2015/06/22

ハードとソフトの継承②




前回に続き、二回目です。





さて、何かが長く続けばエントロピーによって
無秩序へと向かってしまう。



そこで、生命は自ら古い秩序を
リセットするかのように破壊していると
前回書きました。



組織は秩序を維持しようとして、
固定してしまいますが、それでは逆に
形骸化、腐敗してしまう。




そこでこの国では、自然派生的な循環を
人為的な様式として、取り入れていたのです。




前置きが長くなりましたが、
今日もそんなところから。。。







変わらないために変わるという状態の維持とは
温故知新であり、決して保守主義ではありません。



守破離も次の創造のためにある。
つまり、伝統を守ることと、革新することは
対立概念ではないんです。




「式年遷宮」などもそうですね。
戦国時代を除き、1300年続いていますが、
これは常若(とこわか)といって、常に若さを保つためのものです。




そもそもこの遷宮は、モノ(建築物)を
残すというものではありません。



コトである知恵や精神をも受け継いでいる。
ハードだけでなく、ソフトも継承しているんですね。




弥栄の仕組みでお伝えしたように、
そんな回帰による温故知新の精神こそ、
日本流の根幹なんです。





☞☞☞



反面、西洋はモノ(ハード)だけを維持しようとしますが、
その技術を支える(ソフト)が抜け落ちています。



だから世界の遺跡は外見のコピー的な
再現しかできないんですね。謎のまま、ということ。



もちろん、パソコンがプログラムなしでは
動かないように、それでは建造物は生き返らない。



各自めいめいに解釈こそすれど、
根幹である「意味」はさっぱり分からないでしょう。




そりゃそうです。
肝心の支える精神がないんですから。




以前書いたように、
それを思い出さなくてはいけない。



☞☞



ハードとソフトの継承、温故知新。
この精神が本来の日本流ですから、
事業継承であるフランチャイズもそのようになるのが本来です。



しかし、今は形式上のマニュアル管理、
上記で言えば「目に見える姿形」しか継承していない。



これが近代、ことさら今の社会を
形成しているのですが、



そうなっているのには、
根の深い理由がある。



それは明治以降、西洋的であるハード重視の
精神が浸透していった頃まで遡ります。




明治維新は、江戸を植民地化するために
高い精神性である「大和こころ」を徹底的に
排除するためのものだったんですね。


「開国」という策略に、まんまとハマったのが明治の始まりなわけです。



「時代を変える革命」の真の目的は、
変わった後にやってくるものだった。


史実はネットで調べれば分かりますので割愛しますが、



こうして、明治政府の極端なまでの西洋化、
つまり富国強兵、中央集権、産業振興などによって
本来の精神性がどんどん排除されていきました。



そんな背景、学校じゃ学びません。
そのための画一化教育ですから。



こうして文明開化や近代化を目隠しに、
肝心のソフト、生きる様は失われていたのですが、



どっこい、根幹はそんなに軟じゃない。




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ちょっと話がズレましたが(笑)
unreveの日本流の根幹は精神の継承です。



伝統とは、たやすく受け継がれて
いくものではなく、努力して得るもの。
永遠の自己限定として創造するもの。



そして、創造的になるものは常に歴史的、
当時の精神を思い出すことでもあるんですね。



単に過去に従って生きるというものではなく、
懐柔的に振る舞うものでもない。



情報を持つことが「権力」になっていた時代は
もはや遠い過去のこと。



今の情報は、いつでも、どこでも、リアルタイムに、
簡単に、公に、拡散されていきます。



故に、自らの振る舞い方、あり方が
求められるという、一種の精神的パラダイムが
起こっているわけでしょう。





もうそろそろ回帰する時期に
入ってるんじゃないでしょうか。



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