2017/11/15

自由と蝶番(ちょうつがい)





「もし私がドアの自由な開閉を望むならば
蝶番は固定されていなければならない。」


ヴィトゲンシュタインは著書
「確実性について」でこう言いました。
固定されることで獲得するのが自由である、と。


真の自由とはそのようなもの。
何も制約のない野放図的な自由を勧める
新自由主義者(?)たちは常識を壊すことで
幼稚な快楽を覚えていますが彼らは良き
精神の型(フォーム)を知らないのです。
「善い」ではなく「良い」。ニーチェ、「道徳の系譜」ですね。


こう書くと「クリエイター(芸術)は違うだろ」
と言う人もいるかもしれません。
誰の意見も聞かず既存のルールを壊すことが
我々の仕事なんだ、と。しかし創作的自由にも
必ず「型(フォーム)」があります。


例えば自由に絵を描こうとした場合、
どこに書くか、どれくらいの大きさで書くか
まず決めないといけませんよね。それが
決まって初めて「筆はどれを使うか」といった
選択肢が生まれます。つまり作品(自由)より
型(制限)の方が先に来るのです。


スポーツだってそう、様々な制約の中で
自由なプレイを行うからこそ観客は魅入る。


そんな制約(枠組み)が伝統であり本来の常識であると思ってます。



「後記」



当事務所のFCは加盟店との共創体制を
目指していますが「なんとなくの気分」で
思いついたアイデアを全て認めるものではありません。
何でもありの自由を認めても共創や維持、
継承はできないと伝えています。


自由が価値を持つには「良き型」、
グッドフォームに従属する必要がある。
その制限があるからこそ、優れた価値を生み出すことができる。


逆を言えば個性や新しい価値とは
抑圧されることで「にじみ出るもの」かもしれませんね。



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