明治、旧制一高(東大の前身)出身で天才哲学と言われた藤村操は華厳の滝で自ら命を断ちました。
氏の最期の言葉は
「巌頭之感(人生不可解)」。どんな天才でも個我では生きる意味が分からなかったのでしょう。その後、後を追うように若者が華厳の滝へ身を投げ、ここは自殺の名所になりました。
なるほど人生の不可解さは生きる意味に直結するのでしょう。現在は宗教がその「答え」を担当しているのですが、そうしなければいけないものなのかもしれませんね。ニーチェやハイデガーの出した解はまるで人間の抗いにも捉えられます。
何か絶対的なもの、自分が地に足をつけて生きていけるような疑いようのない理由や目的は誰も提唱できていません。そもそもその概念を人間が作っている以上、それが正解かなんて誰も確認できませんからね。
不可解で良いと思います。「終わりがない」のが終わり。うちのカミさんもチビ達がずっとケンカしてたら「きりないから止めなさーい!」ってよく言ってますので。
意味を求めるのは人間だけです。そして、意味が分からないと悩み、最悪死んでしまうのも人間だけです。
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