運転中、交差点で
停止していたときの話。
ん。
後方がなんだか騒がしい。
ドド、ババ、んバババン。
でた。
大音量なのに窓全開のパターンだ。
こんなの
その車、車線を変更して
ちょうど僕の真横に止まりました。
今までの中で一番五月蝿い。
そして渋滞。
ドド、ババ、んババん。
(゜゜)
ドド、ババ、んババん゛。
(゜゜) イラッ
ドド、ババ、んババん゛。
(゜゜#) イライラッ
ドド、ババ、んババ・・
(# ゚Д゚)うっさいわー!移動式クラブか!
と、心の中で叫んだ僕でした。
☞☞☞
そういや、目立ちたい、有名になりたいという欲求って、
みなさんの中にありますか?
僕はないですね。
注目されたら、変なこと一つできやしない(笑)
そもそも世間に広く知られるってことは、
全員が好きになってちやほやしてくれるわけじゃなくて、
必ずそれと同じ数、もしくはそれ以上の
妬みとか、悪意が集まってくる。
結果、U字のグラフのように、
二極の格差が激しくなるということでしょう。
つまり清濁併呑のグレーな自分の評価が
いきなり白黒ハッキリするってこと。
中間値がどんどん少なくなってくるわけだ。
目立ちたい、有名になりたいと思う人は、
それを覚悟してるのかしらん。
そう考えると、ある意味凄いなぁと思います。
叩けば、少なからずホコリが出る僕からすれば、
標的にされたらたまりませんな。
☞☞
これは僕の持論なんですが、
他人に注目、賛辞されることで承認欲求を
満たそうと思っても、キリがないと思ってます。
本来、自分を認められるのは
自分の他にはいない。
誇れる自分、自信の源泉がない以上、
自己顕示欲が起こるのは逆説として
正しいかもしれませんが、
本来は内実が伴うことで初めて
自然と名が通るのが道理であって、
その内実というものの評価を
自分で定義できず、第三者へと
求めてしまう欲求の向かう先というものは、
当然終わりがありませんので、
絶対数の拡大を目的にするんじゃないでしょうか。
ネットで言えば、イイネの数とか、アクセス数とか。
フォロワー数とか。
☞
内部か外部か、結果かプロセスか。
こういった命題の多くに明確な答えなどありません。
以前「金儲けのどこが悪い」と言った人に
誰も悪いと言えなかったように、一律で判断できない。
その判断基準は自分の心の中にある、
だから悩み、葛藤するわけです。
その点、西洋は潔いというか、単純というか、
必ず白黒ハッキリさせます。
「肉が食べたいのか?魚が食べたいのか?」
肉を頼めば、肉好きだと判断される。それだけです。
だから「我々の敵か?味方か?」と迫り、
敵だったら、すぐ戦争を仕掛けるわけでしょう。
まさにそこには、間がない。
横軸に進む勢いはあれど、サイの突進と変わらない。
昔の人はそんな人を「間抜け」と呼んだわけです。
☞
この国は、そういったどっちでもあって、
どっちでもない、という絶対矛盾を自己とし、
同一できる言葉を生み出しました。
「結構」なんて、まさにそうでしょう。
「いいえ、結構です」と、否定にも捉えられるし、
「結構な眺めですね」といえば、肯定にも使われる、と。
人形浄瑠璃、歌舞伎の作者である
近松門左衛門も「真実は皮膜の間にある」という言葉を残しています。
というわけで、次回は「間の概念」について
書いてみようと思いますが、
実に無理やり、間抜けな入り方ですな(笑)
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