この間、友人と話していた際、
アメリカでは市民監視プログラムが暴露され、
最近アップルのIOSには監視用バックドアがある、
という流れからクロポトキンとパノプティコンの話題となった。
なるほど、まさに現代はパノプティコン。
故にクロポトキン思想が必要であるのは間違いない。
今日はそんな話。
クロポトキン思想とは端的に書くと相互扶助、
政府支配のないコミュニティー社会の形成である。
反的な、つまり意図的’|(人為的)な無政府は
自然崩壊ではない為、必ず誰かの思惑があるのだ。
つまり猿山のボスが変わるだけの事であり
やがてそのボスが新しい支配体系を形成す。
人工的な秩序とは「設計者」がいる証拠である。
その他律的なものを一切排除しなくてはならないのだ。
相互扶助が個人の思想と直結しなければ
永遠にヒエラルキーとアナーキーの振り子状態となる。
だからこそホッブス「リヴァイアサン」だが、
ロックから、その絶対権力を批判されたわけだ。
「人はキツネやイタチの被害を避けるため、
ライオンに喰われるのを選ぶほど愚かなのか」と。
恣意的なものは全て偽物。当然である。
そんなわけで僕は「相互扶助論」が
本来の秩序ではないか、と思ってるのだ。
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「クロポトキン思想は代案のあるアナーキズムだ」
それが友人の意見だった。それが空論ではないのは
歴史的経験則だからだろう。
しかし、僕はそれに容易に賛同できなかった。
なぜなら今の国家構造、「根幹」では無理なのだ。
「無政府」とは、あらゆる機関を民営化
することである。それならば小泉は
間違ってないとなるが、あれはぶっとんだアナーキズムである。
カントよろしく理念によって守られていないのだ。
まさに平和学(予備6条・確定3条)である。