2012/09/04

ふたつの欲求

unreveの坂口です、
お忙しい中、訪問ありがとうございます^^



さて、我々が生きて行く上で、重要なものは何か?
と聞かれたら、多くの人が「自由と安定」と答えるでしょうね。


しかしそれがなかなか手に入らない(ノ_・。)


そんな単純な命題を解決するのに
なぜこんなにも苦労しているかというと、

自由と安定という、「ふたつの欲求」、
その性質が根本的に矛盾しているからなんですね。



今日はそんな二項同体の小話を。














さて自由とは、束縛から解放される事。


お金からの自由、労働からの自由、
の自由など、色々あります。



で、安定とは一体何じゃらほい?というと、
マズロー的に言えば、何らかの共同体に帰属する欲求です。



まさに「解放(自由)」と「安定」が矛盾し、
相容れない根本原因がここにあります。



なぜなら、何らかの共同体に帰属先を求めれば、
個人の自由をある程度放棄しなければいけません。


解放(自由)を取れば、不安定になり、
安定を取れば、自由は制限されるというジレンマ。


これが社会性の生き物である人間が持つ、
永遠の「悩み」です。



お互いがある程度譲り合い、我慢するからこそ
「現在の」共同体が成立するという前提がある以上、




お互いが衝動の赴くまま、自由にやれば
当然、共同体は崩壊します。



逆に、だからこそ人は権力者になりたがるのです。
権力を持ち、共同体の中で安定と自由が手に入りますからね。



さて、あなたはどっちを選びますか?
それとも、どっちも欲しいですか?



独立起業と会社員もそうですし、
結婚と独身だってそうですな笑



ただ、これを選択するのって、
まさに「自由」なんですね。



☞ ☞




エーリッヒ・フロムの著書「自由からの逃走」では、
我々は完全な自由よりも、国家の権威や、
世間大衆と同一化することを望む傾向があると言います。




言わば「特殊な縛り」に身を投げ出し、
犠牲になることで、安定と共同体に所属するのです。




歴史を紐解けば、これが原因で多くの争いが起こっている。



見方を変えるなら、全員が「自由であり、
安心もできる帰属先」を作れないんですね。



おたーく、な僕はそれをもう少し
突っ込んでみました笑





☞ ☞

そもそも、自由とはそれ自体に有効性はなく、
呼応する社会の義務によって初めて有効なものです。




共同体での義務の観念が権利の観念に先立つ以上、
その権利は義務に従属します。



例えば無人島で一人の場合、
自由の権利を主張する必要はありませんよね。



誰からも承認してもらう必要がないので、
それ自体の意味も価値も一切無くなるからです。



つまり、この「自由」や「安定」とは、
社会(他者)ありき、客体なくして主体は生まれないんですな。




そう考えると、自由であり、かつ安心もできる
帰属先が必要ということ。




これを教義という「外律」で教えようとするのが
宗教・国家のような「権威」なんですが、



止めときましょう、足元を掬われるだけです。




というわけで、みなさんも暇な時に考えてみませんか^^
暇つぶしには十分すぎるテーマだと思いますので。


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