詩人、茨木のり子氏の73歳の作品に、
「倚りかからず」というものがあります。
- 倚りかからず (ちくま文庫)/筑摩書房
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もはや できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて、心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目、じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ
強い女性、誰にも依らない生き方。
彼女はそれを目指したのでしょう、
以下の詩にも、そんな強い意志が表れています。
- 自分の感受性くらい/花神社
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ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを、友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを 近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを暮しのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を 時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ
うー・・・・・ん、
池田晶子氏もそうですが、
人に頼らない生き方を選んだ女性は確かに美しく、
本質的な真善美を掴んでいます。
ただ、誰でも彼女らのように強くは生きれない。
それは決して、惰性からではない場合もあるでしょう。
もちろんわかる、非常にわかる。
ですけど・・・・という感じです。
☞ ☞ ☞
僕自身「自立と自律が大事ですよ」
と言っていますが、
その持論を、誰でも彼でも押しつけたくはありません。
食材をどんなに細かく切り刻んだとしても、
食べやすく調理したとしても、
本人が咀嚼しないなら、喉を通らないじゃないですか。
スプーンで口まで持って行こうと、
口の中に入れようと、「食べる意志」がないと意味がない。
その「意志」だけはどうにもできない。
否、「どうにかしようとしてはいけない」と思うんです。
彼女らのように凛とした生き方は
美しくはあるけれど、
そう思っている人がいれば、
どうしてもそう思えない人がいる、
僕はこれ、良い事だと思うんです。
良いと言うより、仕方がない。
もちろん、近にいるとカチンときますけどね(笑)
それが反面教師ってやつでしょう。
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