2015/11/25

自由自在①~矛盾なんてない~





こんばんわ、坂口です(゜゜)
なんかアメブロとこっちの往復が疲れてきました。
(5日ぼーず)




てなわけで、雑記も併せてこちらに書きますので、
今後ともよろしくお願いしますね(笑)




では、テーマに移りますか。
今回は禅について。




とりあえず、退会せずに放置しときますわ。





さて、禅は非表現的な体験の哲学とも言えますが、
端的に言えば矛盾を極め、内在させるものだと言えます。



没頭によって対象と同一し(無住心)
心を空っぽの状態にする(無生心)とは、



「どこにも存在しつつ、どこにも存在しない」という
矛盾を矛盾と思わない自己(悟性的自由)を獲得すること。



文献を研究するだけの学者と違って、
かれらは実践ありきなんですね。



「生きるとは何か」を書いている文献を探すよりも、
「実際に生きている自分」を観察すればいいじゃないか、と。


なるほど。
求道者ほど自己の根源に迫るのは、このためでしょう。



☞☞☞



さて、「矛盾なのに矛盾ではない」という
もはや言葉として成立していないものの理解こそ、
禅(即非)なんですが、



以前動画でお伝えしたように、
磁石を使って簡単に説明することができます。



(分かりきったことですが)
磁石のN極がN極として定義するためには
相反する対象であるS極(非N極)が必要ですよね。




暑さがあって初めて寒さ(その逆)が分かる。
逆もまたしかり、それは同時に派生しています。



つまり「N極」は「S極」があって(あるからこそ)
存在できるということ。



そうなると
N極の中には「S極」があると言えますよね。
その証拠に、N極だけにすると必ずS極が生まれます。



もしN極がそれだけで存在できるのであれば、
S極が出てくるわけがない、



N極はこの矛盾があるからこそ、N極たらしめてる。
コインもまたしかり、裏表合わせて一枚です。



矛盾は論理的整合性を求めれば出てきますが、
こういった「間の概念」で考えると、何の矛盾も起きませんよね。



そんな矛盾の先にあるものを
僕は超克と呼んでいますが、



実は誰だって「超克」してるんです。








無限に円周する円(実在)の中心に属する。
まさに実在そのものである、と考えてます。



その場所は矛盾が矛盾なく成立している。



例えば冒頭に書いたような没頭・没我とは、
自我的な欲求でありながら、同時に自我を亡失していますよね。



なぜならその対象と同化したいという
自意識によって、自意識を失うのだから。



さらに自意識を失うことによって
その対象自体を自分のものにしてしまおうという
自意識もまたある。




片面ではどうやっても解けないですね。
故にだからこそです。




自意識も自己も合一して一。
我々は全体性(一)を具現しながらもなお、
個別性を保っているということ。




以前書いたように非二元(ノンデュアリティ)が
絶対だと言えないのは、この「個別性」を
置き去りにして、全体性から語っているからに他ならない。






つまり・・・・






ん、長くなりましたね。
続きは次回にします(゜゜)





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