2022/09/21

自由意思の行方


厳格なまでに自由意志を提唱したカント、否定したショーペンハウワー。超人と呼んだニーチェ、盗んだバイクで走った尾崎さん←


我々は環境や時代など自由にできない状態から産まれ、自由意思を与えられた不思議な存在です。華厳教の言葉を借りれば一即多、とでも言いましょうか。


まぁ、こねくり回さなくとも意見の多様性、生き方の多様性と言う意味では当たり前の社会通念ですよね。カント批判だって自由意見が!言えてる証拠ですから。


ただ、これら批判に対し統制や抑圧、さらには報復されたら話が違います。異なる見解が率直に話せないとなると、言論の自由は沈黙してしまうでしょう。


今はかなり口チャック、ミッフィーです。
私なんてブログ名変えちゃいましたもの。





さて最近、東北有志医師の会、全国有志医師の会のソーシャルメディアが停止されたりしましたね。「ターボ癌」のワードもGoogleじゃ全く引っかからない。



ちなみに過剰な管理、監視の歴史は戦後日本では「隣組」として機能してました。当時は戦時中に誰かが笑ってたら通報され、スカートはいたり口紅してたら通報され、軍部を否定したら通報どころか逮捕されました。



コロナが始まった当初、このドス黒い空気を感じてたんですが、日本って以外と抵抗ないんでしょうね。異様なまでに他人の目を気にする民族ですから、自由意思なんて寧ろ余計な事だ、と。



その結果が今、目の前にある現実です。
10年後か50年後か分かりませんが、
将来、この時代を人々はどう総括するのでしょうね。






















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