この国には「未完の美」という
独特な価値観(美意識)があります。
岡倉天心は不完全こそ美であると
言いますがそれは完璧や完全性を
否定しているのではなく、逆に不足によって
完全性が現れると言うのです。
つまり「余白」や「間」によって完全な
未完成が生まれる、と。桜は満開も美しいけれど
7分咲きが一番の見頃だと言うのもそういう事でしょう。
煎じ詰めれば我々人間を始めとした不完全性の肯定かもしれませんね。
私たちは本当に不完全で未熟な生き物です。
怪我や病気はするし、寝ないと生きていけない。
空気がないとダメ、水がないとダメ。
暑過ぎてもダメ、寒すぎてもダメ。
なんて手間のかかる生き物だろう、
なんて世話が焼ける存在なんだろう。
しかしそんな不完全な存在だからこそ
他者を思いやる心が生まれ、
欠けている存在だからこそ、
補おうと懸命になるんじゃないかしらん。
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そんな欠陥を補完することで自らが
創造する側になるという考えは茶道にも通じるもの、
多分に不完全がゆえに調和しようとする
その謙虚さが美しいのでしょうね。
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