リゾームは非線形、複雑系を踏まえた
ビジネスモデル。
それは資本主義の土台が理論操作可能な
ヒエラルキーから、理論では操作不可能な経済へと
パラダイム転換が生じているという予測から発案したものです。
散逸や自己組織化、創発などは、
閉鎖型では生まれません、
感情などを内包した生命的システムのみ、と言えます。
もちろん、感情だけでは片手落ちであって
大事なのは理論と感情を繋ぎ、一つのループとする事。
ミクロ・マクロ・ループは日本ならではの概念です。
そんな性質を持った複雑系経済に
対応するためには、どうすればよいのでしょうか。
今日はそんな小話を。
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そもそも複雑系とは、理論が通用しない事から
意図的に設計、構築、管理ができません。
どのように構築され、管理できるのかなど、
正確に予測できないのです。
なぜなら我々個人が管理されず、自由に織りなす
行為(状態)が生みだすものである以上
階層を作り、上が作ったルールで管理しようとした途端、
閉鎖系となる。エントロピーよろしく崩壊するのです。
そこに管理の手が入る以上、必ず抑圧が生まれる。
よって組織においては適度な自由を個人が掴む必要があります。
ニュアンス的には「柔らかな束縛」とでも言うのでしょうか。
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内に外に開かれる。
フレキシブルな企業、風通しの良い企業、
止まることなく流れ、常に前向き、クリエイティブ。
自らを楽しめる人材が集まり、交流し、
そこから新しい発見が生まれていく・・・・
これは言葉にするのは容易いのですが、
いざ実行するとなると別問題です。
閉鎖系である管理社会に馴染みすぎた我々にとっては
開放系に憧れこそあるけれど、理解しずらいのです。
加減を掴まない自由は「放任」と同義である以上、
自己組織化を生みだすことはないでしょう。
下手すれば、とんでもない結果を迎える可能性もある。
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そこでリゾームの概念の登場です。
それは「管理」でも「放任」でもない第三の道です。
清水博氏は「動的なリズムが場の形態を形成する」と言ってます。
リズムとは中村雄二郎のリズム論、
unreveのいう拍子です。
まさに、秩序は動的な勢いの繰り返しなんですね。
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例えばプレゼン会議という「場」で、
個人がプレゼンを行う場合が近い。
クライアントがそれを見ている。
そこにはパワーポントや動画など、場としてのシステムがある。
プレゼン側は、あらかじめテーマやシナリオ
必要な情報を与えられているけれど、
いったん話しだすと、あとはもうその場の雰囲気で
臨機応変に演じるわけです。
つまり、大まかな筋という拘束条件のもとで、
大ざっぱに決められるのですが、
具体的にはプレゼンターとクライアントの相互関係によって、
選択されたり、再構築しながら進行させていくでしょう。
それは、全体として一つの筋を生成的に自己組織しながら
展開していく、故に場違いな発言はできません。
まsない自己生産しながら自己組織に組み込んでいくという、
意味のある操作情報がある、これが「場の動的なリズム」です。
ただ、そこに至る前段階が必要なのですが
それは時間がある時にでも。
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長くなったのでまとめます。
システムは外部によって画一化されますので
閉鎖系となります、それでは相転移は生まれない。
自立や自律は「自覚」によって生まれます。
それが内部から起こるまで、待たなくてはいけない。
近代は、その自立性を急ぐあまり、
結果として個(自我)の成長となりましたが、
本来の日本は仏教を基礎とし、
「場の文化」を生み出した経験をもつ、世界でも珍しい国。
その自覚さえあれば複雑系の経済はこの国にとって
歓迎すべきものとなる気がするのですが、皆さんはどう思われますか^^?
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