2015/08/02

気韻生動




世阿弥が作り出した芸道の文化とは型の文化、
書道、茶道、華道には厳格に規定された型があります。



その習得が守の姿勢であり、
徹底した模倣と反復によって身に付けるもの、



つまり、個性や独自性よりも
「巧(たくみ)」であることを重視したんですね。



ただ、それは没個性を勧めるものではなく、
テクニック先行の教えでもありません。



むしろ、それによって個性は浮き彫りとなるのです。
今日はそんな型の小噺でも。








さて、日本史上最大の画家集団に
狩野派というものがあります。



室町から江戸までの約400年、
幕府の御用画壇として活動していた
狩野派の大きな特徴は「型」、



幕府からの大量の障壁画の注文に応えるため、
創始者は下書きである「型」を作り、絵師たちにそれを模倣させたと言います。



模写に始まり、模写に終わると言われるくらい、
その下書きは厳格なテキストだったようで、



当時、下書きを「粉本」と言っていたことから、
狩野派は粉本主義とも、呼ばれていました。



多分に、当時を考えると下手な作品が献上されたら
処刑される可能性もあった、
まさに命をかけた制作活動だったのでしょう。



☞☞



さてこの粉本によって、作品の品質を平準化し、
短期間で量産できたことから、創造性や
独自性を失わせるマニュアルのように見えますが、
そうではなかったようです。



見れば、そこには製品としての側面だけでなく、
唯一無二の芸術作品的な概念も失われていなかった。



東洋では、形を似せて描くことよりも、
精神性を重んじるのは言うまでもない、
調べれば、徹底した型を追及すれば、自ずから
「気韻生動」が生まれる、と説いていたようです。



この気韻生動は、水墨画などの精神を表す
中国絵画の理論(六法)の一つで、
気韻生動のほかに、骨法用筆、応物象形、
随類賦彩、経営位置、伝移模写があります。



六法を学ぶことによって、ただ写生するだけでは得られない
理屈を超えたものを感じることができる、と。



それこそ、形になる以前の「意と気」を込めるといった、
意気込みの継承、暗黙知でしょう。



「人は人らしく、馬は馬らしく」。
まさに「らしさ」という精神の在り様を描くのです。



雪舟の「破墨山水図」





今でも、一般的に素晴らしい芸術や作品というものは
ディティールの精巧さ、完成度云々ではなく、
そこに質感の高さを感じるものだと言えますよね。


無意識的に感じるものが印象を決定する。
これは時代を超えても変わらないもの、



他人とのコミュニケーションにおいては、
非言語(ノンバーバルコミュニケーション)の
ウエイトが9割近いと言われますが、そういう事でしょう。



いくら話し上手で細やかな配慮が出来たとしても、
そこで与える印象は僅か1割程度、



大半の人は無意識的に、見えない部分である
質的なものを感じ取っている、と。



歌だって、テクニックで歌う人よりも、
心を込めて歌う人の方が響きます。



故に、狩野派は本質的な気を映し込むことで、
気韻を生み出し、それが持つ生命力によって
見るものに深い感動を与えようとしていたのでしょう。







狩野派を完璧なまでに継承した若沖や雪舟は、
全く新しい独自の道へと進んでいますが、



型を完璧に習得した先にある
型にはまりきない個性と、型を超えたものである精神を
独自に表現しているのではないでしょうか。
(間違ってたらすいません)



日本流のFC、事業継承も形式ではなく
「あり方」を学ぶことによって、模倣から
創造へ繋がると思っています。




「後記」


その後明治に入り、近代の表現である
個性や独創といった「主観」からの文化となりました。



つまり「この私が感じる世界」を表現し、創造するという、
西洋文化の原理が主流になったんですね。



それまでは「私が感じる、今この現実世界」ではなく、
手本や振る舞いといった「記憶を元に作る、新しい世界」。



今を起点とした未来、過去を起点とした今。
一方は「進化」と呼ぶのなら、一方は「変化」と言えるでしょう。




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