思えば、国レベルでもそうだった。
慌ただしい年末に、忙しく行われた
総選挙では予想通りの結果、
集団的自衛、特定秘密、
そして、原発を推進する自民の圧勝である。
僕はいち告白者であって、
説教者ではないのだけれど、
愛情のない人ほど、間違うものはない。
結局、それにつきるのかもしれない。
そんな事を思いつつ、
今日は僕の好きな日本人の一人、
永井隆について。
島根の松江で生まれた永井は
父と同様医者を目指し、卒業後は
放射線医学の研究していた。
大学を出て3年後、緑という女性と結婚。
彼女も永井同様、心の美しい人だった。
かけだしの研究者である永井の家計は
とても裕福と言えるものではなかったが、
緑はどうにか、やりくりをしていた。
畑仕事をして、婦人会の班長を務めた。
今のように、市販品が安くはなかったので、
永井のシャツ、靴下、さらにはオーバーまで、
すべて自分で縫い繕っていたという。
そんなある日、研究室にいる女性から、
永井はこう言われた。
「先生は昼間も奥さまから抱かれているのね」。
当時の情景が浮かび上がり
じんわりと、暖かな気持ちになってくる。
☞☞☞
遊ぶ暇のない緑の唯一の楽しみは、
永井の論文が雑誌に掲載されたとき、
それを見る事だった。
読み始める時は、きちんと座り直した。
それはまるで、おしいただくようなものだった。
永井の論文は、専門用語ばかり並ぶ
難解な文章ではあったのだが、
その文中には永井の生命が刻まれている。
緑は涙を浮かべながら、それを読んでいた。
妻が読んでいる最中、代わりに
赤子をあやしていた永井はそれを見て、
「胸の中に温泉が湧くような思いにひたっていた」と、
自叙伝「ロザリオの鎖」でそう述べている。
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やがて永井は助教授になり、
家計もずいぶんと楽になってきた。
そんな矢先、悲劇は襲ってきた。
永井は白血病にかかってしまったのだ。
永井の研究対象は放射線医学。
原因は、レントゲンからくる膨大な
放射線を浴び続けたことによるものだった。
余命は約3年。
医者からそう言われたことを、
永井は、妻に全て打ち明けた。
それをぎくりともせず、毅然と聞いていた
妻を見て、永井は緑がその運命を
すでに覚悟していたのだ、と理解した。
「これで安心して研究を仕上げる事ができる」。
永井はそう思っていたのだが、
それは大きな、大きな間違いだった。
☞ ☞
ある朝、永井はいつものように、
にこにこと笑う緑から見送られ、出勤した。
少しほど歩いてから、弁当を忘れた事に
気がつき、家へと引き返した。
そこで永井が見たものは、
玄関で泣き崩れている、妻の姿だった。
緑は、受け止めきれない自分の姿を
永井に見せまいと、必死に耐えていたのだ。
そして、それがふたりの
最後の別れの日となる。
8月8日、永井は夜勤の為、研究所にいた。
☞ ☞
時代とは、時に(常に)残酷なものである。
8月9日、長崎に原子爆弾が落とされた。
勤め先は爆心地から僅か700m、
永井は頭部にひどい重傷を負った。
しかし、自分の手当は後回しにして、
布を頭に巻いただけの状態のまま、
失神して倒れるまで、救護活動にあたった。
突然崩壊した現実の中、
無我夢中だったのだろう。
永井が妻のいる自宅へと駆け付けたのは、
原爆落下から、実に数日が経っていた。
☞ ☞
焼け尽くし、焼け残った台所で見た
真っ黒になった妻の骨盤と腰椎、
そして十字架のついたロザリオの鎖。
その時、永井は激しい自責の念にかられた。
救急で息つく暇がなかったとはいえ、
どうして妻のことを忘れてしまったのか。
どうして直ぐに帰ってやらなかったのか、
どうして当日少しでも側で祈ってやれなかったのか。
何度も妻の名を呼び、
滂沱の涙が止め処なく流れた。
この時、永井は戦争によって無意味に、
そして無差別に生命が失われる悲惨さを、
書き残そうと決心したのだ。
☞ ☞
奇跡的に回復した永井は
原爆の被害報告書や研究を続けたが、
とうとう立つことさえできなくなった。
しかし、それでも永井は研究すること、
書く事を止めなかったという。
使う鉛筆はHBから2B、4Bと、
どんどん濃くなっていき、
最後はこするように書き続けた。
まるで、妻を失った責任を
自分が全て背負い込むかのように、
執筆不能になるまでやめなかった。
大事なものは脆く、壊れやすい。
日々の生活の中では風化してしまいそうだ。
故に、だからこそ、努めて維持するものだと思う。
永井が送った千本桜のある「永井坂」
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