞かれたら、多くの人が「自由と安定」と答えるでしょうね。
しかしそれがなかなか手に入らない(ノ_・。)
そんな単純な命題を解決するのに
なぜこんなにも苦労しているかというと、
自由と安定という、「ふたつの欲求」、
その性質が根本的に矛盾しているからなんですね。
今日はそんな二項同体の小話を。
さて自由とは、束縛から解放される事。
お金からの自由、労働からの自由、
の自由など、色々あります。
で、安定とは一体何じゃらほい?というと、
マズロー的に言えば、何らかの共同体に帰属する欲求です。
まさに「解放(自由)」と「安定」が矛盾し、
相容れない根本原因がここにあります。
なぜなら、何らかの共同体に帰属先を求めれば、
個人の自由をある程度放棄しなければいけません。
解放(自由)を取れば、不安定になり、
安定を取れば、自由は制限されるというジレンマ。
これが社会性の生き物である人間が持つ、
永遠の「悩み」です。
お互いがある程度譲り合い、我慢するからこそ
「現在の」共同体が成立するという前提がある以上、
お互いが衝動の赴くまま、自由にやれば
当然、共同体は崩壊します。
逆に、だからこそ人は権力者になりたがるのです。
権力を持ち、共同体の中で安定と自由が手に入りますからね。
さて、あなたはどっちを選びますか?
それとも、どっちも欲しいですか?
独立起業と会社員もそうですし、
結婚と独身だってそうですな笑
ただ、これを選択するのって、
まさに「自由」なんですね。
☞ ☞
エーリッヒ・フロムの著書「自由からの逃走」では、
我々は完全な自由よりも、国家の権威や、
世間大衆と同一化することを望む傾向があると言います。
言わば「特殊な縛り」に身を投げ出し、
犠牲になることで、安定と共同体に所属するのです。
歴史を紐解けば、これが原因で多くの争いが起こっている。
見方を変えるなら、全員が「自由であり、
安心もできる帰属先」を作れないんですね。
おたーく、な僕はそれをもう少し
突っ込んでみました笑
☞ ☞
そもそも、自由とはそれ自体に有効性はなく、
呼応する社会の義務によって初めて有効なものです。
共同体での義務の観念が権利の観念に先立つ以上、
その権利は義務に従属します。
例えば無人島で一人の場合、
自由の権利を主張する必要はありませんよね。
誰からも承認してもらう必要がないので、
それ自体の意味も価値も一切無くなるからです。
つまり、この「自由」や「安定」とは、
社会(他者)ありき、客体なくして主体は生まれないんですな。
そう考えると、自由であり、かつ安心もできる
帰属先が必要ということ。
これを教義という「外律」で教えようとするのが
宗教・国家のような「権威」なんですが、
止めときましょう、足元を掬われるだけです。
というわけで、みなさんも暇な時に考えてみませんか^^
暇つぶしには十分すぎるテーマだと思いますので。
0 件のコメント:
コメントを投稿