2015/06/15

白黒と結構





運転中、交差点で
停止していたときの話。




ん。
後方がなんだか騒がしい。








ドド、ババ、んバババン。







でた。
大音量なのに窓全開のパターンだ。





こんなの





その車、車線を変更して
ちょうど僕の真横に止まりました。





今までの中で一番五月蝿い。
そして渋滞。





ドド、ババ、んババん。






(゜゜)





ドド、ババ、んババん゛。



(゜゜) イラッ





ドド、ババ、んババん゛。






(゜゜#) イライラッ










ドド、ババ、んババ・・





(# ゚Д゚)うっさいわー!移動式クラブか!





と、心の中で叫んだ僕でした。




☞☞☞




そういや、目立ちたい、有名になりたいという欲求って、
みなさんの中にありますか?




僕はないですね。
注目されたら、変なこと一つできやしない(笑)




そもそも世間に広く知られるってことは、
全員が好きになってちやほやしてくれるわけじゃなくて、




必ずそれと同じ数、もしくはそれ以上の
妬みとか、悪意が集まってくる。




結果、U字のグラフのように、
二極の格差が激しくなるということでしょう。




つまり清濁併呑のグレーな自分の評価が
いきなり白黒ハッキリするってこと。
中間値がどんどん少なくなってくるわけだ。




目立ちたい、有名になりたいと思う人は、
それを覚悟してるのかしらん。




そう考えると、ある意味凄いなぁと思います。




叩けば、少なからずホコリが出る僕からすれば、
標的にされたらたまりませんな。




☞☞



これは僕の持論なんですが、
他人に注目、賛辞されることで承認欲求を
満たそうと思っても、キリがないと思ってます。



本来、自分を認められるのは
自分の他にはいない。



誇れる自分、自信の源泉がない以上、
自己顕示欲が起こるのは逆説として
正しいかもしれませんが、




本来は内実が伴うことで初めて
自然と名が通るのが道理であって、




その内実というものの評価を
自分で定義できず、第三者へと
求めてしまう欲求の向かう先というものは、
当然終わりがありませんので、
絶対数の拡大を目的にするんじゃないでしょうか。




ネットで言えば、イイネの数とか、アクセス数とか。
フォロワー数とか。








内部か外部か、結果かプロセスか。



こういった命題の多くに明確な答えなどありません。



以前「金儲けのどこが悪い」と言った人に
誰も悪いと言えなかったように、一律で判断できない。




その判断基準は自分の心の中にある、
だから悩み、葛藤するわけです。



その点、西洋は潔いというか、単純というか、
必ず白黒ハッキリさせます。



「肉が食べたいのか?魚が食べたいのか?」
肉を頼めば、肉好きだと判断される。それだけです。




だから「我々の敵か?味方か?」と迫り、
敵だったら、すぐ戦争を仕掛けるわけでしょう。




まさにそこには、間がない。
横軸に進む勢いはあれど、サイの突進と変わらない。




昔の人はそんな人を「間抜け」と呼んだわけです。







この国は、そういったどっちでもあって、
どっちでもない、という絶対矛盾を自己とし、
同一できる言葉を生み出しました。



「結構」なんて、まさにそうでしょう。
「いいえ、結構です」と、否定にも捉えられるし、
「結構な眺めですね」といえば、肯定にも使われる、と。





人形浄瑠璃、歌舞伎の作者である
近松門左衛門も「真実は皮膜の間にある」という言葉を残しています。





というわけで、次回は「間の概念」について
書いてみようと思いますが、




実に無理やり、間抜けな入り方ですな(笑)







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