2017/07/11

対象化された理解、という絶頂、あるいは奈落。






さて、他者は「わたし」の認識によって客体化される。


この命題の最大の謎は客体として認識されている
他者が「わたし」から独立した存在(系)として
「私」の前に現れるということだ。


自分の認識であるにもかかわらず、
自分と和合できぬ他者。さて、これは一体何なのか。


このことに注目しない唯我論者は非常に多い。
否、注目しないからこその唯我論なのだろう。
彼らのいう外界は自己の意識の産物であって
実際は知覚された自分以外の人間や現象は
全て幻にすぎないと言う唯我論(自己だけが
存在し、他の系は存在しない)は理論的に 
無矛盾となってしまう性質を持つため、
理論的に崩すことは不可能になるに違いない。 


まさに自縄自縛。
不可能(である)ではなく不可能(になる)。
ネオ・ダーウィニズム然り、理性の牢獄だ。


✍✍✍


(言うまでもないが)上記の不可能性は単に
自己の可視範囲内に限定されたものに過ぎない。


蛇の見る世界と人間の見る世界は違う。
しかしその幻想は確固であるが故、無意識の
うちに自分の意見にあったものしか認められず、
答えに当てはめるように確認するようになってしまうのだろう。


本の中、伝統の中、他者の言葉の中に都合の良い箇所を
見つけては「やっぱりそうだ」と自己を強化していく。
答えありきの行動原理である以上、固執すれば
するほどその思想は傲慢になって行くのは言うまでもない。


なるほど、今は傲慢な蛇ばかりだ。
仮に自己の意識(生命)こそ唯一絶対で
最高の生命であるならばそれはつまり
わたしの愛が究極の愛であるということになる。


であるならばそのちっぽけな
自己慈愛の精神にわたし以外の全人類は
希望を委ねなくてはいけない。実に頼りない神だ。


そんな頼りのない神の言う「完璧な宇宙」
というのは機械のごとき宇宙であって
そこには豊かな精神性や奇跡を受け入れる自由がない、


余白がない。何よりも彼らには謙虚さがない。



うん、やっぱりつまらんな。
君の説く世界は子供だましのオモチャの世界だ。


✍


物事の存在深層に隠れた言語的意味以前の
実在の核心は本質であるのは間違いないが、
自己に対立するものとして客観的に眺めることは不可能だ。


それはフッサールには分かってた。
よって現象と形相の還元を二重に
することで本質直観的を試みたのだろう。


無色透明の普遍。
それをどうやって把握するか。
フッサールの意思を引き継いだ(?)
メルロ・ポンティやハンナ・アーレントは
その究極ともいえる抽象性から脱却しようと
認識主体が捉える以前の原初的実在性を
直感的に(心で)把握しようとした。


直接的な主体的経験、つまりそれは
過程であって生成であると言う根拠は
「いま・ここ」における我々の現実的な
経験が「流れ(あるいは持続)」であることに他ならない。


うん、やっぱり流れは流れだ。
言葉で捉えた時点で
生きたイカはスルメになってまう。





2017/07/10

雨垂れ石を穿つ



どんだけ鈍い人でも気付いているだろうけど、
最近の各メディアが伝える政権批判がパナい。
御用聞きの日本放送協会や読売新聞ですらやってますな。




(´・ω・)



自由な報道環境になったのでしょうか?
それともここ数ヶ月のあいだに物言えない
淀んだ空気を吸い込んでくれるダイソンを超えた
空気清浄器が開発されたのでしょうか?




(´・ω・)アホカ







ジェンガが崩れただけだろ。




あと多分、上の「上」からの指示。





一見、メディア各位が正義と勇気をふり絞って
声をあげてる「ようだけど」、僕は信じないね。
ジャーリズムの矜持を保っているのは知ってる限り
菅野さんを始め、数人しかいない。


ちなみに東京新聞さんと東洋経済さんは
叫んだね。「王様は裸だ」って。
それ以外は傍観者が付和雷同しただけでしょう。
(フランス革命が成功した理由でもあるけど)



✍


しかしまーこの国って良くも悪くも
「勢いに乗っかる」と、ものすごい力発揮しますね。
力技じゃなく、自然派生ってとこがパナい(笑)



雨垂れ石を穿つ・・・と言うよりも
途中で「雨がウォータージェットになる」って感じよね。


初ピソ!



初の菜園ビュッフェ「ピソリーノ」へ。
こちらは豊田産業㈱の外食部門が
手がけるフランチャイズです(゜゜)







メニューにあるピザやパスタは
オーダーバイキング制、
出来立てが食べれるのが嬉しいですね。



出来上がるまでにビュッフェコーナーへ。
定番の唐揚げを始め、色々ありました。



個人的にタコさんウインナーがヒット(笑)
こんなんあったら取ってまうやろ(´-`).。oO




そうこうしてるとピザがやってきました。
マルゲリータとタラモの「ハーフ&ハーフ」です。



なるほど(゜゜)結構好きかも。



んで、アンチョビとトマトのパスタ。



食べ終わり、和風を注文。





(゜゜)なるほど。



からの(珍しく)デザート。




ご馳走さまでした☆
イタリアンって、なかなか入らんもんですね(ーー゛)クルシ







2017/07/08

食べたいときが、丑の日なのだ。



世間一般で言われる土用丑の日、
今年は7月25日と8月6日




ですけどね


食べたい時が食べる時だろ(`・ω・´)キリッ




そんな謎の理屈から
地元で有名な「富松うなぎ黒田本店」へ。








本店はホント久しぶり。
いつも混んでるから荒木店に行っちゃうんですよね。




でも店の雰囲気はこっちが好き。



到着したの15時だったから、かなり空いてます。
一階の座敷部屋は僕一人、贅沢やなあ。




この日は鯉の洗いとせいろを注文。
これ喰や夏バテしない、僕のお薬です。




鯉洗いが来ました。
ここは一般的な酢味噌と一緒に柚子胡椒を
持ってきてくれます。


酢味噌が苦手な方、一度この柚子胡椒くんを
入れてみてください。劇的に味が変わりまっせ ( ・∀・)=b




滋味豊かな鯉を味わってると
セイロがやってきました。




美味し。
支店の鰻は個人的にちょっと甘さが
強いんだけど、やっぱこっちの塩梅は丁度いいわ。




充電完了、ごちそうさまでした☆




2017/07/07

マウンティングの心理


上から目線で自慢したりアドバイスする人を
「マウンティング」と言うみたい(゜゜)
なるほど。mounting(上に乗る)って
意味だから常に優位に立ちたい人ってことだ。


じゃあ、逆に下手に出て相手を乗せる人は
「トッピング」かいな。



そんなオヤジギャクからの小噺。







さて、男性でも女性でもマウンティングしたがる
人の心理には「認めてほしい」という欲求があると
書いてたけど、そんな単純なものじゃないだろう。


近代はコミュニケーションではなく
心の解剖学になっているようだけど、
個人的にはこの前提自体がそもそも
間違いじゃないのかと思ってる。



他人の心理、自分を変える心理、
人を動かす心理に消費者心理と本屋には
「心の学問」がズラリと並んでる。
確かにユングやフロイトやNLPやらを使った
心理分析や定義は楽しい。僕も一時期ハマってた。


ただ、僕はそんな知識に当てはめて人を
判断するのが不誠実に感じてきたわけですよ。


当たってる部分もたくさんあるけどね。



昔はセラピストなんてそんなにいなかったし、
心理学なんて大半が知らなかったけど、そんな
知識を持ってる人よりも経験と鋭敏な感性を
持った人の方がよほどしっかりと人間を掴んでいたんじゃないかしらん。


そんな人の言葉ってのは大抵、耳に痛い。
「人格」を伴ってる以上、忠言だからね。
説得力があったわけだ。


じゃあ、そんな人たちって他人に
認めてほしくて「マウンティング」してるのかしらん。


✍✍


心の学問(分析)は「人格解体」。
説明である以上、人格を磨くじゃなくて
「ありのままを認める」ことが最優先されるのではなかろうか。


例えばコンプレックス。
一旦定義してしまえば忍耐や努力が
必要な時も「それがコンプレックスだから」と
変な自己肯定をやってしまう人がいる。


下手すればこれが個性だと自慢しかねない。
「いやー、キレやすいのがコンプレックスでね」と。
いやいや、じぶん治す気ないやろ(笑)



(ちと鬱陶しい書き方をすれば)
幼児期のピュアな精神を大人になっても
持ち長らえることは大事なんだぞ、と
自由を教えるのは気楽で楽しい。
教えていて気持ちの良いものだ。


反面、規律などの不自由を教えようとすれば
どうしてもその源泉(中心)を理解しないといけない。
単に歴史や文化や伝統といったものに求めても
昔の価値観だと言われたら言い返せないんだよ。


故にそこには必ずと言っていいほど葛藤がある。
逆を言えばその葛藤を本人が引き受けなければ
教えることなどできないと思う。



✍


20代の僕は身勝手なクソ野郎だった。
自分のことばっかりで、迷惑ばかりかけてた。
でも先輩や上司の人は上手に怒ってくれた。
今思えば、非常に恵まれてた。



もしあの精神のままだったら、きっと他人の
痛みなんて分からない人間になってただろうな。



20年後も「今の自分」にダメ出しできる人間でありたい。



失敗。。。



最近、飯うま、酒うま。

何食っても美味い。テンションもおかしい。



そういう時って、調子に乗ってつい
失言しちゃいますね。案の定、
先日初対面の女性に「おいくつですか?」と
聞いてしまった。



数秒の沈黙。




やべ(゜゜;)やってもーた。





するとその女性は笑顔で





「坂口さんはおいくつですか?」。




(?あれ、さっき年齢言ったよな・・・・)




あ(゜゜)そっか。




👩👩👩



てなわけで質問に答えないための
もっとも有効な方法は「質問をする」
ということがよーく分かった一日でした。








2017/07/05

簡単だった!



カレーをゆっくり作りたいんだけど
なかなか時間が取れない。


そんな時、これ見つけた。








ほう( ・`ω・´)うまそうじゃねーか












五分後




まじ簡単だった。





( 'ω')ŧ‹"ŧ‹"






( ゚Д゚)ムハッ









これ、良いかも。







2017/07/04

青春の味




先日は朝から商工会議所と市役所へ。
終わったのは昼前、ちと小腹が空いてきた(゜゜)



何か食べようかなと車で走ってる途中、
ふと懐かしのお店を通り過ぎる。



高校時代の思い出の場所「てらさき食堂」です。





いつもは素通りするんだけど
この日はなぜか気になり、入ってみた。



高校3年以来だから・・・23年ぶりです。




なーんも変わっとらん。
タイムスリップしたごた(゜-゜)





懐かしのチキン南蛮を注文。


「うちはね、他と違って全部手作りなんよ」。


うん、知ってる知ってる。
このメニュー全部、食べたしね(笑)


実物はけっこうデカいんですよ。



実はここ、高校時代に初めて付き合った
彼女が住んでた家の近くにある定食屋なんです。
むこうのおやっさんがこの店を気に入ってて
僕もよく連れて行ってもらってました。


当時の僕は今と変わらず気に入ったもん
ばかり繰り返し食べてて、ここに来ると必ず
チキン南蛮か唐揚げ定食頼んでたんだよね。


ある日おやっさんから
「純ぼぅ、他のも美味いから食べてみろ」
と言われ一通り食べたんだけど、やっぱり
最終的に南蛮か唐揚げになっちゃった(笑)


色んな意味で懐かしの味。
二人で来た時に喧嘩しちゃって
彼女が泣きながらご飯食べた時もあったな(しみじみ)



✍


ちなみにその子は高校卒業後、
大阪に引っ越しちゃって遠距離に。


毎週、夜行バスで大阪に行ってたのが懐かしいわ(´-`).。oO







台風は。。。





全然大したことなかったので
店舗に寄った帰り、岩盤浴行ってきました。










よしっ、やっぱ少ねーわ ( ・∀・)=b





で、帰ってきたらちょうどチラシが届いた。



ナイスタイミング ( ・∀・)=b
早速看板に設置&ビラ配りです!








おもろいのか?




この間、数時間だけロシアが勝ってた。





ちなみにその日に書いた記事は
日本(人)論考。







(´・ω・)





(´・ω・)なぜだ?






2017/07/03

ガラス張り





名が売れてない時って有名な人とか
権力者とくっついて利用しようとしますね。
いわゆる売名、コネ作りってやつ。


もちろんそれは自分(自分の商品)を
もっと広めたい、認知させたいって
理由であって全然悪くはないんだけど
もしそこに「ゆるぎない信念」みたいな
もんがあるなら止めといた方がいいかもね。


ミイラとりがミイラになってしまった例は
歴史を見れば沢山ある。例えば平安期の
仏教なんてまさにそうで野心の強い仏教僧
(これだけでアウトなんやけど)が貴族を始め、
時の権力者に近づき仏法を広めようとしたわけだ。


で、その結果どうなったかと言うと
逆に権力者に利用されてしまって
都合の良い御用聞きになってしまったんだよな。
最終的に彼らは曲げてはならない仏法まで
曲げ、現世利益を求めるようになっちゃった、と。
平安の仏教ってクソミソだったのよ。



✍✍✍


最初は高邁な志しだったのがやがて
権力に捕まり、溺れ、堕落していくのは
いつの時代にもよくあること。ただ昔と
大きく違うのはその様子がネットで
拡散されるんだよな。


(高邁じゃないけど)森友学園とか
象徴的じゃないか。現政権はネット対策に
めちゃくちゃ力を入れてるから批判する
書き込みの大半は圧殺されてたけど、
もう通用してないでしょ。


ビジネスしかり。影に隠れて利益誘導なんて
姑息な真似はできないんだよ。それだけ今は
「ガラス張り」で「筒抜け」状態なんだよね。


まるで昔のラブホみたいに笑
てなわけで、みなさんも包み隠さず
誠実にイキましょう←おい



「後記」


そういやネットで「私人」昭恵と一緒に
写真撮ってる人多いみたいだけど完全な
汚点になっちゃいましたね。ネットで大々的に
アップしてるだろうから消したくても消せないでしょうな。


ちなみに僕の知人の知り合いの経営者から
どや顔で竹○平蔵とのツーショット写真
見せられた時は、何て言っていいか分からなかったよ(´_ゝ`)



朝からナカス





平日の早朝6時半、イン中州。
朝の飲み屋街って、ホント別顔になるね。
「暗くならないと活気出ねーよ!」オーラがある。



そんなことを感じながら野暮用を済ませる。
時刻は8時前、スーツを着た人が増えてきました。



腹が減ったので何か食べたいんだけど
この時間って、食べる場所がない。
ファミレスは・・・・違うんだよなあ。



てなわけで、車に乗り込み資さんうどんへ。
24時間営業の中で特に利用してるところです(´-`).。oO



このように朝定食があるけど、
僕は一度も食べたことがない。


食べるのは常に、ゴボ天ソバ@大盛。
朝だから天かすと一味は入れないバージョン。



相変わらず、んまい(´-`*)安定の味やなー




今から戻って仕事です。



2017/07/02

自意識の殻に籠る



どんなに自分に非があっても認めず、
無理筋な理屈を使ってでも正当化する人は
少なからずいるのだけれど、もしかして
その人たちにはシンドイ過去があったんじゃなかろうか。



最近、ある事がきっかけで考察してみた。





例えばつい悪さをしてしまったとする。
小さい子供だ、大小差はあれ誰でも経験はあるだろう。


そこで親からこっぴどく怒られた。


謝った、最初は素直にゴメンと謝った。


普通の親はそこで許すだろう。
しかし、そこでもしさらなる追い討ちを
かけて怒られたとしたら、どんな反応を起こすだろうか。


一度や二度やなくて、何度もね。
僕だったらきっと、心の奥に刻まれるだろうな。



☞☞☞


素直さによって酷い目に合うような
環境で育てば、自分の身を守る処世術として
正当化を強化するんじゃなかろうか。
僕にはそんな経験はないけど、あながち
的外れではないだろう。


もしくは罪悪感の塊になるか。そうなると
自分でおかしいと分かってても止めることはできない。
なぜなら世間と戦ってるようで実際は
幼少期の反射を繰り返しているのだから。


自分の非を「認めることができない」。
認めた途端、何かが崩壊してしまうのかもしれない。


仮にそうであれば、それを避けるための
論理武装ほど頑強なものはないだろう。
追い込まれればその鎧はさらに頑なになるに違いない。


本人はさぞかし重いでしょうな。
無意識のうちに身に纏った、鋼の鎧は。
それを昔の人は「殻に籠る」と言ってたのかもね。


であれば「殻に籠るな」という意見は余計に
相手の鎧を強化させてしまうのかもしれない。


うん、これから使わないようにしよう。



☞


心の溝に苦しんでいる人はたくさんいる。



それを愛で埋めるか、ゴミで埋めるか。
憎しみで覆うか、慈しみで包むか。



その選択だけは自由だね。






7月2日、つぶやき



一家一人の為に発する怒りは 
小なる怒りにて、一国の為に発する
怒りは 大いなる怒りである。 


大いなる怒りは、 国家社会の進歩発展を促す。 

渋沢栄一



東京都議選が本日投開票されますね。


見れば色々と面白いことになってますが、
さて、結果はどうなるでしょうか。
(書きだすとキリないんで書かない)


都議選の「安倍やめろ!」は尋常ではなかった
東洋経済さんのページへ飛びます、飛びます。






ここまでやってしまった以上、
あの坊ちゃん政権を功罪相半ばだとは
口が裂けても言えないけれど、良い面もあります。


これだけの悪政をやった「せいで」
今の社会はどんずまりになったんだけど、
これだけの悪政をやった「おかげで」
政治に関心を引く人がたくさん増えた。
今まで政治はタブー扱いでネットに書き込めば
イタイ奴扱いだったけど、ずいぶん変わったんじゃないの?


見れば今回の期日前投票は前回の1.57倍、
それだけ今の政治に注目してる証拠でしょう。
ちなみに投票率が高い時は不正はまず不可能。
それは2009年、すでに証明されてますしね。


つかキリないと言いながら書きだしてるから止めよ(笑)






2017/07/01

美しい人



金持ちや頭のいい人はすぐ見つけられる反面、
心優しい人というのは、(沢山いるんだけど)
なかなか発見することができませんね。


だから心が綺麗で美しい人と出会っちゃたら
その日は100点になっちゃう。
そう思えるのは多分に、心がほころんでいるんでしょう。


文字通り、固かった心が柔らかくなっていくのをリアルに感じますね。









この間書いた日本人論と矛盾しているんだけど、
日本の最たる特性って美に対する感性(美意識)
じゃないかと思ってます。


正しさとか、勇敢さじゃなくて「美しさ」。
遡れば、それは源氏物語にも描かれていて、
宣長さんはそれを「もののあはれ」と呼びました。


古来より日本の中心には美があった、と。
例えば最古の和歌集「万葉」には貴族や天皇が
詠んだ歌と一緒に、名の知れぬ歌人の歌も
載ってますが、まさに地位や金よりも美を優先した証拠でしょう。


なるほど。地位や金は相対的なもの。
しかしこの「美しい」というものは絶対的であり
疑う余地がない、と。


♡♡♡


我々は心が綺麗な人を「正しい心」とは呼びません。
美しいこころ、美徳のある人だと言います。


優れたものを食べたら「美味しい」と書き、
体を美しくすることを「躾」と書く。
そして多くが「美しい国」を目指します。



こういった美意識は頭からは出てきませんよね。



2017年、下半期スタート




おはようございます。
珍しく週末早起き、坂口です(゜゜)



7月に入り、いよいよ今年も折り返しですね。
後半戦(笑)はどんな結果になるでしょうか。


とりあえず今月開催される
小倉祇園太鼓には「必ず」行かねば( ー`дー´)キリッ





今年は最終日の廻り祇園(勢揃い太鼓)を
見ようかしらん。




そんな朝っぱらの決意表明と久々の朝ごはん。




2017/06/30

日本(人)論考



つい数年前は「日本の常識は世界の非常識」
みたいな番組がテレビを賑わせていた。
あれを見て「この国は世界の常識を知らない
後進国なんだな」と、自虐的な感情を
植え付けられてしまった人もいるだろう。


しかし今はどこもかしこも日本賛美、
正しかったのは日本人だった、ってね。
そんなメディアの変わり身の早さには
唖然としてしまうな。


こう言った極端な思考回路は
世界共通の「バカの条件」である。
無私と自分を見失った人は全く違うように
素直と無思考は違うのだ。


上から目線で偉そうだという意見は
今回は聞かないよ。極端な意見に共感し、
疑うことなく信じ、集まるのはやっぱり、どう考えてもバカだ。







静思し、真剣に疑問符に向き合えばその
複雑でどうしようもない矛盾を感じずには
いられない。逆を言えば全く矛盾を感じない
知識人の発言は誰かの思想を借りてるか、
もしくは自分に嘘をついているに違いない。


冒頭のテーマ然り。日本を端的に
語るような人を僕は信用しないね。
なぜならそれは一枚岩ではなく 
幾重にも折り重なっているのだから。


例えば僕は自分の父親が全く理解できない。
最近では理解しようとも思わなくなった。


血の繋がった親子ですらそんな感じなのに
「日本人」を丸ごと理解できるわけないわな。


🗾🗾🗾


閑話休題。
僕が好きな日本は多層的な価値に
共鳴することができる文化であって
「これが日本人だ!」とアイデンティティを
確保しようとする行為じゃない。


そんな重なり合うグラデーションを見ず
単色で物事を判断するような人は違う意見を
探してはモグラ叩きのように叩きだす。
いわゆる「排他的なムラ社会」というやつだ。
そんな場所よりも外国の方がよっぽど
親近感を持つという人も多いだろう。


こういった面もこの国は持っていると
いうことを含めて考えないと「日本」は分からない。


いわんや常識をや。
薄っぺらい日本を知りたきゃ、それでも良いけどね。



「後記」


古来より日本人は調和を大切に生きてきたという。


昔の国名が「大和」と呼ばれていたように
人々は大きな和を尊び、その中に自分が所属している、と。


礼儀礼節、約束を守るのは
人に迷惑をかけないため。
和の中の人を傷つけないため。


一見、素晴らしい精神性だと思うだろう。
しかしそれは集団性が混じった中途半端な
「個」でもある。柔軟な感受性ではあるけれど、
場合によっては「本当の個性」まで引きずり
落とそうとしてしまう気味の悪さも併せ持つのだ。


なるほど、己が中途半端な個性であると
自覚してるからそこから逸脱する人が
我慢できないのだろう。その前提には
大衆の特徴である盲目的な従属姿勢があるわけだ。


結果、まるで自分が世界のことを
知り尽くしたかのような態度で世間から
はみ出した人を嘲笑し、新しいチャレンジを
する人を諦めさせることに必死になる、と。



和合(調和)の精神は諸刃の剣。
使い道を間違えば迎合になってしまうね。





2017/06/28

夢、unreve



僕が私淑している渋沢栄一氏は
屋号の名づけ親。小林同様人生において
非常に影響を受けた方の一人です。
参考記事:道徳経済同一説


氏は坂本龍馬に(くっつき)三菱を創った
岩崎弥太郎のような勝者者側の人間ではありません。
最後の将軍である徳川慶喜を慕った敗者サイドの人間です。


ただ、そんな敗者サイドが最終的には日本の
財界を仕切った、と。実に痛快。


岩崎は「僕と手を組めば日本の実業界を
思う通りに動かすことができる」と、彼を
誘ったようですが、渋沢は怒りながらこう言ってます。


「冗談じゃない。君がやってるのは
ただの金儲けだ。そんなことはするつもりは毛頭ない」



さすが元武士、このぶれない男気が好きなんですよね(^^♪



そこから生涯で500以上の企業に関わり、
実績を残していったわけです。





彼はお金を儲けることを否定している
わけではありません。手段と目的を
取り違えるな、と言っているのです。


説明すると長くなるので割愛しますが、
そんな彼の考えに共感し、僕も彼の目指した
場所に向かいたいと強く思ったんですね。


✍✍


夢なき者は理想なし。 

理想なき者は信念なし。

信念なき者は計画なし。

計画なき者は実行なし。

実行なき者は成果なし。

成果なき者は幸福なし。


ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず。




うちの屋号はunreve、フランス語で
「夢」を意味しますがそれは渋沢氏が
根幹にしていた「夢」から頂いてます(゜-゜)



2017/06/26

古典になる条件






unreveホームページより。



昔の時代に書かれた本を「古典」と呼びますが
見れば古典という言葉は古いという文字と
「典型」という意味が重なってできています。


典型とは規範となる型、パターンのこと。
つまり古典とは「古いけど変わらないもの」を
書き現した本なんですね。方丈記や源氏物語、
万葉集に徒然草などは昔の歴史的な書物、過去の
概念ではあるんですが同時に歴史ではない部分もある、と。


例えば当時の生活などは今の時代と
まったく違ってます。しかし描かれる
「感情」は今も昔も変わってませんよね。


1000年前だろうと愛する者を失えば悲しみ、嬉しいときには笑う。



そんな感性の根源的なリズムは
まさに「典型的」です。だからこそ
古典は現代であっても我々の心に響くのでしょう。


「君の名は」は古今和歌集をモチーフにした。



我々は生きる時代の影響を避けることができません。
さらに、受け取り方は個人によって全く違います。


ただそんな中、100年前・1000年前の時代に
書かれた言葉が大勢の人の心を打つ。



不思議ですがそれだけ時代を超え、日々新たに
続いていく力を持っているということでしょう
今の時代でもそんな力を持った本が生まれたら良いですね📖




「おまけ」 


「方丈記」は一般的に鴨長明の
住んでいた家の大きさだったと言われます。
広さは方丈(十尺)、高さは七尺というとても
狭い家に住んでいた、と。


しかしあれば人間の典型を描いているんですな。
長明は人間というものは本能に任せれば
すぐに短絡的な行動をしてしまい災難や事故を
起こしてしまう存在だと考えてたんです。


そういった本性・本音の広さに比べ、
正気という正常な状態は本当に僅かなもので
「方丈」くらいしかない、と。


つまり「まっとうな生き方は確かに
窮屈なものだけど 私はそれが良い」
という、彼がたどり着いた思想でもあるんですよ。




2017/06/22

ハートに刺さる



日帰り、インとーきょ。


個人的に会いたかった方とも会えて満足(゜-゜)♪
今日はもう十分、帰ってすぐ寝よっと(笑)





人との出会いで「魂を揺り動かすなにか」
を感じるときってありますよね。


僕の場合、まさに今回がそうで。
心の奥底で響くもの、気障な言い方すれば
魂の動きを感じたわけです。


何かはしらん。けど何かを植え付けられたな、と(笑)


やがていつか芽生えるでしょう。
その予感がたまらなく楽しみです。




多分に直感の源泉はそういうもの。
真の個性に触れた時や「ホンモノ」に
出会った時も同じような感覚に陥ります。


例えば芸術。
ただ単に見た目がキレイだとか、
タッチが細かくて丁寧だとか、面白いとかではない。


流れ、消費されるものではなく
文字通り植え付けられる、と。
これはもう、自分にしかわかりませんね。


なるほど。
磨くとエッジが立ち、尖ってくる。
そして滑りもまた、良くなってくる。



だからハートにグサッと💘刺さるんでしょうね。




2017/06/21

晩飯中にて。



余裕があるときはGoogleカレンダー
なんか使っちゃうけど最近は
書きなぐり形式のToDoリスト、
ほとんど暗号で僕にしか読めない(笑)


それがババーっと並んでるの見て、
何も考えず、感じず、優先順にやってます。
仙人の境地やな。無ーやで、む。



狭い日本、そんなに急いでどうすんの。
いやいや誰もやってくれないから仕方ねえ。



てなわけで腹減ったから肉たべる。






そういや値段設定って「独自性があれば
高くても大丈夫」とか言うけどホントかいな。


例えば、ラーメン。
最近ちと高いけど一杯500円平均だとする。
そんな中、ある店が一杯1500円で出してきた。
具材はこれこれで、ここにこだわってます。ってね。


極端に言うと、ブランドってこんな
高価格によるイメージ戦略が大半。
逆もまた然り、200円で出す所も出る。


でもその価格が「独自」と言えるのは
市場に500円の商品があったからこそでしょ。


つまり相対として有効であって
絶対(独自)価格じゃない、あくまでも
市場平均価格があってこそ成立するもの。


仮に完全なオンリーワンの独自商品を
作ったと言うならば、こういったベンチマークは
存在してない、って事だよな。


何が言いたいかって言うと、世間の独自性って
必ず相対的指標があるのであって、敵が一切いない
商品(つまりオンリーワン)ってのは逆に
比較対象がないんで売れないんじゃないかなと。



ベースがあるから理解できる。
完全な独創性って、芸術以外ないね。
雪舟の作品がいくらかなんて決めれないもの。




あ、やべ。焼きすぎた
(所要時間13分)




2017/06/20

目に見える価値



こんばんは。
この間の出張の際、スマホを
家に忘れてしまってて丸一日
携帯なしで過ごした坂口です(゜゜)


いやー、ダメですね。
持ってないというだけで心細くなるのは。


でも心細いもんは心細いからしょうがない(笑)
多分に、こんな感じで人の心は変わっていくんでしょう。


と、雑談はこれくらいにして今日のテーマ行きますか。


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さて、「分かる人には分かる」と言う
言葉は死語になってますが、僕の中では全然現役です。


それば自分のやり方に強いこだわりを持ってて
他の意見を聞き入れない態度゙のことではなく、
大衆や市場に受け入れられるかどうかで
判断するもんじゃないってこと。



技術の追求だってその心自体が価値、
無駄な努力なんかじゃありません。


例えば一流の料理人のやってる技術は
最近の飲食店やチェーン店では必要ないスキルです。
逆にこだわりがある人ほど物足りなく感じるでしょう。
(既製品ばかりで一から作ってませんからね)


しかし「素人にできるか否か」を
料理の価値基準にしたらダメじゃないですか。
伝統工芸だってそう、需要がないからって
それを作る技術が無駄なわけじゃない。


まさに不易流行、
ベートーベンの交響曲全集のCDは
秋元なんちゃらの売ったCDより少ないけど
なんちゃらの方に価値があると言えないでしょ。


ゴッホや宮沢賢治だって認められたのは
没後ですよね。それは彼らの作品の価値が
変わったのではなく、時代の方が変わったわけです。



ゴッホも日本、好きだったね。



一流の職人は何を目指すのかと言えば
素人に認めてもらうことではありません。
一流の人間が満足することです。


プロの料理人はみんなそう。
だから必然的に複雑で、細かく、難しくなるんです。


それを「分からない=価値がない」なんて
言ってる人って「私は浅薄な人間です」と自分で言ってるようなもんだわ。


経営コンサルは「どれだけ価値があっても、
こだわりがあっても発見されなければ
存在しないのと同じ」とか言ってますがね、
「存在しないと価値が無い」なんて意見は
すべてを目に見えるもの(結果)でしか
換算することができない人の世界でしょう。


そのセリフって、追究してる人に対して
失礼な言葉じゃないかな(゜゜)
商人の価値をあんまり押し付けるもんじゃないよね。