さて、僕は最近全くテレビを見ないので
流行りの歌もアーティストも分からない
という、残念なやつなんですが(笑)
このところお気に入りが
「世界の終わり」でして。
歌詞の意味を問わないものが
多い中、すてきな歌詞書くなぁ、
と思いました。
「天使と悪魔」っていう曲の中に
「大人vs大人の正解、不正解のバトル」
って部分があるんですが、
確かに、大人って理性の塊だよね、
って感じたんです。
今日はそんなところからの小話でも。
さて、昔の僕もそうだったんですが、
矛盾する対立二項は統一したいものです。
矛盾して悩んだり葛藤したりするより、
科学みたく、スパっと断言したほうが
確かにスッキリします。
ただ、ずいぶん前にそれは止めまして、
統一ではなく回帰による統合、
超克的な組織構造論にシフトしました。
統一とは意図的に同じ状態を
作りだす画一化であり、
統合とは相互矛盾し、バラバラなものが
一つになる、調和的なもの、
似ているようで全く違います。
☞ ☞ ☞
ちなみに物理学は統一したがりますな。
例えば、素粒子を一本のヒモに統一したら、
そのヒモが5本に増えてしまった。
真実が5つあると困るもんだから、
11次元の膜で統一したのがM理論なんですが、
それでもパラドックスは消えてません。
なぜ矛盾が消えないか、
それはこの1400グラムの脳が
理性で考えてしまうからですわ。
だからさっきの歌詞の様な
「正解、不正解のバトル」になる。
それじゃあ部分の正しさが
全体にとって悪になる、ってことで、
両成敗式目が慣習化されてたんです。
これができたの、世界で日本だけ。
我々の文化は平和のノウハウを持っています。
☞ ☞
子供を見れば、正解を求めないし、
比べることもありません。
ただ、自分ができたことを
親に褒めて欲しいわけです。
比べ出すのは小学校くらいですな、
ちょうど理性が強くなる頃です。
誰々ちゃんの家は大きいだの、
誰々くんのお小遣は多いだの。
僕もよく言われてましたわ。
「他所は他所、うちはうち!」ってね(笑)
ここからなんとなく記憶が
ハッキリしてきませんか?
これは理性が働いているからでしょう。
☞ ☞
身近な統一理論は他にもあって、
歴史上、最も古いと言われる
西洋宗教なんて、まさにそうですな。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教。
それぞれが唯一無二の神を譲らない、と。
それじゃあさっきのヒモ理論みたいに
真実がいくつもある、って話になってしまう。
だから互いに仲が悪いんですな。
ただ、根の部分はまったく同根なんですがね。
フロイトだって世間の心理を
個人の心理に当てはめてるわけでしょう、
小林秀雄から怒られそうですが、
社会の心理が個人の心理のはずがない。
それならベルクソンの方がまだ分かる。
成功哲学のマーフィーもそう。
無意識を意識でコントロールできる、
と思っている。
つまり意識で統一するって事でしょ、
そんなもん、不自然かつ危険極まりない。
寝ている時は無意識なわけです。
その時、呼吸や心臓は勝手にやってくれてます。
逆を言えば、我々は「無意識」がないと
おちおち寝ることすら出来やしないわけです。
だから陰陽両面を陽で統一するんじゃなくて、
陰陽を統合する生き方は自然だと思うんです。
☞ ☞
そんなわけで、僕は原理主義が
どうしても苦手なんですが、
それすらも、極端になれば
「反原理主義」という原理を持ってしまう。
これじゃあミイラ取りがなんとやら、です。
ほどほどが一番ですな。
原理は太陽と一緒で、長い間見るもんじゃない。
客観的整合性がある原理は
あるかもしれないし、無いかもしれない。
しかしそれは理性では分からない、
逆に、故に、だからこそ、
我々は大いなる原理の存在みたいなものを
感じる事ができるんでしょう。
【後記】
とはいえ、僕の定義では
どうしても存在の悪、というものがありまして。
例えばそれは白痴のムシュイキン侯爵のような
純粋な存在だったりします。
純粋なものは美しいとは限らない、と。
まあ、この辺は難しいですね・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿